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はじまりの記録はパートナーシップを強くする


夫婦のはじまりっていつだろう?

入籍から1年と少し、いまだに「旦那」と呼べばいいのか「夫」と呼べばいいのか、いまいち定まらないし、口に出すたびに迷いと恥じらいがある。(パートナーの呼び方の正解ってなんだ。。)


職場でも旧姓を使い続ける今、特に何かが劇的に変わったと実感することはほとんどない。

お付き合いをしていたときから地続きに、夫婦はヌルっとはじまった。



結婚記念日、いつにする?


婚姻届は去年の7月21日に提出した。

大安と一粒万倍日が重なっていて、それぞれが何を意味するのかはよく分からないまま、

「なんか良さそうだからこの日にしよっか」

そんな調子でゆるりと決めた。

なにぃ721)~!?やっちまったな!」って。

例えこの先どちらかが記念日をすっ飛ばしてしまったとしても笑えるように。そんな意味も後からもたせた。

しょうもなさすぎて最高だし、
なんならこっちの理由のほうが気に入っている。

実際本当に怒らないだろうと思うし、普通に笑う。互いに日付にこれといったこだわりはないし、怒りの沸点が異常に高いわたしたち。平和 of 平和。付き合いはじめた日だってあやふやである。(これはわたしだけかも笑)
〇か月記念日はやったことがない。


友達からは、令和3年だから
令和3(年)×7(月)=21(日) だね、覚えやすいね!なんて。
…..確かに、まったく気づかなかった。天才かよ。


いずれにせよ、節目の日付はわたしたちにとってそこまで重要ではない。
夫婦になった、というその事実があればじゅうぶんだ。


ていうか、そもそも結婚記念日って、入籍した日?結婚式を挙げた日?

古くからある昔ながらの慣習や制度にさまざまな価値観が飛び交う今、決まりごとだらけかと思いきや、選択がゆだねられていたり。
結婚に限らず、そこは縛られててそこは自由なんかい!!?とか。「もうよくわからんな・・・」と振り回されるような感覚もあったりなかったり。

いっそ決めてくれよとも思うし、自分たちの意思で決めるんだとも思う。


これからますます自分たちで選び、決断をしていく、そういうシーンは増えてくるんだろうな。。



ふうふの始まりを記録する


なぜそんなことを考えていたかというと、
先日CRAZY WEDDINGプロデュースの「ふうふ始季」をちょこっと見学させてもらったから。


概要はこちら


今年ふうふを始めた人、始める予定の人を対象にしたイベント。
※いろんなパートナーシップのかたちから「ふうふ」とひらがなになっているのもステキ


受付をして席に着いたらスパークリングワインでお祝いの乾杯を。

そして「始季録」という、ふたりについて思いを巡らせるシートにそれぞれの今の気持ちを書き留める。

ふうふの始まりを実感できるような婚姻届風の「始季録」


出会った場所
第一印象
初デートでときめいたこと
相手に言われて嬉しかった一言
自分にとって相手はどんな存在?
ふたりで挑戦したいこと
ふたりで一緒に生きる理由
…etc

さらっと書けそうな問いもあれば、じっくり向き合わないと書けないような深めの問いまで。お互いに普段こんな話はなかなかしないんじゃないかと思うし、なんならこの機会がなければ一生知らなかった世界線も大いにあり得る。

スタッフはというと、場を用意してあとはふたりに任せる。
必要以上に誘導も声掛けもしない。
ふたりでつくられる場を信じている。
優しい眼差しとやわらかい雰囲気が会場全体に漂っていた。


あらためてふたりで向き合う時間。どんな気持ちだろう


そんなふたりだけの時間を過ごし、気持ちのセットアップが完了してからポートレート撮影にのぞむ。
慣れないシチュエーションによる恥ずかしさとぎこちなさはある意味「ふうふの始まり」そのもののような感じもした。
はたから見ていても初々しさできゅん死する(古い)

Lovegraphのカメラマンは場づくりとふたりらしさの引き出し方がとっても上手


次第に自然体なおふたりらしい表情があらわれはじめ、その時その瞬間にしかとらえることができないシーンを切りとっていく。


あの日参加した方々は、
「わたしたちはふうふになったんだな」と、
じんわりとそんな実感が湧いてきているんじゃないかと思う。


いつか先の未来から、その日のふたりに思いを馳せる。写真だけじゃなくて、手書きの気持ちも残せるなんてもっといい。

抽象度が高くても解像度が粗くても、
「今」の気持ちとして言葉に落としておくことが
これからのパートナーシップをより強固にするんだなと。



個人的には結婚式はあげてもいいし、あげなくてもいい。
なんとも先が読めず、ひとつひとつの選択に息苦しさを感じるこのご時世、写真で記念に残しておくことだけを選んでもいいし、その決断も大大大賛成。

どんなかたちをとっても良しとされつつある
多様化する考えがますます広がる中、
これからのふたりはどうありたいか、どう関係性を築いていきたいか、互いの意思を確認しあうという場の大切さに気付かされる素敵なイベントだった。


なにを選び、なにを選ばないか。これからそんな話し合いが増えるであろうパートナーとの「今」の確認作業は、こういうきっかけとともに当たり前にできるといい。


それができるふたりは、きっとしなやかに生きていける。

季節ごとに開催されているので、今年ふうふを始める人、始めた人には次回開催の参加を全力でおススメする。



わたしたちの記憶の残し方


最後に少し提案を。
わたしたち夫婦は「とっておきの1日を残す」ことを意識している。


例えば、婚約指輪の代わりに
一生ものとして作ったオーダーメイドのK18のバングル。
そこには「210403」と刻まれている。

一切型をつかわない完全オーダーメイドアクセサリーの「市松


これといった記念日でもなく、ただただお出かけがてら鎌倉のアトリエに訪れた日。
ゴールドの種類とデザインと金額と・・・
いろんな要素に悶絶しながら迷いにまよって2時間以上滞在して決めたモノ。
ただそれだけの1日。それだけだけど、そこに意味をもたせてカタチにして身につける。何気ない瞬間に目をやるだけで、行き帰りの道中を含めて当時の記憶がありありと思い浮かぶ。


一緒に悩んで、大切な宝物として迎え入れる覚悟を決めて買ったその1日が、そのプロセスとともに感情まで鮮明に思い出される。
なんでもない1日が特別なものになる。

先日の入籍1年にはおそろいのブックカバーを。

セイルクロス(船の帆)をつかったくじらが目印の「JIB


記念日や日付はただの数字といえばそれまでで。
その数字に思い出を刻むという意味で、
記憶とカタチはセットで残すという提案。

身近においておけるものだとさらに愛着が湧く。


記念日に縛られなくとも、
残したい日は自分たちで選べるということも改めて。




*****

人の心は生きているだけで日々刻々と移ろいゆくもの。
そんななかで当時の気持ちがよみがえるモノが手元にあると、ふと立ち返る場所となる。


立ち返る場所があるということは
"これまで" に思いを馳せ、"これから" を語るきっかけにもなる。

とっておきの体験とカタチあるものはセットの方が、心と体に強く刻まれる。





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