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〜うつ病診断まで6年〜そこから3ヶ月で回復した15個の方法

元調香師のなみママです^^


この記事では、うつ病と感じながらも6年間も放置していた私が、 メンタルクリニックを受診したキッカケで、その後3ヶ月でうつ病から回復した15個の方法をお伝えします。


こんな人におすすめ
✔️なんとなく不安を感じている人
✔️現状に満足がいっていない人
✔️不満はないのに漠然とした不安がある人
✔️誰にも本音で相談できない人

私のように

やばかったかも・・・

あの時早く対処していれば・・・

と後々後悔しないために。

漠然とした不安や悲しみを抱えている方に
ぜひ読んでほしいと思い書きました。

6年前、うつ病を発症しました。

6年前、私はうつ病を発症しました。

というか発症してました。


気付かぬうちに

夫も 子供も 親も 友人も 職場の人も

そして自分も気付かぬうちに・・・


風邪を引いたら鼻水が出たり熱が出たりします。

しかしうつ病を発症するときって
「これが鬱病です」
という症状がなく、気付かぬうちに発症してしまっているんです。


恐ろしいですよね😅


だってここから6年もずっとうつ状態なんですもん。

6年も風邪を引いている人はとても珍しいと思います。

しかし、世の中には私のように
「自分、やばいかも」と思いながら
世間から見たら普通に生活している人はたくさんいると思っています。

だって私も世間から見たらいたって普通で、
昔と変わったところなんてなかったんですもん。

だからこそ今になって思うのが、

あの時ちゃんと自分と向き合っていれば

あの時ちゃんと自分を大切にしてあげていたら

あの時自分を最優先に考えてあげれていたら

と思うのです。

そんな私がどんな過程を得てうつ病になっていったのかご紹介します。


6年前、何が起こったのか

うつを発症するまで私は仕事大好き人間で、子供にも悪いくらいに土日でも仕事のことを考えてウキウキするくらいでした。

「月曜日出社したらコレをしてみよう♪」
「あんなこともこんなことも試してみたい♪」

なんて、調香師として大好きな香りに向き合っていた私にとって仕事は趣味そのものでした。

子供を保育園に迎えに行き、夜に子連れで出社したり、お盆休みに帰省先から1人で戻ってきて出社したり・・・😅

しかも上司に言われたからとかではなく、自主的に・・・

少し変人でしたね(笑)

おかげさまで職場でも信頼を得ることができ、
当時、専門学校卒業で学歴コンプレックスがあったわたしでしたが、
高学歴の4つ上の先輩よりも先に出世し、なんで鬱になるの?と思われる恵まれた環境でした。

仕事

そんな中、仕事では新しい仕事が舞い込んできました。

なんでも「やります!」というタイプの私だったので
意気揚々と取り組みだしましたが、
蓋を開けてみたら専門外の内容。

さらに社内には相談できる人がいなく、
悩むと自分の中でグルグルするだけ。

また同時に社内でもビックプロジェクトの開発を任されていたとき、
心無い上司からの嫌がらせを受け始めました。

「書類が通らなければ君のせいだ」
「君のミスで書類が通らないかもしれない」

と、かなり脅されて胃がキリキリ痛む日々・・・

子供の誕生日に有給をとっていたのに、出社しなくてはいけなくなったりと、
自分の意思に反した行動をしなくてはいけないことが増えていきました。

そんな悶々とした感情は表に出さずに、
というか
悶々としていることを悟られたくなくって、
平然を装っていました。

平然を装いながらも、慣れない仕事に上司からの嫌がらせ・・・

このとき、私が思っていたことは、

「ここでへこたれたらこれまでの人間になってしまう」

「ここまでしかできない人間なんて思われたくない」

こんなプライドが邪魔をして、
「ヘルプミー!」を出せなくなっていました。

育児

こんな中、家庭ではというと5歳と3歳の1歳9ヶ月さの男の子たちと毎日格闘していました😅

可愛いんだけど、大変。

まさにそんな時期。

出社前に送るのも母親。

お迎えも母親。

帰宅してご飯を作るのも、お風呂に入るのも、、、

母親・・・母親・・・母親・・・・

母親なんだから「やって当たり前」という考えがもともとあったので、
誰にも頼れなかった環境は苦ではありませんでした。

しかし、家と職場。

どちらかが崩れてしまうと、ダメですね。

通常運転ができなくなるんです。


子供の「ママ、見てー!!」

が負担になり、

熱を出しても入院しても子供の心配より仕事の心配が最優先なったり、

目を見て話すことがなくなったり

怒りの沸点が低くなったり

イライラを子供にぶつけたり・・・


今振り返ると、自分の余裕のなさを子供たちにぶつけていた最悪な母親でした。

夫婦仲

この頃の夫婦仲は・・・

ほんとーに最悪でした😅

きっとお互いが余裕がなかったんだと思います。

会話はほとんどなく、
言葉にはトゲがたくさんあり、

夫婦というより「嫌いな人」でしたね^^;

こんなに私が辛いのに、
大変なのに
なんでそんな呑気なの?

