8月の果て Ver.2016

※この文章は僕のアメブロ『誇りを失った豚は、喰われるしかない。』に2009年9月28日に投稿した記事に大幅な加筆訂正を施したものです。

思えば、僕が「有坂汀」として再出発するきっかけとなったの2008年の夏は、一生忘れられないものになりました。色々な意味で。19歳のころから追い続けていた夢と訣別を果たしたという事で、思い返してみるとつらかったこともありましたが、若干ながらいいこともありました。

最終的にことにケリがついたとき、僕の頭によぎったのはかの「永ちゃん」こと矢沢栄吉がだまされて背負った借金を曲作りやライブを愚直なまでに実践して、最終的には借金を完済したときに習ってビールを一杯飲んだのでした。もちろん、僕と永ちゃんとはもちろんケタは違うわけですが…。

それにしてもつくづく思うことは、人間を動かす原動力は何なのでしょう? 僕は地元へと帰省してから何年かはカネの話ばかりしている自分がおりました。不快を催すことをあえて承知で書きますが、それこそ

「カネだけが僕を支える源泉だ。信じられるモノはカネだけだ。」

と。

それぐらいのことは常日頃から考えていたし、口にしもしておりました。もちろんそんなことウソッパチだって(ある程度は)自分でも分かっているのです。でもそう自分にも他人にも言い聞かせなければとてもじゃないけどやっていられなかったのでした。そのおかげで僕の発信しているものは書籍からツイートにいたるまでどこかニヒリズムがあり、露悪的な部分が色濃く残っているのは、そのせいなのかもしれません。

2015年からみっちり第6期SCAN/第10期下山ゼミ、並びに第7期SCAN/第11期下山ゼミの面々と関わって思うことは彼、彼女らの中にニヒリズムがほとんどない事であり、それをある日、研究室で下山先生に話すと

「そうでしょう? でもあまりにもいい子過ぎてこっちが心配になるぐらいですよ。」

とのこと。

まぁ、そういうものなのかなぁ、と思いながら釧路公立大学の電算室に「差し入れ」と称して大量のお菓子をスーパーで買いこんで持ち込んでいく度に(本当は精密機器がある場所なので一切の飲食は禁止です)そんなことを思いだすのでした。

ちなみに、この文章のタイトルは芥川賞作家であり、僕がツイッター上でやり取りをさせていただいている柳美里の小説『8月の果て』(新潮文庫で上下巻)から取りました。自らの祖父をモデルに「名前」を巡る物語であると僕は解釈しております。

●参考資料

・『8月の果て(上)(下) (新潮文庫)』(柳美里, 新潮社)

・『成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 (角川文庫)』(矢沢永吉, 角川書店)

・『アー・ユー・ハッピー? (角川文庫)』(矢沢永吉, 角川書店)

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