私の長いミーム的来歴とニンジャスレイヤーとの出会いについて

 フォロワー・ニンジャスレイヤー愛好家向けに一つ自己紹介を書いてみた。どうぞヨロシクオネガイシマス。

 私は父親から昔の特撮番組や映画なんかを与えられて育った。生れた当時に放送されている特撮番組やウルトラマンに夢中になるのは多分普通の事だろう。しかし初代仮面ライダーや人造人間キカイダー、アクマイザー3や秘密戦隊ゴレンジャーなんかの総集編VHSビデオをすり切れるほど見ている平成生まれなんてのはそう多い訳ではないように思う。加えてマジンガーZ、ゲッターロボのビデオもなぜか1巻だけをノイズが入るくらい何度も巻き戻して見た。マジンカイザーや真ゲッターロボといった父の世代向けのOVAが出たせいだ。それも脳みそに焼き付くくらい再生した。テレビマガジンに載っている昔の番組なんかを映像は見る事はできなくても名前を言えてしまうくらい夢中になった。1970年当時のテレビマガジンのメモリアル本も買ってもらった。私の幼少期だけは多分1960年代生まれのようなものなのだ。パルプフィクションてき要素の面白さの刷り込みもここで行われたのだろう。

 そして私は少年になり、相変わらず愛好するものは変わらなかった。機動戦士ガンダムとエヴァンゲリオン(当然旧劇場版までだ)に夢中になってキリスト教の信者の同級生へアダムとリリスについて頓珍漢な質問をして困らせた事もある。ガンプラの写真の載ったファンサイトの改造例を食い入るように眺め、生命の樹についての解説を読み返した。ファンサイトに自分の文章を書くというのは当時の私にとってとてもかっこいい、憧れる行為だったのだ。久しく忘れていた。今はアマゾンのレビューを投稿する日々だ。ファンジン・同人の素晴らしさや面白さはここで得た。

 私はいわゆる無軌道学生となった。サークルではバンドで歌ってみたり、学祭の実行委員をやってみたりしたがどれもバイトとマルチタスクがうまくいかなかったのと生来の人付き合い嫌いがあってあまり芳しくなかったと思う。しかし知見を広げ、時間はかかったが自意識過剰だった少年から一人の男になった。創作サークルで文章を書いた日々はそれなりに楽しかった。虚淵玄のまどか☆マギカとFate/zeroのおかげで深夜アニメを嗜むようになり、面白そうな物は大体録画してずっと見ていた気がする。友人の為にコスプレの小道具を作ったりしてそれは今でも大事な趣味になった。文学についての勉強はとても不真面目で卒業論文も出来は最悪だったが、作品や人、世界を読み取るための手法は間違い無く勉強の成果だ。

 そんな学生時代の終盤で出会った最高にクールなアニメがニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンだったのだ。一度再生したら脳みそがばくはつしたように感じた。なんだこれは。気がついたら20回くらい再生していた。今でも定期的に第一話は3回くらい見返さないと気持ちが落ち着かない。原作の小説を有志のまとめをレポート作成の合間にたまに読むようになった。少々読みづらかったが金がないので物理書籍を全て買うわけにもいかなかった。ビジュアルがクールだったので無印コミックスを揃えた。今でも時系列をあまり気にせず少しずつ原作を消化している(本編が時系列順に公開されていた訳では無いのを知ったのはしばらく経っての事で楽しみ方を『それで良いのだ』と言われたようで無性に嬉しくなった)。2部を今は読み進めているところだ。

 変身!バイオレンス!復讐!そういった馴染みの要素についてはすぐに飲み込めた。アメリカ人原作のトンチキ小説かと最初は思っていたが、ブレードランナーやJMと言った翻訳チームのサイバーパンク紹介記事にあった映画を見てからもう一度アニメや小説を見返すと全て理解出来た。これほどに重厚で奥深く、SF感のあふれるものだったとは。富野監督に最近出会う機会があったとダイハードテイルズラジオで聞いたが、ほんやくチームは是非ハイ・ファンタジーの日本で初のアニメ化といえる聖戦士ダンバインやマッドマックス的世界やメカが魅力の戦闘メカザブングルと言った往年の作品の素晴らしさを知ってもらいたい。ミームという考え方はボカロ文化で知っていたが、そこからまた踏み込んで文化というものの全体像を知れた。これを研究分野にする事ができればまた違う学生生活になっていたかもしれない。

 この作品のおかげで長い付き合いになりそうな友人が一人増えた。また、洋楽が大好きな一人の友人への理解も深まった。こんなにクールな要素を全部ぶちこんだ作品を私は他に知らない。世の中にはたくさんの面白い楽しむべき事があると作品を通じて広めてくれたボンモーには今でも感謝している。

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