なんでそんなに笑ってるの?

忙しいのは私だけ。

時間を気にせず帰ってこなくていいよね。

毎日夕ご飯が用意されてていいよね。

むかつく・・・。

私はそう思っていました。

そして、ここでも私のプライドが働いてしまい、
この人には頼りたくない。

頼らなくても大丈夫。

と強がって、弱音なんて吐きませんでした。

それが余計に夫婦の溝を作っていき
家庭のなかの空気はいいものではありませんでした。

うつ病初期症状

うつ病の初期症状はざっとこんな感じでした。

・仕事がつまらなくなった
・寝てるのに眠い
・頭の前の方(前頭葉)が重たい
・文字が読めな苦なる
・ケアレスミスが増える
・数字を前後させてしまう
・予定を忘れる
・数日前の記憶がなくなる
・突然泣く
・体重が半年で8キロ減

私はこの症状が出始めたときは、

「疲れてるなー」

くらいにしか思っていませんでした😅

というより、毎日必死だったので
「こんなもんでしょ」
と思っていました。

以前の自分とは違う
という感覚はありましたが、
あまりにもナチュラルに初期症状が侵食してきたので、
危険信号に気づいてあげれませんでした。


そして一見、変わらない様子に夫も職場の人も私の変化に気づける人はいませんでした。

私自身も、
痩せたね!
と言われて喜んでいたくらいです(笑)

自分でも気づかないうつ病慢性期

無事に初期症状を発症した私ですが、ここからが慢性期が始まります(笑)

一般的にうつ病は早くに病院を受診すればするほど回復が早いと言われています。

それなのに私は6年間も放置していました。

慢性的な症状は、発症初期とほとんど変わりません。

変わらないということは、逆に怖いもので、うつ状態の自分に慣れてしまっている状態でした。

職場に行ったらやる気が出ないのでサボる癖がつき、
子供たちとも向き合おうとしないことで暇さえあればスマホ・スマホ・・・。

お金も使い放題で、貯金なんかできず欲求を満たすためだけに使いまくっていたんです^^;

夫との関係も相変わらずで、家庭に目を向けていなかったことで夫も家庭外で欲求を満たしてくるようになりました。

離婚の一歩手前で止まりましたが、離婚届にサインと判をもらいいつでも出せる状態にしていました。

そんな関係性の夫婦だったので、子供にも悪影響・・・。

大人は、家庭だけでなく仕事や趣味に目を向けて現実を逃避することができます。

しかし子供は家庭がすべて。

こんな家庭に帰ってくるしかない、頼るしかない子供たちには本当に申し訳なかったなと感じています。

その代償でしょうか。

現在長男は、もともと発達障害(ADHD)の特徴があったものの、うまく感情のコントロールができず、現在は病院に通いながら治療を受けています。


発達障害は親の教育や家庭環境のせいではないと言われていますが、
人より感情が敏感な長男なので、より心に傷を負わせてしまったと感じでします。

この慢性期は、私にとっても子供にとっても、そして夫にとっても最悪な6年間でした。

ここまで放置しなければ・・・
もっと早く気づいていれば・・・

今はただただそう思うだけです。

転職(これも症状の一種)

現状を変えたい。

こんな自分は嫌だ!

そう思った時に、転職を決意しました。

後から振り返ると、私は当時、転職できる精神状態ではなかったはず。

しかし、もっと自分はできるはず!

環境が悪い!

