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「目が見えない」から考える先入観や世界の広がり

TBS系日曜ドラマ「ラストマン-全盲の捜査官-」から考えたこと。

このドラマの主人公、福山雅治さん演じる皆実広見さんは、「全盲」のFBI捜査官という設定だ。福山さんは皆実さんを演じるにあたり、幾人かの全盲の方やともに活動する方と直接会い、話し、全盲所作指導を受けられている。ラストマンを紹介する雑誌の記事やラジオでのトーク、対談などを見聞きすると、どれだけ丁寧にその役柄が作り上げられていったのかが分かる。

そういった数々の制作や役作りに関する話を見聞きしたうえで、ラストマン放送開始当初からたまに見かける意見、福山さんの演技が目が見えないようには見えない、皆実さんは本当は目が見えているんじゃないか、といった意見は興味深いと思う。

目が見えないようには見えない、本当は見えてるんじゃないかと感じるということは、その人のなかに「全盲の人とはこういうものだ」というイメージがあるのだと思う。実際私も、皆実さんの「全盲」という設定を知ったときに、ぼんやりとこんな感じかなとイメージするものがあった。

では、そのイメージがどこから生まれているかというと、意外と根拠に乏しい。なんとなく、もし自分が目が見えなかったらこうかな?という想像や、これまで各種メディアで触れてきたかもしれない視覚障害者の方々の情報、街中でお見かけすることがある白杖を持つ方々や、盲導犬と共にいる方々、そういった断片的な想像や記憶からイメージが作られている。

そして、ラストマンの制作や皆実さんの役作りに関する話を見聞きすると、そういったイメージがまったくの間違いではないかもしれないけれど、すべてでもない、むしろごく一端であることに気づかされる。全盲の方々のなかでも、一人ひとりできること、やり方には違いがある。あるいは目が見える一人の人間には想像できなかったできること、やり方もある。

自分のイメージと違うから「おかしい」と捉えるのか、「そういうやり方もあるのか」と捉えるのかで、ラストマンの印象はまた変わるかもしれない。

皆実さんという人物は、誰か特定の全盲の方をなぞっているわけではなく、他の誰でもない、皆実さんという人なのだと感じた。だから、何かのイメージと比較して「目の見えない人はこうじゃない」というのは、それは皆実さんだから違うこともあるだろうし、でも同じこともあるだろうなと。

ここまで考えて、これは、目が見える見えない以外の話にも広がっていくなあと思った。

「○○だから××だ」「○○は××じゃないとおかしい」というのは、たしかに自分の限定的な知見のなかではそうかもしれないけれど、世界を広げてみたらそうでもないかもしれないということ。

そういえば、全盲という設定以外にも、このドラマはそういう仕掛けやメッセージが多いような気がする。共感できるところが面白いのはもちろんだけど、共感できないところに対しても、なにが自分のなかでひっかかっているのか考えてみることで、思考の広がりがある。

つくづく、ただ楽しいだけでは終わらせない作品だなあと思う。

先日見たEp.8もものすごく良かったのでTVerで隙あらば見直してしまっている(もちろん録画もしている、でもDVDが出たらすぐ買うと思う)。この話についても別途思いの丈を語りたい。


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