堀江貴文氏とわたくし

※この文章は僕のアメブロ『誇りを失った豚は、喰われるしかない。』に2010年2月16日にアップした記事を改題し、大幅に加筆修正したものです。

この話はもうずいぶんと前のものになりますが、20歳前後のころだったかと思うのですが、僕は一度、堀江貴文氏(以下、堀江氏)と会ったことがあります。もっとも、堀江氏の側にしてみればそんな記憶はないでしょうが…。

今となっては遠い昔のことになりますが、当時堀江氏が経営していたライブドア(韓国のインターネットサービス会社であるネイバーの子会社、LINEが運営する)とフジテレビのニッポン放送M&A合戦の真っ最中でどの新聞やテレビの番組を見ても、堀江氏とフジテレビの日枝久会長の顔を見ない日はありませんでした。

そんな時、当時僕が住んでいた札幌で堀江氏が講演をするという一報があり、講演当日に、会場に足を運んでいたのですが、当時の僕の野良犬のような風采を見た予定された会場(札幌証券取引所であったか?)の職員に犬のように追い払われた。急遽会場が近くのホテルへと変更になり、現場に押し掛けたマスコミ関係者と思しき人間たちと一緒に堀江氏を暫らくの間待っていると、堀江氏が颯爽と車から降りてきて、張り込んでいたマスコミを携えて、講演会場に入っていきました。

僕は再度ホテル側の人間に追い出されることを危惧していたので、マスコミ関係者が堀江氏を追っていく列に紛れて講演の席に着いたのでした。

やがて報道陣はシャットアウトされ、後援が始まると堀江氏は独自の経営理論と

「若ければリスクをとれ!」

という誠に彼らしいことを言って講演を終えました。

その後の堀江氏の辿った運命はあまりにも有名なのであえて書く必要がないと思うので詳しくはここでは書きませんが、ライブドアの粉飾決算疑惑。東京拘置所への拘留。裁判を経て実刑が確定し、2年6カ月の間長野刑務所へ収監され、服役生活を送るも2013年に仮釈放された後の復活ぶりはすさまじいものがあります。

そんな堀江氏の座右の銘は

『諸行無常』

でありまして、奇しくも堀江氏は自分でその言葉を体現してしまったわけですが、改めて僕が当時の堀江氏と同じ年齢になって、

「つくづくすさまじい、ジェットコースターのような人生だなぁ。」

と思わずにはいられませんでした。そこには常人の何倍の密度とスピードで生きる人間の姿がある。ということです。

●参考資料

・『我が闘争 (幻冬舎文庫)』(堀江貴文, 幻冬舎)

・『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』(堀江貴文, ダイヤモンド社)

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