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白ご飯の幸福

日本に胴長体型の人が多いのは、ご飯を溶かすために腸が長くなったのだとか。そんな話を信じてしまう程、我々の主食としてご飯は頂点に君臨している。

朝ごはんはパンか、ご飯か。日本人ならそう1度は訪ねられる事だろう。友人は「安いし、手軽さがいい」と食パンを毎朝食べているらしい。スーパーで見かけた、食パン8枚切り99円。パン派になるのも納得の安さだ。

私はご飯派だ。ご飯が好きで胴長体系な私は、冒頭で話した「ご飯が好きな人は胴長」説を少し信じてしまう。
私には、パンが好きなスタイル抜群の従姉妹がいる。10cmは背丈が違う筈なのに、並んで座ると私と座高がぴったり一緒なのだ。やはり、ご飯が原因かと疑うのも仕方ないことだろう。

それでもパン派に転向しなかったのは、白ご飯が私を惹きつけて止まないからだ。

炊飯器から漏れ出る、お米特有の香しい匂いがする。森林浴に来た人のように空気を胸いっぱいに吸い込みたくなる。
1度、もっと吸い込みたくて顔を蒸気に当てたことがある。鼻を火傷したのはご愛嬌だろう。

蓋を開けると、白い湯気に包まれてこれまた白い米粒が姿を表す。しゃもじで掬うと艶やかな表面がよく見える。お気に入りのお茶碗によそえば、それだけで拍手喝采ものだ。

ご飯はなんにでも合う。給食の牛乳をご飯にかける悪童もいる。冷たい牛乳と暖かいご飯は相性が悪い。だが、それも火にかけてチーズを散らせば美味しいリゾットになるのだ。

ご飯は聖母マリアのように海よりも広い懐で何でも受け止めてくれる。日本以外でも米が使われる料理があるのが何よりの証拠だ。
パエリアにチャーハンと言ったものから生春巻きやフォーなど。一見して米とは分からない姿にもなれる。米粉となり、パンにもなれるのだ。忍者のように変幻自在。素晴らしいポテンシャルだ。

でも、私はそのままの姿の君が好きだ。恋の歌に出てきそうな言葉だが、あながち間違っていない。私は白米に恋している。

茶碗に出来た小さな丘に、何を乗せようか。考えるだけで小躍りしたくなる。日の丸のように梅干しを添えても良いし、漬物というオーソドックスな手もある。お茶を注いでお茶漬けにするのも一興だ。生卵を落とし卵かけご飯にする方もいる事だろう。
選択肢は無限にある。茶碗の中に広がる小さな宇宙のようだ。

最近、私が白米のお供として選んでいるのはネギだ。あるレシピを見つけてから、専らソレばかりだ。

「料理研究家リュウジのバズレシピ」というチャンネルのレシピだ。大変お世話になっている。

ネギ、味の素、ごま油、塩、白ごまで出来る簡単なご飯のお供なので是非試して欲しい。

私はこのレシピに卵は落とさず、そのままご飯と頂く。湯気の経つご飯を舌に迎え入れた時の幸福感と言ったら…最高の2文字しかない。しばらく、夢中で口に掻き込む。最後の1粒まで、入念に箸で掬いとる。

白ご飯は湯気も美味しい気がするから不思議だ。
満足感がお腹いっぱいに広がる。背もたれに体を預け、その余韻に浸る。農家の人に感謝の気持ちでいっぱいだ。

少し面倒かもしれないが、米を手で研ぎ、炊きたてのご飯を作って欲しい。
お茶碗一杯分の小さな幸せを噛み締めれる筈だ。

おしまい

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