いる、いらない

ベットの上に小さな山ができあがっている。タンスやクローゼットの洋服達をかき集めた為だ。私は手を突っ込み、Tシャツを引っ張り出す。

これは、手触りが悪いから気に入らない。Tシャツから手を離し、床に落とす。
次は、ワンピースを手に取る。これは、色が可愛くてお気に入り。生地をひと撫でし、ハンガーに吊るす。

いる、いらない、いる、いる、いらない。

気づけばベットの上は更地に戻っていた。私の足元にはお別れする衣類たちが散らばっている。私はそれらを大きなポリ袋に押し込んだ。次は何を捨てようか、私は部屋を見渡した。

床の上には、家具以外何も無い。毎朝、ロボット掃除機が頑張ってくれるお陰で埃一つない。

机の上は収まりきらなかった本が積まれていたり、祖母がくれたお菓子が置かれていたりするので少し雑然とした印象だ。

本棚はもう入るスペースが無く、物達が狭苦しそうに肩を寄せ合っていた。
「あそこは1度精査した方がいいかもしれないな。」
しばらく読んでない漫画や、大学の時の教科書などはもういらない筈だ。

私の実家は物が多い。私の一家はモノが捨てられずリスのように溜め込むからだ。本来、広々としたリビングは半分以上は物置と化している。本当の物置は触ると雪崩が起きそうなぐらい積み上げられて、収納スペースとしての機能を失って久しい。

家族の中で唯一片付けが出来る人間として、使命を全うするべく、片付けようとした。だが、自分の所有物では無いものばかりなので一向に捗らない。持ち主に毎回、確認を取るのは気が滅入る。

「これは、いる?」
「使えそうだから置いておく。」

「使えそう」。ああ、恐ろしい。悪魔のワードだ。もう二度と聞きたくない。その、10年ものの穴の空いた絨毯をいつまで眠らせておくのか。大量にコレクションした紙袋はいつ、披露する日が来るのか。

私は家を綺麗にしたいあまり、色んなHowto本に手を出した。
断捨離やミニマリスト、お掃除研究家はたまた心理学者云々。様々な人が教祖となり、私は聖書片手に奮起した。

しかし、圧倒的な物量の前では私は無力だった。片付けた端から元の状態に戻っていく。

家の片付けは停滞し、私は放棄した。これは無理だと。私ひとりで片付けるには荷が重い。気力がポッキリ折れてしまった。

家族の協力無しでは到底無理だ。私は自分の部屋に撤退した。私だけの聖地を築き上げよう。
お片付け大戦争に完全敗北した私だったが、小さな領地であれば統括することは容易な筈だ。

私の捨てるか、捨てないかの基準は恐らく「必要か、否か」だ。

服は感触が悪い物は好きではない。試着せずに買うと良くあることなのだが、肩の縫い目が違和感があって気持ち悪かったり、布全体がチクチクと肌を刺すものがある。そういう物は持っていても全く着ない。

絵を描くこともあって資料としての本が沢山ある。あとは、料理本や生活に役立ちそうな本などが棚に収まっている。最近は電子書籍に乗り換えることを検討している。

例外もある。思い入れのある物は中々、手放せない。小学生の時の年賀状。仲が良かった友達とやり取りしたノートの切れ端。本が擦り切れるほど読んだ児童書。もう、それ等は必要ないが引き出しの一角に陣取っている。
仲違いした高校の友達の物は、最近になってようやくお別れできた。

以前より、物が少なくなった部屋をもう一度見渡す。

できるだけ荷物は少ない方がいい、持てるものは限られている。いらないものまで持っていては、重さで潰れてしまう。

もう少し減らしてもいいかもな、とビニール紐で縛った本を持つ。空いた片手で服を纏めたビニール袋も持ち、私は部屋を出た。


おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?