みんなは、

 子どもの頃から生きていることに罪悪感があった。今でもこの罪悪感はある。
 この罪悪感はどこから来るものなんだろう。
 考えてみると、自分はなにも出来ない役立たずだ、という意識が頭の片隅に常にあった。
 私は跡取り、という言葉が普通に使われるような田舎の農家の長子として産まれたが、父親の言動から彼がほしかったのは運動の出来る跡取りの息子なのだろうなということを早々に察した。察しはしたが、その理想像のとおりに振る舞うことはできなかった。私は運動音痴で周囲に馴染むのが苦手な女の子だった。
 母は母で生意気でわんわん泣くやかましい私よりはるかに社会性のあった妹の方が好きなのだろうなと思っていたし、祖父母はそもそも子どもというものが嫌いなように見えた。
 このように家庭内の情緒面において自分が役立たずであると無意識のうちに知っていた私は、家事や農業を手伝うことによって存在を許されようとしたが、そこでも自分の無能さを痛感するだけだった。自分は不器用な上にだらしない怠け者の役立たずだと思った。
 そこから誰かの役に立ちたいと目標を見つけて勉強に精を出すとか、ボランティアに目覚めるとかしていたらそれはそれでいい話になったのだろうけど、凡人である私はごろごろと寝転がって本と漫画を読むことしかできなかった。しかもそれならそれで楽しめばいいものを、楽しさは罪悪感という薄い膜に覆われていた。
 世界には明日の食べるものに困る人、明日の寝場所がない人、明日の命が危うい人がたくさんいるのに、私は無能な役立たずのままのうのうと生きている。恵まれている自分がそんな世界の役に立とうともしていないことに対する罪の意識、私の罪悪感はそういうものだった。

 そんな幼い日々には「楽しい」や「嬉しい」といった感情はなかったような気がする。そういう感情が生まれたのははじめて自分で自由に文章を書き始めた高校生の頃だった。母親にはじめて添削されずに書いた読書感想文、二次創作のテキストサイト。自分の好きな作品についてならばいくらでも言葉が出てきた。
 更にはっきり「楽しい」や「嬉しい」という言葉を使うようになったのは、Twitterを始めて、人との交流が生まれて、ライブに行くようになり、その感想をつぶやいたり手紙に書いたりするようになってからだ。
 
 ヴィジュアル系のライブは私にとって、それまでの人生で抱えてきたコンプレックスからほんのひととき目をそらさせてくれるものだった。 
 運動音痴でも誰もがステージを見ている暗闇の中でなら好きに身体を動かせて頭を振ることが出来た。
 同じバンドが好きで楽しそうにライブを見ている、見ず知らずの人たちの中にいるのは心地よかった。
 チケットやグッズを買ったり手紙を書いたりすればそのバンドのコミュニティで役に立てる気がした。
 だれかが言う「みんな」にいつも入れないでいたけれど、好きなアーティストの言う「俺たちのことを愛してくれるみんな」の中には自分も入れている、そんな気がしていた。

 ただ、あくまでも「コンプレックスから目をそらせる」だけだった。罪悪感が消えてなくなったわけではない。
 楽しくて人の役に立てている気がするヴィジュアル系のライブの本質はエンタメの観賞、自分がいるのは消費者側で、ただ観賞の対価としてお金を払って楽しんでいるだけだという意識はずっとあった。
 どれだけライブに行ったところで、まともな大人は仕事にやりがいを見いだして人生の伴侶を見つけて孫の顔を親に見せる、そんな人生を送っている、私はそれを出来ていないのに遊んでばかりいる、という罪悪感は当然消えない。子どもの頃から変わらない構造の罪悪感。
 自分の人生をちゃんとやりながらライブを楽しめている人たちがたくさんいるのに、なぜ私はそれが出来ないのだろうというコンプレックス。出来ないなら出来ないでそれが自分の人生と割り切って楽しむことも出来ない。
 それらにちゃんと向き合えないまま、お金さえ払えばなにかをしている気になれるライブに依存していたように思う。
 
 
  
 好きなバンドが先週まで全国ツアーを回っていて、そのツアーファイナルが先週の日曜日、大阪で開催された。
 何カ所か行った今回のツアーの中で繰り返し語られていたのは「居場所」という言葉だった。会場限定音源のみに収録されている曲も、その言葉が重要なキーワードになっているように思う。「大切な人はいるか」という問いもあった。
 「君たちの居場所でありたい」「大切な人がいないなら俺のことをそう思ってくれてもいい」というボーカルの人の言葉に、以前の私であればずっとこのバンドと一緒に生きていく、と単純に感動して依存まっしぐらだったと思う。
 しかし、そうはならなかった。私は、そうやって依存していた存在が現実的な問題において助けになることはなく、そのときのことを考えていないと痛い目を見るとすでに知っている。
 
 このボーカルの人が過去に口にした言葉がよみがえってくる。
 去年のツアーでとある曲を歌う前に言った、「音楽なんかじゃ救われないという時もくるかもしれない、そんなときも俺たちの音楽はそばにいる」という言葉。
 今年の年始にあった東名阪の短いツアーの中で、最初はエンタメとしてライブを楽しんでほしいと言っていたのが、君らの中ではエンタメかもしれんけど……と言いよどむ形に変わり、ファイナルの東京では葛藤を口にしながらステージをぐるぐる歩き回っていたこと。
 
 きっとこの人は音楽で出来ることの限界を知った上で自分の存在意義を考えていたんじゃないか。
 この人は私が体験したような依存の先にある絶望を知っていて、ゆえに依存されることを望んで「居場所になりたい」と言っているわけではないように思えた。

 だから、ファイナルの大阪で語っていた「推しで人生変わったとか言うけどそれは依存や」「楽しい場所だけが居場所じゃない、職場とか学校とか家庭とか、自分が確かにそこにいるというのが居場所」という言葉は、自分が出来ることと出来ないことを考え抜いた人の優しさから出た言葉に聞こえた。日常で関わっている人にしか救えない時があることを、その逆もあることを、彼は知っているのだろう。
「楽しいだけじゃなく明日からもがんばろうと思えるようななにかを持って帰れるライブにしたい」という言葉は、自分の音楽が届いて意味を持つ範囲をほんの少しでも広げたいという彼の影響欲、言い換えれば愛であるような気がした。

 そんなライブを観ていたら、役立たずのまま、罪悪感と戦わないままでいる自分が恥ずかしいと心底思った。
 
 だからといって劇的に人生が変わるわけではないけれど、彼らの、DEZERTのライブを楽しもうと思ったら日常生活がまともになる。まともと言っても、ちゃんと起きてちゃんとごはんを作って食べてちゃんと仕事をしてちゃんと風呂に入ってちゃんと連絡を返してちゃんと寝る、それぐらいのものだけど。それすらも出来ていない時期もあったのだ。出来ているつもりで出来ていなかった時期も。
 
 たぶん私は今ようやく、みんなが大学生ぐらいのときに考えるようなことを考え始めている。みんなって誰だろう。でもやっぱりみんなって概念、あるんだよな。

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