考え方の癖。

また、うまくいかないことを病気のせいにして、望んでいない世界を作り出そうとしてたというお話です。

ことの発端はおにぃから言われたひとこと。

浮気を疑われてると言われた、と言われました。
びっくりした。浮気の定義が人によって違うのでなんとも言えないけれど、わたしたちの関係性の中で、浮気なんて概念がなかったから。
もちろん大人の関係なんてなったことないし、ただ職場の愚痴や、いろんな相談事、ゴシップネタで笑う、食事をしてコーヒーを飲んで帰る、二人きりでは1年に1、2回会う程度のそんな関係。
わたしたちのことを言ってるわけではないのかもしれないけど、わたしはその言葉にとてもとても傷ついてしまったようでした。

おにぃにはこんな設定をしています。
・可愛くて仕方ない存在
・お互い気づきを与えられる存在
・なんでも力になって助けあえる存在

もう恋愛対象とか男友達とかそんな言葉で片付けられない大事な人なんですよね。
それなのに、浮気を疑われてる人として、2番手扱いされたと思ってしまったことがとても悲しかったみたいです。
私の中で大事な人に、1番手も2番手もないのです。

心の声無視、思考優先。

その言葉にがんじがらめにされたわたしは、会ってはだめな存在と考えるようになりました。

心の声:会いたいけど会ってはいけないのって嫌だな。会えなくなるの寂しいな。
思考:相手が納得する理由があれば会えるのかな。認めざるを得ない理由ってなんだろう。

ただ会って喋りたい等の素直な本音から、どうやったら会えるのだろうという思考の声優先の、理由付けばかり探す日々。(この時は自分が傷ついていることに気づいておらず、会えないのは浮気を疑われているからだと決めつけていた。)

無意識に決めてた設定。

そうだ、病気だったら会う許可でるんじゃない?だって仕方ないもんね、かわいそうだから会ってもいいよね。

衝撃だった。なんだこの設定。
確かに、わたしが病気なら今日会えたかな?とか
病気=かわいそうって決めつけもなんか嫌だしバカにしてる気がするし、そもそも会える理由がわたしが病気ってバカバカしい。
そもそも会うのに大げさな理由なんてつける必要なくて、話をきいてもらいたいから会う、アドバイスをもらいたいから会う、一緒に笑いたいから会う、会いたいから会う、そんなんでいいんじゃないの?私の中のかわいいピンクでふわふわしてる気持ちを、ふたりでただ会うという現象を不純だなんて決めないで。そんなこと言わないで。汚いことしてるとか思わないで。
わたしがわたしに泣きながらそう伝えてました。

じゃぁどうしたい?どんな世界が好みか決め直したらいい。

・子供みたいに無邪気に遊びたい。
・じゃんけんで負けた方が勝った方の言うことを聞いて遊ぶみたいな感覚で笑ってる世界がいい。

無邪気に遊んでる世界なら病気になってる暇なくない?わたしはこっちの世界の方が好みだな。
ここまで見えてくると、また同じ感覚になりそうになっても軌道修正すればいいだけのはず。意識してこの世界に戻ってきたらいいのでは?
これはおにぃだけじゃなくて、誰にでもあてはまる気がするな。

気付いたきっかけ。

今回は、やたらと周りから大病の話を聞くことが増えて、急に怖くなってきたのが考えるきっかけの始まりでした。(同じ話をよく聞いたり見たりするのは、サインだと決めてます。)
乳がん検査の再検査で懲りたはずなのに、うまくいかないとすぐ病気を言い訳にする癖があるみたい。思い出せてよかった。
いや、この考え方の癖、もういい加減捨てようぜ。