見出し画像

平等を掲げる人達

近頃、ネット記事を読んでいると、必ずと言っていいほど『平等』という題材のものを見かけます。その中でも特に多いのは「男女(ジェンダー)平等について」です。

みなさんは小・中学生の頃、人権についての作文を書いたことがあるでしょうか。私の地区だけだったかもしれませんが、そのようなものを毎年、夏休みになると書かされるため、人権や平等について調べることがありました。

小・中学生の頃の私は黒歴史と称するほど問題児でした。例えば、そのような作文を3年間提出しなかったことを自慢にするなど今では狂っていたように思います。

本記事ではその頃に考えることができなかった分、自分の考えを整理しつつ綴っていきたいと思います。

※私は男なため、少なからずバイアスがかかった考え方となっているかも知れませんがご了承ください。

平等と公平の違い

これは皆さんもご存知だと思いますが、平等と公平は似ている言葉でも全く違う意味を持っています。

過去にニュース記事を読んでいる際、平等と公平の違いについてひと目でわかる画像が流れてきました。そのことをきっかけに、私はふたつの言葉の意味の違いを学ぶことが出来ました。

https://x.gd/q1rMf

上の写真を見てわかる通り、簡単に説明すると
平等は皆に同じ扱いをすること
公平は偏りがなく相応しい対応をすること

となります。

私が過去に読んだ記事では、男女平等などを掲げているのにも関わらず、実際に求めているのは公平というものがいくつかありました。

男女平等について

男女平等を掲げたうえで、「女の子は〇〇だから、そこは男が〜」と主張しているような発言や考えが多いように見受けられます。男女平等を掲げずにその発言をするのであればまだ受け入れることが出来るのですが、女性の欠点を男性が補うという考え方はサポート、どちらかというと公平の考え方であると言えます。

また皆さんは奢り奢られ論争について聞いた事、考えたことはあるでしょうか。約1年前にあるインフルエンサー達がその事について触れたことをきっかけに、世間全体で論争になるほどにまで広がりました。論争になるようなものでは無いとは思いますが、それをきっかけに私も少し考えることがありました。

私の意見は互いにしたいようにすればいい、考えが合う人とデート等をすればいいと思います。また、私は奢り癖があるくらい奢るのが好きです。

よくある話で、「男子と女子でデートをする際に、女性は男性よりもたくさん準備等にお金を使うため、デートでは男性が多めに(全額)払う方がいいでしょ」的な意見があります。

私はこれについて「人によるし、それをさぞ当たり前のようにさせるのはいかがなものかな...。」と思ってしまいます。

偏見になってしまいますが、こういう「女子は〜」や「男子は〜」などと何かを代表して発言しているのが個人的におかしいと感じています。その違和感の原因は主語が大きすぎることであると言えます。

「モテる男は〇〇するよね」や「男性は女性に奢るべきだ!」とあっても、モテる男でも〇〇をしない場合もあるし、女側だけど奢られるのを求めていない場合もある。発信する人も見る人も、それを大前提で考えられていたらいいのですが、ネットリテラシーが足りていないのかそうでない人が多い印象です。

話が逸れてしまいましたが、私は本当に平等を掲げている人、求めている人が少ないと思っています。

私の思う男女平等を実現するために必要なことは、差別と区別を明確に分けること。また、どちらか一方を優遇しすぎないことです。

従姉妹の子がふと「なんで女性専用車両あるのに男子専用車両がないの?」と言い出しました。

その発言を受けてその子の上の子が「確かに、こっちの学校だけかもしれないけど、女子は更衣室ちゃんとあるのに男子はそういうのないよね」と続けて言いました。

確かに女性専用車両は男性からの性暴力(痴漢等)から守るために導入されました。その理屈でいくと、男性も男性で痴漢冤罪について社会問題になったこともあり、ネットニュースでも何度か取り上げられていました。ならば、男性専用車両もあっていいのでは?という考えにも納得いきます。

尚、男性専用車両は鉄道会社側が「ニーズがないから」という理由で導入されていません。
より正確なものは調べてみてください。

最後に

平等を掲げて公平を求める、と綴りましたが、もはや公平ではなく自分にとっての理想的な優遇を求めているだけでは?と思うことが度々あります。

もちろん、そのような理想を掲げてはいけない訳ではありません。しかし、それを口に出すか出さないかで変わります。結果今では『女尊男卑』なんて言葉を聞くようになりました。平等なんて言葉を掲げて、誰かが苦しんでいるかもしれないのです。

何かを発信する際は、主語が大きくならないように気をつけて、そのような誤解から誰かが苦しむことが無くなればいいなと思います。

また、自分自身もひとつの意見に囚われず、広い視野で物事を考えられるようにしたいなと思いました。

皆さんも今1度、大きすぎる主語で自分の意見を押し通してはいないか、逆にそのような意見に流されていないか、考えてみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?