麻雀牌と花札
※この文章は僕のアメブロ『誇りを失った豚は、喰われるしかない。』に2010年2月7日に投稿した記事に大幅な加筆訂正を施したものです。
僕の家には、僕が13歳の時に他界した祖父の形見で、麻雀牌が二セットと任天堂の花札があります。現在でこそ任天堂はゲーム機などの会社で有名ですが、ファミコンを世に送り出すまでは花札やトランプの製造メーカーとして有名でした。ちなみに、現在でも麻雀牌と花札については製造はされております。
僕はギャンブルの類を現在はやりません。というか、一切できないです。その理由はといいますと、僕の現在がギャンブルそのものの生き方をしているので、これ以上リスクをとると人生そのものが破綻しかねないからであります。
それでも故・白川道道先生の『病葉流れて』シリーズ(幻冬舎文庫)など、ギャンブルを扱った小説はたくさん読んでおりますが、実際にやろうとは、思わないのです。
祖父の遺した古いアルバムなどを見ていると、花札に興じている姿がいくつか散見されるのですが、僕は何の感慨もわかず
「ふぅん。」
としか考えられなかったのでありました。
麻雀に関しては、高校時代に付き合いのあった当時の友人に誘われて何度か卓を囲んだことがあったのですが、今思い返してもどうしても心が乗らなかった事を鮮明に憶えております。
そして、これはついでに言う事ですが、パチンコもやりません。以前、トイレを借りにとあるパチンコ店に入ったことがあるのですが、中の音で5分で耳をやられてしまい、しばらく耳が聞こえなかったことがありました。
僕がパチンコに手を出さない理由はもう一つあって、それは何かといいますと、東京にいたころ、日曜日に町を歩いていると、パチンコ店に開店前から並んでいる客がたむろしていたわけでありまして、ただ、別にパチンコをやるのはその人の自由意志なので僕はなんともいえないわけですが、彼、彼女らの顔を除いてみると、以前どこかで同じような顔を見た記憶がありました。
パチンコの開店に列を一瞥しながらなんだろうと考えていると、それが昔見た写真集で中国の阿片窟で阿片を吸ってあらぬ方向に視線を漂わせているいる人間の顔そっくりだったのでした。それに気づいた僕は、そっとその列を横切ったのでありました。
学生とギャンブルは切っても切れませんし、以前足を運んだ高田馬場では学生向けのローンの看板が駅前の通りに所狭しと掲げられていたのをこの文章を書きながら思い出しておりましたが、くれぐれもギャンブルにはお気を付け下さい。
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