見出し画像

『君は放課後インソムニア』森七菜が曲伊咲を演じる必然と、彼女たちに託された「長い夜」への希望とは。

 近ごろ、シネマコンプレックスで働いている身として思うのは「いま上映している映画は、本当に必要な人のもとへ届いているのか」ということだ。商業映画には顧客の属性などで想定されるターゲット層が存在し、配給会社や興業主はそこに向けて宣伝を打つことになるが、いざ実際に公開されると作品の内容が最も響くはずの層が観にきていないという事態が往々にしてある。
 とくに近年は、「実写の青春映画」が若者への訴求力を失っていると感じる。一例として、水墨画の世界を題材にした2022年の青春映画『線は、僕を描く』の興行的苦戦を挙げよう。大きな喪失を経験した主人公が、水墨画を通して世界の機微に美しさを見出し、人と繋がり、生きる力を回復していく姿を描いた本作は、横浜流星&清原果耶のW主演のもと『ちはやふる』シリーズを興行的・批評的成功に導いた小泉徳宏の手により青春映画の傑作に仕上がった。しかし、その評価が口コミやネットで伝わることはなく、結果として興行収入は3億6700万円(『ちはやふる -上の句-(2016年)』の興収16.3億円の約23%!)に留まった。この事態には様々な要因(若年層の観客の嗜好が、この数年で実写作品からアニメ作品に移行したことなど)があるだろうが、喪失と再生を描く本作にはコロナ禍で他者との関わりを失った若者たちの心に寄り添う役割があったはずで、それを十分に果たせぬまま公開期間を終えたことには興行に関わる身として忸怩たる思いがある。
 ゆえに、「この映画は、必要としている人のもとへ絶対に届けねば」と思った作品についてはこうして筆を執り、少しでも多くの人に観てもらえるきっかけを作りたい(そんな作品に出会えることは、映画ファンとして本当に幸せだ)。

 6/23(金)より公開している『君は放課後インソムニア』も、まさに”いま”を生きる若年層(特にコロナ禍のティーンエイジャーたち)へ届いてほしい青春映画だ。中見丸太(なかみ がんた)は、不眠症のことを誰にも話せずにひとり孤独に暮らす高校一年生。本作は、丸太が自身の不安や絶望を吐露するモノローグから始まる。 「どうしてみんな朝が平気なんだろう」「どうして俺だけが変なのだろう」誰とも分かち合えない孤独に苛まれながら朝の光に紛れていく彼の姿は、コロナ禍の調査でその4割が孤独を感じていると報告されている学生たちの等身大と重なる。つまり、本作の中心には図ってか知らずか「”いま”を生きる若者が共感し得る主人公」が据えられているのだ。ちなみに、丸太を演じる奥平大兼も若干19歳で、コロナ禍のなか高校生活を送ってきたことを本作のインタビューで度々触れている。

そんな「”いま”を生きる若者が共感し得る主人公」丸太は、学校の使われていない天文台のなかで、同じ悩みを持つクラスメイト・曲伊咲(まがり いさき)と出会う。天文台を拠点として”夜のお楽しみ会”を結成したふたりは眠れぬ夜を分かち合う仲となるが、ひょんなことから(元)天文部顧問・倉敷先生にその活動がばれてしまう。丸太と伊咲は天文台を守るため、倉敷の助言により天文部の復活を決意。そこから二人のまわりにクラスメイトや天文部OGとの繋がりが生まれていき…というのが筋書きだ。
 ここで伊咲を演じるのが森七菜であることは、本作において必然といっていいほどに重要な意味をもつ。YouTubeでのMV再生数が4,000万回以上を誇る『スマイル』(2020年)や、岩井俊二・是枝裕和といった名だたる監督のもとで天真爛漫を文字通りに体現してきた森七菜は、もはや若手俳優たちの中でもスター級の存在といって過言はないだろう。しかしキャリア初期の彼女が、いじめに苦しみ自殺未遂を起こす中学生(ドラマ『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』, 2018年)や両親の再婚に惑う少女(映画『最初の晩餐』, 2019年)を演じて評価されたことには今いちど注目せねばならない。  
 『スマイル』が大ヒットしたせいか森七菜は「元気で明るい」というイメージで語られがちだが(それは間違いではない)、一方で彼女は強烈な憂いを帯びた役を演じることもできる女優だ。ときに、彼女の目は行先を探すように動き続ける。瞬きも多くなる。そういった微細な動きが笑顔と切り替えにふっと現れる瞬間、彼女がまとう「まるでどこかへ消えてしまいそうな雰囲気」が観る者の不安を誘う。