本気でそう思っていました😅

なので、よりステップアップしてこのモヤモヤとした現状を回復しよう!
と動き出しました。

約1年間の転職活動。

働きながら、育児家事を変わらずこなしながらの転職活動。

正直悲鳴をあげていましたが、
年収もスキルもアップできる転職先に無事に内定。

この時私は
「これで抜け出せる!」
「人生ここからだ!」
とかなり前向きだった反面、

ふと振り返ると、家の中はぐちゃぐちゃだし、相変わらず子供たちと向き合えていないし、夫との関係も相変わらず・・・。

うつ状態は何も改善していなかったんですね😅

うつ病悪化

1ヶ月の有休消化を得て、意気揚々と新しい会社に出社したうつ病の私。

1週間めから違和感を感じ始めたのです。

「あれ、、、頭の重さが抜けてない」

「目が重い・・・」

そうなんです。

前の職場がつまらないと感じでいたから頭がぼーっとするのかと思っていたら、違ったんです。

目の前に上司がいても目が閉じそうで、頭がぼーっ。

どう頑張っても自分の意思に反して頭が働いていなかったんです。

それでも私自身はうつ病と認めたくなくて、病院には行きませんでした。

しかし、転職先でも私の評価は最悪で
・ケアレスミスをする人
・数字を読み間違える人
・意思決定ができない人
とまるで別人なのでは?という評価になりました😅

きっと採用した側も後悔していたと思います(笑)

そして更にうつ病が悪化してしまう原因が転職先で追加されることに。

それが人間関係でした。

直属の上司は、指示があいまいで意図していることを読み取るのが難しく、
また、感情で動く人でした。

そんな上司と毎日接していくことで出始めた症状が

・耳鳴り
・アレルギー性皮膚炎
・幻聴
・不眠
・めまい
・動悸
・死ぬ方法を探す

のような今までとは違う精神的以外の症状もありました。

この時、私が思ったことは

「逃げたい」

でしたね。

とにかく逃げたかったんです。

「死にたい」
とも思い、
「誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法」
などお風呂でずーっと検索していました😅

しかし、子供の顔がよぎると実行にうつすことはできませんでした。

実行しなくて良かったです・・・。

逃げる道のはじまり

ここから私の逃げる道が始まりました。

ただ単に退職する勇気もなく、急にいなくなる勇気もなかった私が考えたことが、

「診断書をもらう」ことでした。

診断書があれば、医師からの後押しがあれば、堂々と休めると思ったんです。

そこで私は人生で初めて精神病院、メンタルクリニックへと足を運びました。

うつ病発症してから初めての病院

初めて足を運んだ病院は、イメージと違いました。

患者さんがいたって普通の人。

身なりもきちんとしていたり、スーツを着ていたり。

病院以外で会ってもメンタルクリニックに通ってるとは思わないような人ばかりでした。

「みんな頑張ってるんだな」

「みんな平気なフリして頑張ってるんだな」

この思ったのが印象的です。

きっと私もそのうちの1人だったと思います!

そこでまず行なったことは、
・医師との面談
・心理テスト
・カウンセリング
・採血
でした。

医師との面談は20〜30分くらいの時間です。

基本的に医師からの質問形式で話し進めてもらったので、とても話しやすかったです。

(ここで医師に違和感を感じたら、転院や医師の変更を依頼することをお勧めします)

その後、心理テストを行いました。

この心理テストと医師の面談を合わせて診断が下りるようです。

私は、この時時間があったので、カウンセリングもお願いしました。

カウンセラーさんにもタイプがさまざまある中、当たったカウンセラーさんは、一方的に話を進められる方で私には合わないなと感じたので、一度限りのカウンセリングとなりました^^;

医師との面談で十分かなと思います。

そして、初回は採血も行いました。

これは、精神的な面以外の肉体的な症状がないかどうかか検査するためだそうです。

甲状腺の異常などの場合、血液検査でわかるんですね。

このような感じで初回は2時間程度で終わりました。

いく前は、どんなところか不安でした。

しかし行ってみると普通の病院と変わりません。

それ以上にメンタルクリニックへ行けたことの安心感、
専門家に相談できたことも安心感が
ものすごく大きかったです^^

休職

次の診察で、無事に(?)抑うつ状態の診断がおりました。

この時に私は、すごくホッとしたのを覚えています。

もうこれ以上頑張らなくていいんだ。

という感心感でしょうか。

とにかく、勇気を出して受診して良かったなと感じました。

しかし、この診断書をもらってから、職場に提出するまでは、少し時間がかかりました😅

ここでも勇気が必要だったからです。

自分がうつ状態です。

とカミングアウトをするようで、最初は躊躇いました。

しかし私の場合は、それ以上に
「逃げたい」が大きかったので、思い切って上司に相談。

変な汗をかきながら相談したのを覚えています・・・。

全部は自分のため、回復するためだと信じていまいた。

その後、書類のやり取りはあったものの、
無事に休職することができ

その頃には流石の夫も「病気」と認識してくれるようになりました。

「助けて!」
と言えなかった代わりに、医師の診断書というものはとてもありがたく心強いものでした。

ここから3ヶ月で回復した15個の方法

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