たまに未来がわかる
皆さん、正夢は見るだろうか。
割とよく聞く言葉であると思うが、正夢とは夢にみたことが現実になることだ。
子供の頃から僕はこの正夢をよく見た。
正夢を見たと言ってもそんな大したことではない。
この瞬間を夢で見たとか、同じ体験を夢で体験したという程度だ。
それは大人になってもよくあった。
でもその見た光景や体験は大したことのないなんてことない瞬間だ。
その瞬間が訪れたときに、その瞬間を夢で見たことを思い出すという感じである。
ある意味ではデジャブと変わらない取るに足らない体験である。
さて、これ自体は実は前置きである。
近年はそれとは別のちょっとしたことがあった。
それはタイトルにある通り、自分の未来が多少見えるというものだ。
見える日にちは実は決まっている。その日の年の1月1日である。
どんな感じかというと、大晦日に寝て、正月に起きた瞬間に自分がその一年どんな一年になるのかわかるというものだ。
これが始まったのは5年ほど前からだ。
ちょうど起きた年は、その年自分に恋人ができるという啓示がでた。
その年の4月に恋人ができて、そのままその年に婚約した。正直結婚までは想像しなかったが。
次の年は試練であるという啓示が出た。まあ、なかなかに大変な年だった。どうしんどかったかは申し訳ないが割愛する。(ついでに入籍と式もした)
そんな感じで毎年どんな年になるのかの啓示が出て、大体その通りになっていたいうのが私の不思議体験である。
そんな体験もしたからか占いとかも見るようになった。しかし占いで色々出るがそんなことよりも、精度が高いのでそちらの予感というか啓示の方を信じるようになった。
こうなると、1月1日を迎えるのが楽しみであると同時に不安にもなる。
なぜなら、その時の啓示でその年が決まるので、どんな啓示を受けるのか気が気でなかったからだ。いい啓示が出たらそれはいいが、悪い啓示が出たらどうしようかと結構ストレスになるのだ。起きたらその一年が決まるのだ。受験の合格通知のような緊張感がある。
そんな不思議体験が続いていたのだが今年初めて、なくなった。起きても何もなかったのである。
最後の啓示は出会いだった。
去年何があったかというと、子供が生まれてきたことだった。しかし、これはある意味わかっていたことではあったので、啓示と言えたのかどうかは正直微妙だと思っている。去年あたりから啓示の力がちょっと下がった感じはした。
そんな体験が私の不思議体験だ。
もちろん、とても個人的なことだから、こんなことを言ったところで他の人からしたら「だから何?」というのはわかっている。オカルトじみているので妻(その時の恋人)にしか言っていない。
しかし、自分はそんな経験を割としているから運命というものも割と信じている。人間は何か自分の力及ばない、そんな何かがあるように思えてしまう。
運命や摩訶不思議を信じる、信じないなんて人次第だと思う。
けど、人によってはそんな体験もしていることを少しでも知っておくのもいいんじゃないだろうか。
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