森七菜がブレイクする直接的なきっかけとなったのは、声優としてヒロイン・天野陽菜(あまの ひな)を演じた2019年のアニメーション映画『天気の子』だが、陽菜は”晴れ女”として世界の命運を背負わされながらも、表向きには闊達で明るい表情を見せるような少女だった。監督の新海誠は、森七菜を起用した理由を「ずば抜けて良いと思ったし、同時にやや不安定だとも思いました。(中略)彼女の不安定さはまるで天気そのもののようで、陽菜のことを教えてくれるのは七菜ちゃんかもしれないと思いました。」と語っている。『天気の子』の公開後も、森七菜は自身の楽曲への作詞提供を新海誠に依頼するなど、両者の間に良質なコラボレーションが生まれているが、それは新海誠の見抜いた「不安定さ」を彼女自身が本質と受け止め、彼のまなざしに信頼を寄せているからだろう。

 では、曲伊咲を森七菜が演じることにどのような必然性があるのか。そこには、伊咲に課せられた「生まれつきの心臓病により、いつ危険な状態に陥るかわからない」という境遇が関係する。つまり彼女は、丸太の仄暗い日々を照らす存在でありながらも同時に未来への不安を抱えている、まさに森七菜のような「不安定さ」を持った人物なのだ。本作は週刊ビックコミックスピリッツに連載されている原作漫画(作:オジロマコト)が存在しており、伊咲のキャラクターは決して森七菜にあて書きされたものではない。しかし、演じている森七菜の性質が伊咲とシンクロして、役の真実性をぐんと底上げしているのだ。役者と役柄の、これほど理想的な巡り合わせもないだろう。
 森七菜により真実性を獲得した伊咲は、物語において「未来への希望と不安」を象徴している。そして、一寸先の未来に怯えながらも目いっぱいに命を謳歌しようとする彼女の姿こそ、丸太もとい映画を観ている「”いま”を生きる若者」たちへ希望を与える、いわば本作のメッセージとなり得るのではないか。
 丸太は世界への希望を失いかけている。幼少期に経験した母との別離をきっかけに発症した不眠症を、父親にも学校のクラスメイトにも相談することができず、自分のなかで孤独を膨らませ続ける。そうして丸太は、天文台で伊咲に「しんどすぎて死にそうだ」とつい言葉をこぼしてしまうが、伊咲は「そんな簡単に人は死なないよ」と返すのだ。彼女は、開いた天文台の屋根から射す光を背負いながら丸太にある提案をする。「ただでさえ長い夜はしんどいんだからさ、面白くしよう!」。

 2020年に世界がコロナ禍に突入してから3年。日本では、ウイルスに対する法的分類が変わったことをきっかけに、行動制限やイベント・集会の開催制限が緩和されるなどして「正常な」社会へ戻ろうとしている。学校でも入学式・卒業式などのイベントが開催されるようになり、これからの学生たちが他者との触れ合いに対して不必要な後ろめたさを感じることもなくなるだろう。しかし、コロナ禍のなか学生生活を送った者たちが「正常な」社会に馴染めるかどうかは別問題だ。この数年の間で心にこびりついた不安や、あたり前になっていたソーシャルディスタンス、精神面におよんだ負の影響はきっとこの先も彼らの生活に響きつづける。彼らもまた、丸太のように分かち合えない不安をかかえながら生きていくのだろうか。その未来は、まだ「長い夜」の中にある。
 伊咲の提案は、彼らが言葉のまま真っすぐに受け取るには眩しすぎるかもしれない。彼女の言葉に触れて丸太が起こした行動や、そのたびに訪れる出会い・挫折・葛藤もまた絵空事と思われるかもしれない(実際、フィクションなのだから)。しかし、作中で伊咲と丸太が「長い夜を面白くしよう!」とした前向きな気持ちは、スクリーンを通して”眠れぬ夜に 届いた光(本作の主題歌である『夜明けの君へ/TOMOO』からの引用)”のように観客へ届くのではないだろうか。
『君は放課後インソムニア』の終盤、日没の海辺で丸太と伊咲は他愛無いやり取りをくり広げる。嫌なことしかなかった夜のこと、いまは天文台があること、伊咲と丸太がいること。再びやってくる夜に向かい、ふたりはこう叫びながら駆け出す。「この世界って、やりたいことがありすぎる!」。

 心の傷も癒えぬまま「正常な」社会を生きる人々が、どうか世界に希望を見出せますように。そんな祈りに満ちた『君は放課後インソムニア』は、彼らの「夜明け」をつつむ朝日のような作品となるだろう。その光が、少しでも多くの心に届くことを願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?