NLPという心理学を学んでいます。
NLPとは、Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)の略称で、別名「脳と心の取扱説明書」とも呼ばれる心理学のこと。
この冬休みの間に映画「マトリックス」を見てレポートをかきあげる課題が出されました。
結局3回見ました。
1度目はワインを飲みながら見たので最後の方は寝てしまい、2度目は夕食食べながらだったので「ああ、ここは!」と思いつつ書き留められず、3度目でようやく「おお」と感じたセリフを書き出せました。
やはり、「…しながら」は感覚が分散してしまいますね。
映画が公開されたのは1999年。
柔術のシーンとか、その要素のある戦闘シーンしか記憶になかったけれど、あらためてなんと示唆に富んだ映画であることよ・・・。
NLPを学んできて、ここはNLPの学びそのもの
と感じた言葉を抜き出してみました。
(ここにあげただけではなく、もっとあるんだーーー)
人の想念が現実を作り出す
反対の言葉も然り。
できないと意識が決めていれば、その通りできないんですね。
意識が向いているところにエネルギーは流れていきます。
声をかけることで意識が向きます。
あらためて「そこに気づく」ということ。
気づきとは
気+付き。
そこに気が乗る、向く、流れるということ。
それは人からの声かけであったり、自分自身への声かけであったり。
それが、私自身の力になります。
よかれあしかれ。
とはいえこれは表向きであって
どうであれ、すべては善です。
【脳は問いかけに対して答えを出そうする】
質問をすると、潜在意識は答えを探してきます。
なんのために?
どうしていく?
これからも自分に問いかけていきます。
【現実とは】
人は五感によって世界を認識しています。
その五感とは、視覚、聴覚、身体感覚、味覚、嗅覚のこと。人は外部のものを理解するときや、内的なものを思考するときにもこれら5つの感覚を使っています。
どの感覚が優位に働いているか、人によって異なるので、同じものを前にしても認識は異なります。
赤い服の人がいるとして、私がみている赤色はすこし茶色がかった赤で、隣の人が見ている赤はすこし紫がかった赤かもしれない。
でも、それをとりだして違いを確かめる術はありません。
現実をどう捉えているか、本当に人によって違うし、その人の中でも刻々と変わるもの。
私が感じている現実と、人がいう「これが現実」は異なっているということを、NLPを学び始めてからいつも脳裏に残しています。
NLPを学び始めてから、人とぶつかることがなくなりました。
【学びとは】
「教えてもらったこと」を「知ってる」にとどめず、実践してみること。
経験が学び。
知識があるだけでは扉の前に立った状態。
やってみる、ではなくやる。
動いてみるではなく、動くこと。
【信念】
日頃、「自分」あるいは「世界」と捉えているものは、自分の思い込みがつくりだしたものにすぎず、その思い込みを刷新すれば空を飛ぶことだってできます。
自分がなにをどう信じているか。
「信じている」
という言葉には
実は、まだすこし疑いがある気がします。
信じているという言葉もないほどに
「そうである」と言いきれること。
「え、違う?」とむしろ聞き返せるほどであること。
世界を作っているのは、自分の信念に他なりません。
自分自身がそうであると、ピタリ合致すること。
恐れ、不安があることを自覚したなら、その恐れや不安は私に何を伝えようとしているのか問いかけています。
私は、こどもの頃、
大きな自分が「小さな自分の登場する物語」を読んでいる心地になったことをよく覚えています。
今も、時々、
「これは現実?」
「なにか夢でもみてたりする?」
と思うこともあります。
なんでしょうか、現実って。
捉えどころのない雲のようにも感じます。
だからこそ、
想像して
創造するのは
自分であることを
自分でつねに思い起こします。
自分が思い込んでいることはなんなのか。
その囚われから、自由になっているところです。
そうですね。
私はモーフィアスが好きです。