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「新しい版の前書き」

 新しい版の前書き

 このもの語りがはじめて世に出たのは、いまから10年ばかり前、ちょうど中国と日本との間に不幸な戦争がはじまったころのことでした。

 それから今日までの10年は、世界にとっても、日本にとっても、なんという大きな事件にみちみちた時期でしたろう。世界中を巻き込んだ歴史始まって以来の大戦争が起こり、6年も続いてやっとおさまりました。ドイツのヒットラーが一時はヨーロッパ大陸をすべて支配し、天をつくような勢いを見せたのもつかのま、たちまち没落して地獄に落ち込んでゆきました。イタリア人の自由を押し殺し、暴君のような権力をふるっていたムッソリーニも、みじめな最後をとげました。ドイツやイタリアと結んで東亜に号令しようと考えた日本の帝国主義の連中は、一億の国民をひきずって無謀な戦争に飛び込み、無残な敗北をとげて、いまは国際裁判にかけられています。

 このあらしのような10年の間に、この本もしばらくは世の中に出られない状態にいたのですが、敗戦によって日本はたたきつけられたものの、国民の自由は取りかえされ、こんどこそほんとうに国民自身が日本の運命のにない手となる時代がめぐって来ると共に、なん年ぶりかで、再び世の中に出ることになりました。10年前といえば、なんといっても、今日にくらべればゆとりのある生活を、日本人ももっていました。このもの語りの舞台となっている東京はもちろん、そのほかの都市も、まだ空襲によって焼き払われてはいませんでした。やみ市や浮浪児などもまだあらわれず、まちを走る電車の窓もいまのように破れてはいませんでした。ガラリと一変した今日の時勢に、10年前の少年たちの生活を書いたこのもの語りを、そのまま差し出すのはどうか、---じつは、その点に不安を感じたのですが、改めて読みかえして見て、今日と10年前との違いようがはっきりしているだけに、かえってその心配はいらないのではないかと考えました。まるで生活のしかたのちがう外国の子供の読みものからも、おもしろさを感じとるみなさんは、このもの語りからも何かくみとってくださると信じます。

 それで、こんどもまたこのもの語りを出すにあたっては、文字の使い方を今日の標準にしたがって改め、文章に少し手をいれただけで、内容には手を加えずにおきました。

 なお、この本は、以前は山本先生と私との共著になっていましたが、こんどは、私だけが筆者となっています。この事情については、「この本の成り立ちについて」という文章をもの語りのあとにつけてありますから、それを読んでくださればありがたいと思います。

1948年6月 吉野源三郎

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