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あっさり不合格

高校時代、私は弓道部に所属していた。

弓道にも段位がある。
うろ覚えだが高校2年の時に一級の試験を受け、同級生全員が一緒に合格した。

翌年、またみんなで試験を受ける時期がやってきた。
一級の上は、言うまでもなく初段だ。

高校生活の中で人並みに部活に励んでいれば、ほとんどの部員が受かるよね、という認識の『初段』。

その試験に、私は落ちてしまった。

別にサボり癖があったわけではない。

仲間と足並み揃えて、放課後は練習に励み、それなりに経験を積んできたつもりだ。

でも、あっさり落ちたのだ。

…たぶんセンスが無かったのでしょう(笑)。

上手な先輩は初段から二段、三段…と挑戦して受かる姿も見ていたし、さすがに初段は落ちないだろうと思っていたので、当時はけっこう凹みまして。

きっと、落ちたという事実よりも、周りのフォローや気遣いに申し訳なさを感じたり、少なからずあったプライドが傷付いていたり…そういうの全部ひっくるめて認めたくなかったり。

一言で表すと『恥ずかしかった』のだと思う。

場の空気を壊さないよう表面では笑ってごまかしていたけれど、心はしっかり泣いていた。

そんな出来事が、確かにあった。


それがね、時が経つと不思議なもので。

社会に出ると、職場や何かしらのコミュニティの中で、「学生時代、何かスポーツやってました?」という話になることが時々あるじゃないですか。

そこで『弓道』というワードを出すと、決まって「すごい!」と驚かれ、その場が少し盛り上がる。

決してメジャーなスポーツではないからこそ珍しがられ「どうやってやるの?」と、関心を持って聞いてくれる人がいる。

「弓を引くと、無心になれて楽しいんですよね」
「弓道ってメインは5人で1チームの団体戦なんです」
なんて語れる自分もちょっぴり誇らしくて。

いつからか、初段に落ちたあの日のことも、思い出話として自然と人に話せるようになっていた。

そこに恥ずかしさやネガティブな感情は一切なく、むしろ今では
「楽しく続けてたんですけど、たぶん私センス無くて普通にやってればみーんなが受かるはずの初段に、あっさり落ちたんです(笑)」
と、完全にネタとして笑いを取るまでになっている。

大人になり、こんな風に楽しく話せる日が来るなんて…素直に嬉しかった。

笑って話せる自分も、『なんか良いな』と思えた。

それを笑顔で聞いてくれる相手がいることもまた『幸せだな』と感じて、会話が進む中で、ポカポカと心が温まるような感覚には自分でも驚いた。


時間が解決するとまではいかなくとも、時間とともに心は変化するし、人生は進んでいく。
この出来事を通してすごく実感できたことだった。

人生、何があっても大丈夫!なんて絶対に言えないし、辛いときはどう足掻いても辛い。
中には経験しなくていいような挫折だって沢山ある。
それでもふと、心が軽くなる日が来たりもする。

今日の私が抱えているモヤモヤが晴れるのは、果たしてどれだけ先だろうか。
1年後かもしれないし、10年以上かかるかもしれない。
今はまだ分からないけれど、きっといつの日か…と信じて時間の流れに身を任せていたい。

少なくとも私は、心で泣いたあの日の自分に「大丈夫だよ!むしろちょうどいい自虐ネタだよ〜ナイス!」と声をかけてあげたくなる、そんな今を生きている。


#創作大賞2024
#エッセイ部門

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