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英語と日本語のこと:続編:友達ができるまで

こんにちは。先日の自己紹介に書きました,幼少期(幼稚園〜小学2年生まで)の米国生活のことの続きです。

5歳の歳の冬に,家族で米国のミネソタ州(北部の真ん中にあります)に引っ越しました。ミネソタ州は内陸ど真ん中の北部なので,冬は,ベロ(舌)のような形で寒気が降りてきますので大変寒いです。雪はたっぷり、雪どころか道路は凍ることもしばしば。そんな厳冬期に空港に到着して、会社のかたが迎えにきてくださっていて、車に、大きなスーツケース2つと私たち家族を載せて、新しく住むアパートメントへ送って頂いた。(米国はほとんどが一軒家屋、アパートは日本でいう団地のような役割。)

ついた日は夜だったので周りは何も見えなかった記憶と、初めての「目の青い、黒髪でない人間」との出会いにワクワクした記憶が今も鮮明に残っています。

いや実は、ミネソタ州に直接到着したのではなく、当時は直行便はなかったので、最初にカリフォルニア州のサンフランシスコに到着して、そこで1泊、1日ゆっくり過ごしてから、ミネソタ州に移動したので最初に外国人に出会ったのは、サンフランシスコでした。覚えているのは、ホテルまでカバンを運んでくださった、黒人のポーターさん。肌の色の濃い人に、ワクワク。そして「チーップ!チーップ!」と、よく分からない言葉を叫んでいた。後で知ることになるのだけど、いわゆるチップ(荷物を運んだお手伝い料)を、慣れない父が払わないでホテルに入ろうとしたので、おいおいおい!と叫んでいたようで、父が慌てて戻って、一ドルほど渡していた、と思う。

そんなわけで、外国人の最初の記憶は、チップくれ、でした笑。でも、嫌な印象もなく、ただ知らないことがあるもんだなぁ、と思ったような気がします。

さて、ミネソタについて、父と母は、生活を整えながら、私の学校の手配をしていた。会社の方々が地元の学校のことを調べてくれて、徒歩20分の小学校がいいだろうということで(米国では、これはとても近い。よくあるパターンは、スクールバスに乗って通うことが多く、徒歩圏内に学校はない)、数日中に、申し込んで、私を連れて学校へ行った。

忘れもしない、初日。
ワクワクしかなった。(珍しい子供と言われます。大概は、怖がっておどおどしてるそうです)言葉は全然分からないけれど、最初の先生が、黒人の先生で、ミス・ジェッター先生。彼女は思い返すと若い先生でまだ26歳だったと、後で大人になって知ったのだけど、当時は、体が大きな先生で、はっきり話す先生。ふざけている男の子を大きな声で叱っているのをよくみたのでドキドキしていたのを思い出します。

時々、そうやって怖いけれど、大好きな先生でした。というのは、毎日、辞書を持っていて、一生懸命、初めて話す日本語を駆使してくれて、私が分かるように、単語だけだけど、分かるようにしてくれていた。What‘s your name? から始まるわけですが、
なーめ、なーめ、とおっしゃっている。

なんじゃ??と思っているうちに、
自分を指さされて、me、ジェッター、というので、
ああ、名前、ね!と思って、「な、ま、え!」と生意気に日本語を言ってから、
自分の名前を言ったことを思い出して、なんだか苦笑・・・

そして初めから、青い目で金髪の女の子が近寄ってきて。彼女は果敢に、私の手を引いてくれて、言葉は分からないけれど、次々と遊びに入れてくれたり、幼稚園の授業を一つ一つ、手引きしてくれたりと、面倒を見てくれた。その彼女が、ずっと手紙交換することとなる親友である。(とはいえ最近は連絡が途絶えつつあるけれど。)

そこかr数ヶ月、どうやって過ごしていたのか?

覚えていない。

覚えていることは、毎日、欠かさずにみていたTV番組がありました。


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