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【正直】『プラダを着た悪魔』に学ぶ”職業と自己一致”

初めましてアリソンです。

この記事はこのアカウントで2本目になります。
私がどんな人間かは、というより今どんな状態かを知っていただくには
1本目の記事を見ていただくと、わかりやすいかも知れません。

私は現在、新社会人として多くの人が経験するであろう
「仕事を辞めたい」「転職したい」という想いに駆られています。

学生時代の無限にあった時間と責任感という柵がないフリーダムから、あらゆる制約をかけられ、しんどい思いをしながらお金を稼ぐとこが資本主義社会の”当たり前”なわけですから、逃げたいのに逃げられない。
そんな苦しいを思いを、絶賛抱えているわけです。

そんな私が取り組んでいることは
「やりたいことを見つける」ことです。
転職をするにも今の仕事を頑張るにも、やりたいとがないと結局は袋小路のままだと思うのです。

その過程で見出した「自己一致」というものについて語りたいと思います。


『プラダを着た悪魔』でアンドレアがした決断

本日『プラダを着た悪魔』を見て、とても感銘を受けたシーンがあります。いや、映画全体のテーマと言ってもいいでしょう。

ここからネタバレになってしまうので、
見たくない方は目次に戻って次の項目に移ってください。

お気をつけください。

映画の全体のテーマ

私が感じたこの映画のテーマは
自分の信念に背く行為は、例え社会から評価されようとも長続きしない』ということです。

主人公アンドレアはスタンフォード大学院への推薦を蹴って、ジャーナリストになる道を選びました。

様々な出版社に履歴書を送る中で、ファッション業界で知らないものはいないと言われているファッション雑誌編集長ミランダの秘書として採用されます。

彼女はファッションに無頓着で入社当初はミランダをはじめ社員から白い目で見られる始末ですが、彼女の負けん気が功を奏し、次第に仕事をこなせるようになり、認められていきます。

映画終盤、ミランダはアンドレアに向かってこう言います。
「あなたは私と似ている」
「人が何を求めているかを超えて、自分のために決断できる人よ」と
ミランダがアンドレアをついに完全認めた感動的シーンです。
一流ファッション誌の世界では、時には他人を蹴落としてまで
前に進む決断をすることを、ミランダは美徳としているわけです。

しかし、アンドレはこう返します。
もしこの世界を望んでいないとしたら?
 あんたのような生き方が嫌だったら?

その言葉にミランダはこう言い放ちます。
バカ言わないで、誰もが望んでいることよ。誰もが憧れているのよ」

この言葉を聞きアンドレアはミランダの元を去る決断をしました。
自分が望んだ生き方>を手に入れるために。

「自己一致」の重要性

そもそも自己一致とは、簡潔に言えば
外面が内面位したがって行動すること>と言えるだろう。

自分がやりたいと思ったことを、周囲に反対されようともやる。
自分の性格に反して、他人に怒るようなことはしない。

周囲からの弾圧や同調圧力に臆せず自分で決断して行動できる人あるいは状態。
(仏教の言葉である正直(せいちょく)と同義かもしれない。)

これを聞いただけでも、そんな人間になれるもんならなりたいと感じてやまない。

自己が一致しない状態、つまり自己不一致はとても苦しいものだ。
自分のやりたくないことをやらなきゃいけないわけだから。
それでも人はその不一致の状態を正当化し、適合しようとしてしまう。
そうして人は生き延びてきたからだ。

月並みではあるが、1度きりの人生それでいいのだろうか。

私は嫌だ。後悔ばかりしてきた私はこの先何十年と続く人生を
他人が作ったレールの上で走り続けるのなんてごめんだ。
せめて自分で作ったレールに乗りたい。
あるいは、他人のレールに同乗する形だったとしても自分がそれでいいと思うならそれでいい。
ただ、惰性で走り続けるのは嫌だ。

だから私が私に求めるのは、自分を知って肯定して、
その想いに従って行動すること。それだけだ。
やりたいことを見つける好きな仕事をするなんてのは二の次で、
本来の自分を自分に教えてあげなくてはいけない。

アンドレアは、横道に逸れたものの
しっかりと自分の道を自分で見つけることができた。
彼女がそうなれたのは自分の信念が明確だったからだ。

今の社会はそうした人間が憧れの的となると同時に
攻撃の対象になってしまっているように思う。
多くの人がそうなれない自分に、失望と苛立ちを感じるからだろう。

私も同じだ。

どうすれば自己一致を実現できるだろう。
自分を信頼することから始まるのだろうか。
たくさんの失敗を経験すればいいだろうか。
ただ、目の前のことに全力で取り組めばいいだろう。
あまりにも常識や社会性というしがらみのせいで、身動きが取れない。
そんな自分に辟易としながらも。

いつか、アンドレアのように自由と幸福を手にし、
本来の自分の姿で人生を歩みたいと切に思う。

終わりに

本記事も、構成もクソもない。
思いつきとやっつけで、今感じていることを書いた。
こうしたアプトプットは私にとっては、透析だ。
こうして自分の中の考えを外に出し、再び受け入れる時に自分はどう感じるか。
そこに成長と変化があるように思う。






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