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★『職業としての小説家 』村上春樹

書くことを職業にしたい人への、具体的で実践的な文学論

この本の存在は、ずいぶん前から知っていたのですが、個人的に好きな作品を書いてくれた作家でも、その作家のいわゆる「文学論」を読むのはあまり好きではないので、長らく読むのをためらっていました。

それでも、たまたま古書店で目が合ってしまったので、たぶん、今日が連れて帰る日なのだろう、と思い、ついでもあったので購入したのが数年前でした。

『職業としての小説家』

「目が合う」というのは比喩的な意味でも誇張でもありません。
この本の表紙…正直、村上春樹って、こんなナルい人だったんだ…とちょっと違和感を感じました。まあ、個人の感想です。

そう思ってまたすぐに、もしかしたらこれは狙ってやってるんじゃないか、
とも思いました。
ねえ、これっていかにも「小説家」って感じでしょ、と言われているような。
いわゆるパロディか、もしくは村上春樹がリスペクトしている海外の作家の誰かへのオマージュかと…。

それで、ちょっと検索してみたのです。
カポーティとかカフカとか、カーヴァーとかアーヴィングとか、さらにはフィッツジェラルドとか…。
でも、同じポーズの本は私の検索力では見つけられませんでした。
でも、カポーティは、いくつかの著作に自らのポートレイトをカバー写真として使っていました。

そんなことをしているうちに月日は過ぎ、やっと読む気になったのが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を再読した少し後でした。
あまり気の進まないままに、それでも読んでおいたほうがよいと思って読み始めたのですが…予想に反して?とても面白かったのです。これが。

読んだ時期もよかったのかもしれません。
なにしろ、『世界の終り─』が難しかったもので、ちょっと作者自身に寄ったものを読んで確かめたい気持ちもありました。
そして一読してまっさきに思ったのが、なんと分かりやすい文章と内容なんだ、ということでした。

私がかつて読んだことのある文学論や評論、また自著について、あるいは小説家としての自身について語った作家の本の中では、今まで読んだ中で一番分かりやすく、かつ率直で好感さえもてる内容でした。

内容としては、一応章立てがされており、小説家というものについての考えから始まり、自身がどのような動機で小説を書き、小説家としてデビューしたのか、そしてどんなふうに自作を書き上げていったのか、そのためにどんなことを生活の中で、物理的にそして精神的に心がけていたのか、など、かなり具体的に述べられています。

その中には、文学賞についてや、日本の文壇についての率直な思いを、事実を踏まえて書かれている部分もあり、あーそうだったんだ! と初めて知る意外な事柄もありました。

小説の執筆そのものに関することで興味深かったのは、作者が小説をどのように書いているのか、そのスタイルとともに、完成するまで何度も何度も、ときには大きく削除したりして、書き直しているという事実です。

当たり前のことかもしれませんが、一つの作品を書き上げるということは、心身を総動員して積み上げること、そして、限界まで深く広くそして繊細に意識を広げていき、ときにはせっかく積み上げたものを捨てることも厭わない…まさに妥協を許さない力仕事なのだと思いました。

それにしても…作家自身語っているところによると、アンチの読者も多いということ、さらに日本の文壇の中でも特に初期はかなり批判されたことなどが書かれていて、あーやっぱり、本人もかなり傷ついていたのね、とちょっと可哀想になりました。
まあ、有名税なのでしょうがない、という考え方もありますが…;;

それから、学校教育について、自身の経験を基に語られている部分や、心理療法家の河合隼雄さんとの交流についてなども、興味深く読みました。

個人的にその中でも一番興味深かったのは、作者が、海外に自身の作品を
売り込んでいった過程です。
きっかけは、日本の出版社が海外に拠点をもって、そこからの英語の出版物として、自著が翻訳・出版される機会がおとずれた、ということだったようですが、それでもそれ以後、作者自ら積極的に海外での出版を求めたとは、知りませんでした。

最初は、日本の文学界、文壇が作家にとってあまり居心地のよい場所ではなかったゆえに、生活の拠点を海外に移したこともきっかけだったそうですが、それでも自分から翻訳者や編集者を積極的に探したりするということも、今までの日本の作家があまりやらなかったことではなかったかと思います。

そして、村上春樹が海外の大学で教えたり、ワークショップや朗読会などに積極的に参加しているのも、自分のためだけでなく、日本文学、そして日本というものを世界に発信する機会を自ら大切にしていることも初めて知りました。やっぱり、外国語ができるっていいですね…。

他にも、作者がランニングをする意味や、具体的な個々の作品に関することなど、村上春樹の作品そのものが好きな人はもちろん、作家が作品をどんな風に書いているのか、具体的に知りたいという作家志望の方なども、読んでみて参考になる部分が多いのではないかと思いました。

そして、この本は、依頼されて嫌々書いた本ではなく、作家が自ら望んで「自分自身のために」自発的に書かれた本だということも、本書が「自伝的エッセイ」にとどまらず、本気の小説論として読むに値する、極めて具体的、実践的な文学論になった所以かもしれません。

そして、このことは、著者がこの本を書いた目的が、生身の人間としての自身を知ってもらいたい、というよりも(幾分、アンチの人に、自身が欠点もあるけれど、傷つきもする「ごく普通の人間」であることを知ってほしいという気持もあったのかもしれませんが)、作家としての仕事の、テクニカルでプラクティカルな部分を伝えて、後に続く人、まさに職業として小説家を目指す人への実践書として残しておきたい、という処にあったのかもしれません。

この本は、フィクションを書きたい人はもちろん、それ以外のジャンルでも職業としての書くことを目指す人にぜひ読んで欲しい一冊です。

ファンだけでなく、アンチの人にも、村上春樹が晒してくれた手の内を知ることは、自らの能力を限界以上にまで高めて仕事に取り組みたいと思う人にとって、何らかの役に立つのではないかと思いました。

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