コーチやセラピストはクライアントの変化を見届けられない?
こんにちは、ライフキャリアコーチ・臨床心理士のAriです。
この記事では私たちコーチや心理士がクライアントさんの変化を見届けることはできない?という話をします。
誰かが見ててくれるという事実がもたらす安心感とやる気
「自分一人だと止まっちゃうんだけれど、次のセッションで先生に報告しようと思うと動けるんです」
クライアントさんからそう言われることがあります。
不思議なことに自分の頑張りを誰かに見ていてもらえているという実感は、自分の人生を生きるというプロジェクトに自分以外のメンバーが加わったような心強さをもたらします。
また、真摯に耳を傾ける相手の存在があって初めて、自分の内側から紡ぎ出される言葉やストーリーがあります。
私もこのnoteを見てくださる方、感想を下さる方が居ることは、間違いなく投稿の励みになっていますし「誰かの目にとまるかもしれない」という期待だけでも、言葉にならなかったかもしれない言葉に形が与えられるきっかけになっていると思います。
とりわけ継続セッションでは、前回のセッションで共有した目標を本人が忘れてしまいそうになっても、それを覚えているコーチが居ることで、次回のセッションの前に慌てて行動を起こして動けたということもよくあります。
ピアノなど楽器のレッスンも、練習した成果を先生に見せたいと思ったり、前回から変化がないのはまずいと思うことで練習を頑張れるということがあるし、子どもも「見ててね」とお母さんやお父さんに見てもらいながら新しい遊びや運動に挑戦することがよくあります。
誰かが見ててくれる、見守ってくれることの安全感とやる気を生み出す力は本当に大きいと思います。
セラピストやコーチがクライアントの変化を見届けるということ
一方で、セラピィやコーチングには始まりがあり終わりがあります。
クライアントさんとずっと一緒に暮らすわけではないので、コーチング期間が終わったり、セラピィが終結した後のクライアントさんの姿を最後まで見届けるということはできません。
勿論「転職したかったクライアントさんが希望の企業に転職した」とか「パニック発作の症状が消失した」など、コーチングやセラピィの目標の置き方によっては「クライアントさんの変化をちゃんと見届けられた」と感じることもあるでしょう。
それでも厳密には変化した後のクライアントさんにどんな展開が待っているのか、彼らの人生を見届けることはないのです。
親でさえ子どもの人生を最後まで見届けられないことが殆どなので、一時「見守る」ことはできても、「見届ける」というのは不可能なことなのかもしれません。
我慢していた「見届けたい」気持ちが溢れ出たとき
NICU(Neonatal Intensive Care Unit:新生児特定集中治療室)の新生児科のドクター、看護師が主催するNICUを退院した親子むけの同窓会に参加したことがあります。
NICUを出て数年の親子が、担当ドクターや看護師とzoom画面越しに再会し、親が子どもが最近出来るようになったこと等をシェアしながら「こんなに大きくなりました」と成長を報告していました。
話しながら当時のこと、退院してからの生活を思い出して、涙を流しながら話される保護者の方も少なくありませんでした。
でも、会の最後に画面が病院の会場全体に切り替わったとき、みんなが驚き、思わず二度見する光景がそこにありました。
誰よりも号泣していたのはNICUの看護師長さんでした。
NICUの医療従事者はとにかく命を繋ぐために日々圧倒的な緊張感の中で赤ちゃんとご家族に向き合っています。でも、ひとたび赤ちゃんが退院したら、彼らが乳児になり、元気な幼児になる姿を見る機会はこれまで一度もなかったのです。
NICUの看護師長さんの涙は、元気に大きくなった子どもたちの姿を前に、諦めていた「見届けたい気持ち」がとめどなく溢れ出たものなのだと思います。
見届けられないからこその別れの意義
この人の頑張りと挑戦を最後まで見届けられたら。
学生相談や期限つきの面接をしているといつも別れ際にそう思います。
でも、セラピィやコーチングの終わりを意識して行動や変化が加速することや自己理解がもう一段階深まることもあります。
終わりがあるからクライアントさんが、コーチやセラピストに会う前の自分の人生に戻って、自分の力を試して自信をつけていけるのです。
「変わりたい」想いで勇気をもって来談してくれてありがとう。
変化のプロセスに伴走させてくれてありがとう。
まだ心配な部分はあるけれども、今のあなたならばきっと大丈夫。
また、いつでも必要なときに連絡をください。
クライアントさんにそう伝えた後に、私は心の中でこういいます。
Enjoy your life!
あなたがあなたの人生を楽しめますように。