裁縫箱

私の部屋にある裁縫箱は小学生の時に買ったものだ。
透明のラメ加工されている蓋に、黄緑色のクローバー模様がプリントされている。お弁当箱のような作りで、2段に分かれている。
2階には、針山、メジャーに糸、そしてまち針など裁縫道具の代表達が顔を並べている。用途によって長さが違う針も準備されているが、乱暴者の手によって、何本か曲がってしまっている。乱暴者とは、私のことだ。

1階には、家庭科の授業で使った練習用の布が入っていた。ボタンの付け方や「なみなみに縫ってみよう!」「まっすぐな線を縫ってみよう!」と漢字の練習ドリルのようなガイドライン付きだ。

しかし、初めて私が針を持ったのはこのお裁縫箱を買った時ではない。

私の母は多趣味だ。編み物に園芸、DIYやアートクレイ等々、他にもあるが割愛させて貰う。縫い物も母の趣味の一部だ。

私は覚えてないが、幼稚園頃に母から刺繍を教わったことがあるらしい。ハートの模様を布に描き、
「この線に沿って縫うように。」
と、母が糸を通してくれた針を私に手渡した。私は指示通りに布を刺していく。ちく、ちく、ちく。
「出来た。」
ものの3秒で完成した。驚異的なスピードだ。母は驚いた。娘の私はたった3針で縫い終わってしまったからだ。

それは見事な三角形だったと、母は笑いながら教えてくれた。

どうやら刺繍は私に向いてないらしい。大雑把でせっかちな私は刺繍に嫌われた。でも、刺繍を見るのは好きだ。

ただの糸が緻密な模様で布を飾り立てる。縦横無尽に糸が走っていても絡み合うことはない。その様はオーケストラが奏でる、複雑な協奏曲を連想する。

大人になってからも「簡単!こぎん刺しキット」を購入して刺繍をした事がある。こぎん刺しは青森県津軽に伝わる技法らしい。

繊維の間が見える麻に、太い針で刺す。子供の時とは違い、3針で終わったりはしない。図面通りに一つ一つ完成に近づけていく。
しかし、中々思うように進まない。こんな手のひらよりも小さい布だと言うのに、まだ終わらない。段々と苛立ちが募っていく。
イライラが爆発したのは、あと半分くらいという所で間違っている箇所を見つけたからだ。ハンカチがあったら、噛み締めて金切り声を上げながら引っ張っていただろう。人から「怒ったことがなさそう」と言われる私が、こうなるのは珍しい事だった。

その後、何とか完成させた。達成感はあったが、次があったら遠慮したい。私に刺繍は向いていないことを再確認したのだった。

服を縫う機会もあったが、針と私は水と油のように相容れない存在だという事の証明になった、とだけ言っておく。

次に裁縫箱を開けるのは、遥か遠い未来になりそうだ。


おしまい

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