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朝鮮進駐軍

以下、朝鮮進駐軍botより

朝鮮進駐軍の言葉は現在の造語ですが内容は事実です。在日韓国・朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「戦勝国民」とし、日本各地において殺人、婦女暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、横暴の限りを尽くした。

終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。東京の銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。これを受けて述べたのが、マッカーサーの「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。

戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」であると主張し、各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。

今まで同じ日本人として権利を享受してきた朝鮮人の態度がガラリとかわり、敗戦の責任を日本人とともに背負うのを拒否しだし、それを正当化するために日本人に牙をむきはじめる。防空演習等いっしょにやってきて同じ日本人として助け合っていたのに、この変わりように「冗談だろ?」と思ったらしい。

当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。

日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。 在日韓国・朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「戦勝国民」とし、日本各地において殺人、婦女暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、横暴の限りを尽くした。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服(朝鮮人)の男たちだった。通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。

朝鮮人たちは「我々は戦勝国民」であると主張し、「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めた。日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。朝鮮人はやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に襲撃され占領された。住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。

この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。

1953年1月12日韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示 韓国(李承晩大統領)は、「李承晩ライン」内の日本漁船と乗組員に対して銃撃を開始し、殺戮、漁船の強奪、乗組員の拉致、監禁等を行った。

進駐軍がやって来るまでのおよそ二ヶ月間、学校、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守ることになったのである。『朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい』そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験に照らし合わせて了解した。

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。レイプによって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。

「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、レイプの加害者は朝鮮人が最も多く次いでソ連人、中国人、アメリカ人だという。

昭和43(1968)年、在日朝鮮人の金嬉老がライフル銃で日本人男性二人を射殺した上で旅館に立て篭もり、女性一人と九才以下の児童三人を含む九人を人質にとるという事件がありました。このときも韓国では金嬉老は「日本人を殺した英雄」としてメディアは一斉に賞賛をしています。

東京東部北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。

この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山氏を半殺しにした。

在日は日本に存在する正当な理由がなく、特別永住資格という特権によって在留が認められているにも関わらず、日本を罵る反日妄言を繰り広げているばかりか、年間5000人弱の検挙者(来日韓国人犯罪者も含めると韓国・朝鮮籍の検挙者は年間7000人を超える)をだす。

パチンコの業界の8割が在日朝鮮人であり、その半数が北朝鮮系である。毎年、北朝鮮に日本のパチンコ業界から国会に報告されているだけで700億円が送金されている。つまり日本人がパチンコに突っ込んだ金からテロ国家北朝鮮の核兵器やミサイルが開発されているのである。

朝鮮人はアメリカのWGIPに習い日本人を洗脳し内部から支配することを計画。 不法行為で儲けた資金力にものを言わせマスコミ・教育界・法曹界への影響力を強め 「日本は極悪な加害者・朝鮮は善良な被害者」という図式を作り出し日本人に罪悪感をもたせるシステムを確立する。

韓国では娘の結婚が決まると懐妊能力があることを証明するために近親者の男性(もっぱら父親)が娘を孕ませる習慣があった。 娘は堕胎せずにそのまま嫁ぎ、産まれた子は嫁ぎ先で奴隷になるか売られるかした。日韓併合時代に「試し腹」は悪習として日本政府によって禁止された。

朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されて さらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。三国人では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。

「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17才になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて 幽鬼のごとく帰ってきたという。

1950年11月27日、在日朝鮮人が生活保護を要求して 長田区 役所を襲撃した!その後も、在日朝鮮人は、1951年の下 里村 役場集団恐喝事件、1952年の万来町事件など、生活保護費受給を求める騒乱事件を相次いで起こした。