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人との関係性

1,初めに

皆さんは「大切な人を思い浮かべてください」と言われた際に誰を思い浮かべるでしょうか。少し考えてみてください。

それはいつも一緒に行動をする友達でしょうか。誰よりも信用できる親友でしょうか。苦楽を共にしてきた相棒とも言える存在でしょうか。愛する恋人、夫や妻でしょうか。それとも誰よりも自分を考えてくれる家族でしょうか。

当たり前ですが、人によって思い浮かべる人は違います。私の場合は親友を真っ先に思い浮かべましたね…。思い浮かべた大切な人が1人でなく複数、もしくは全人類であってもそれはそれでいいと思います。愛するペットでも面白いかもしれませんね。

しかし、考えてみてください。今すぐに思い浮かばなかった人は大切じゃないんでしょうか。当然ですがそういうわけではありませんよね。

ではなぜ思い浮かばなかったのでしょうか。

それは、人への優先順位があるからだと私は思います。

2,それぞれの関係の定義

皆さんは「恋人」や「親友」、「友達」や「親しい人」の定義や意義を自分の中で持っているでしょうか。正直あまり定まっていない方が大半だと思います。

では世間一般的なそれぞれの定義はなんなんでしょうか。私の主観も交えて考えていきたいと思います。

○「恋人」とは

恋人の定義はなんですかと聞かれてあやふやな回答になってしまう人が大半だと思います。

恋人とは、相思相愛の関係であるということ。一生大切にしたい、一生共に歩んでいきたいとお互いに思っている相手が恋人です。

https://trami.jp

⇨Google検索して一番上に出てきた「恋人」の定義はこのようになっています。

人によってはこの定義は少し重く感じてしまうかもしれませんね。個人的には、「お互いに恋しあってること」が定義としてあります。

なぜなら人によって「恋人」へ求めるものは異なり、「心を許せる存在」や、「癒し、心の温もりを与えてくれる存在」、少し定義からは外れてしまいますが「自分のステータスとしての存在」など人によってさまざまあると思います。

また、「付き合うなら結婚まで!!」と考える人と遊び感覚で「試しに付き合う!!」と言う人もいて、同じ付き合うでもその先の目的は互いに異なっているかもしれません。

○「親友」とは

親友とは、とても仲のいい友人を指す。

Wikipedia

⇨Wikipediaでの定義ではとても簡単に表されていますね。私自身の親友の定義は「友人の中でも群を抜いて仲のいい人」というほぼ同じ内容です。

「親友」の定義は「恋人」の定義と違い、「気づいたらなっているもの」である場合が多いと思います。そのためその過程が人それぞれ違うので、Wikipediaや私の定義ではあってはいるけれど全てを表せていない感じがムズムズしますね。

過去に “シンユウ“  という言葉を使い、シンの部分を「心」や「信」などの同音の派生語で表すのが流行りましたね。「心」なら「心が通じ合った、気を許せる友達」、「信」なら「信用,信頼できる友達」という意味があり、私が初めて親友にそれを聞いた際には互いに「信友」で表した記憶があります。

○「友達」とは

勤務、学校あるいは志などを共にしていて同等の相手として交わっている人。

Wikipedia

⇨Wikipediaの定義はこのようになっています。少し堅苦しく感じますね。

私個人の「友達」の定義は「話そうと思った時に問題なく話せる人」です。そのため、自分の場合クラスメイトや一度話したことがある人はほとんど該当します。

しかし、私は少し「友達」と呼ぶハードルが低位部分があると思うため、もっと狭い人もいるでしょう。例えば、私にとっての友達がクラスメイト、親友が友達という人もいるでしょう。

○「親しい人」とは

1,互いに打ち解けて仲が良い。
2,血筋が近い
3,いつも接していて、馴染み深い。

https://dictionary.goo.ne.jp

⇨引用した定義通り、「親しい人は一緒いやすい、いたいと思える人」であると言えますね。

私個人的な意見としては、「2人で一緒にいる時にきまづいと感じない人」が「親しい人」であると言えるかなと思います。

よく、グループで一緒にいる時は話しやすくて話してて面白いのに、2人になった途端お互いによそよそしくなってしまうことってありますよね。私の中ではそういう人を「友達」であっても「親しい人」であるとはいえないと考えています。

ここまでは当たり障りのない定義などをまとめましたが、おそらく皆さんの中にあるものはもっともっと深く狭くに集点を当てた定義だと思います。

このように定義を考えていると、自分の人への判断基準がこれまでの信頼や親近感で見ているかもしれないし、ただ単にその人との相性で見ているのかもしれない。または、自分のことをどれだけ知っているのかで見ているのかもしれない。

意外と、人をどの基準で見ているかを知ることができる大事なことだと思います。

私は人を「相性」や「面白さ」で見ている反面、自分のことをどれだけ知っているのかなどは全く見ていません。

そのため、親友で私のことをなんでも知っていそうな関係なのに、フレンドクイズという自分の趣味や考えをクイズにしたものをやってもらったら、10点中3点しか取れなかったり、軽い過去の話をしたら「初めて聞いた!!」と驚いていたりします。

3,人への優先順位

2,ではそれぞれの定義について語りましたが,それは定義を明確にすることで自分が人をどの基準で見ているかを確認するためです。

私は自分自身が人をどの基準で見ているかを明確にすることがとても大切だと考えています。なぜなら、人への優先順位をつけやすくするためです。

皆さんは人への優先順位を考えたことがありますか?私は何度もあります。

人への優先順位をつけるのに抵抗のある方は多くいると思いますが、考えてみることはとても意義があると思います。

人への優先順位を問われて「そんなのわからないよ!!」という人もいますが、気付かないうちに心の中にあるものです。

ただ、感情がそれを許さず認めようとしないためしっかりと判断することができていないだけです。

しかし、人をどの基準で見ているかがわかると、感情に邪魔されずに論理的に判断することができます。

尚、優先順位をつけるメリットについては必要以上に時間を浪費しないことと、後々後悔しないことです。

優先順位が決まっていないと思考がまとまらず、行動に一貫性を持てなくなります。それは軸が決まっていない時に起きてしまう現象で、勉強やスポーツ、何か努力をしたいときに目標を持った方がいい理由と同じです。

また優先順位を整理していくと自分自身の人物像を把握することができます。自分自身の人物像が把握できると自分のやりたいこと、成りたいものが見えてくるため、より人生に輝きができます。

「みんな好き!!」や「誰が一番で誰が二番でとか考えられないよ!!」と思う人もそれでいいかもしれませんが、広く深くの関係の行き着く先は破綻でしかありません

4,最後に

私の個人的な意見ではありますが、「友達付き合い」や「恋愛」などに多少の損得勘定はあれど、全てそれで決めてしまってはいけない考えています。「友達付き合いを通して楽しみたい!!」と考えているのであれば以ての外です。

本来、ただ効率的に生きたいだけであれば必要以上に人と関わるのは合理的であるとはいえず、非効率を楽しむのが人との関わりであるといえます。

もし人生を人と関わる形で豊かに過ごしたいと考えているひとは、いかに効率的に非効率になれるかが鍵だと私は思います。




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