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「人生で手に入らなかったもの」が持つ凄いチカラ

こんにちは。ライフキャリアコーチ・臨床心理士のAriです。
この記事では母との会話をきっかけに考えた「人生で手に入らなかったもの」の持つ凄いチカラについて書きます。

母との会話をきっかけに巡らせた「人生で手に入らなかったもの」への想い

「明日noteに何を書こうか」
昨晩、そんなことを考えながらお風呂に浸かったときも、朝一番にペンを持ってノートに向かったときも何も浮かばなかったのに、
先ほど、泡立てネットで丹念に作り上げた泡に顔を埋めた瞬間に浮かんだのがこのテーマでした。

昨日ふと思い立って帰省して、母といつものデパートに向かう長めのドライブの車内で色んな話をしました。

これまで培ったプロとしての説得力と信頼

「お互い色んな経験をさせてもらったね」
どちらからともなくそんな言葉がポロリと溢れました。

母は開業医として、私は臨床心理士として、数え切れないほどの人生、家族に寄り添わせてもらっています。

普通の職業の人では知り得ない、人の壮絶な体験や過酷な事実、痛みや孤独を目の当たりにし、見聞きしてきました。
その中で専門家として自分が役に立てることもあれば、無力感に直面することもありました。

勤務医をしながら3人の子育てをしてきた母は、癌から回復した50歳のときに所縁のなかった土地で念願だった内科・小児科を開業し、今も現役で活躍しています。

コロナ禍に入院してしまうと別れ際に会えなくなってしまうという理由で、自宅で大切な家族を看取りたいと願うご家族が増えて「おばあちゃんが先生に看取ってもらいたいと言ってる」と、それまでの関係性から母に最期を看取ってもらいたいと仰る方が少なくありませんでした。

母は往診を重ねてそのご家族に寄り添い、夜中でも連絡があれば駆けつけ、亡くなった方とそのご家族の頑張りを讃えて、明け方に帰ってきました。

そんな母をみて私は「これが母の天職なんだな」と思いました。

私もありがたいことに、最近少しずつ専門家としての信頼を頂けるようになってきました。

色んな人生を見て、寄り添ってきた、全力で関わってきたからこそ培われた専門家としての説得力、信頼は誰にも奪うことのできない宝物だと思っています。

「人生で手に入らなかったもの」への想い

そんな母が言ったのです。

「でも、私は論文を書いていないから医学博士ではない。ちゃんと研究をしてきていない。そこをいつも引け目に感じているの。だから私は勉強し続けるのよ」と。

医師になってすぐに妊娠した母は医局に入って研究することができなかったこと、アカデミックな世界で能力を発揮しきれなかったことを、今も心の閊え(つかえ)にしているのです。

翻って、私は4歳から21歳までバイオリニストを目指していました。
毎日欠かさず練習し、音大にも通わせてもらい、海外の講習会にも参加し「なんとかこの1741年製のオールドの楽器の音を瑞々しく現代に蘇らせたい」と思ってもがいていました。
でも、私はオーケストラの入団試験を受けようというアイデアが浮かばないほど、自信を失い果てて、楽器を弾くの止めました。

音楽家として才能のある人に囲まれ、自分の演奏で多くの人を幸せにする人生はそこで途絶えてしまいました。

「そこにあったはずの人生」「手に入ったかもしれない人生」について想いを馳せるとき、私たちは何故こんなにも胸をえぐられるような気持ちになるのでしょう。

李禹煥の絵画を前に感じたこと「人生は手に入らなかったものでできている」

そんなことを考えていて想起したのが、2022年に国立新美術館で開催された李禹煥(リ・ウファン)の回顧展で出会った絵画「線より」の前に立ったときの感覚でした。

《線より》1977年 岩絵具、膠/カンヴァス 182×227 cm 東京国立近代美術館(写真は一部)

禁欲的とも言える筆遣いで描かれた線。
この作品の前に立つと、まるで作者が呼吸を整えながら一筆一筆描く時間、張り詰めた空気を目の当たりにしているかのような錯覚を覚えました。

今、私はチケットを購入してこのアート作品を享受する立場にある。
作者は自分の人生の時間の1分1秒を沢山の人の心に訴えかける作品の制作に費やしている、

そう考えたときに
「私、なにしてるんだろう」
「私はこれまで何をしてきたんだろう」
「そして、何をしてこなかったんだろう」
と思ったのです。

私も本当は多くの人の心の琴線に触れる音楽を生み出す人になりたかったことを、悔しさと痛みと共に思い出し、生産性のない自分に嫌気がさしました。

と同時に、李禹煥の筆遣いの「かすれ」と余白の部分を目にしたときに、心に残っていた焦りわだかまりが、ふと解けていくのを感じました。

そうか、「私の人生は手に入らなかったもの」でできているんだ。

「今の自分じゃない何かにならなければいけない」
「手に入れられたはずの人生以上の人生を手に入れなければならない」

そう焦っていた自分に気づき、涙が出てきました。

「人生で手に入らなかったもの」が持つ凄まじいパワーについて

話が飛び飛びになりますが、母がアカデミックな世界で活躍する人生を手に入られなかったことは間違いなく彼女が今の仕事に全力を注ぐ馬力の一助を担っていると思います。

彼女の悔しさや痛みは、目の前の患者さんとご家族への底知れない献身へと昇華されているように私からは見えます。

私はまだ道半ばにいます。

未だに才能溢れる表現者への憧れと、時折、頭をもたげる「私がその場所に居たかった」という嫉妬の気持ちに気づくと、自分でもドキっとしてしまうから。

それでも、「人生で手に入らなかったもの」が今の自分の湧き出すパワーの源になっている実感が私にはあります。

人は得られなかったものでできている。
そこから生まれる何かがあるに違いない。

私の人生の舵を切り替えさせてくれた李禹煥(リ・ウファン)先生、
改めてありがとうございます。








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