怒りの感情を受けとめること

みちよさんの「自分を愛するブック」で、あなたは怒りを押し込めすぎているかもしれないという問いかけがされていた。頭の中でもやもや考えているのではなく、紙に書き出してみるといい、と。
大切なのは「説明はしなくていい、自分しか見ないから」「悲しいとかムカつく!とか、状況ではなく感情を書く」というような内容なのが新鮮だった。つい、嫌な気持ちを紙に吐き出す系のワークでは、客観的な状況を描写してその時のことを思い出し、凹むということをしがちだったから。

嫌なことがあったので、試しにやってみた。
頭で考えている段階では、「嫌だったのを態度に出しすぎだったな」「相手は今ごろ私に怒ってるんだろうな」とか考えていたんだけど、いざ書いてみると「あんな店潰れろ」だって笑

私、めちゃめちゃ怒ってるやん笑

怒りの感情を押し込めてるってホントだったんだ😂
めっちゃ分かりやすい例……

やはりみちよさんのお話で、怒りは悲しみの二次感情、どんな感情もあなたから生まれた子どものようなもの、というのがあった。押し込めてもなかったことにはならない。受け入れることが大切とのこと。
上原愛加さんも、「こういう自分はOK、この自分はダメ」なんて小さいこと言わないで、と過去に書いていらした。そういうことなんだと思う。

他人にはしないことを、自分にはしちゃってたりする。

私は「イラッとして思わず態度に出ちゃう自分はダメ。認めない」「仕事がうまくいって感謝される自分はOK」と選り好みしてた。
でも「そういう君はいいね」「こういう君は嫌」っていちいち言ってくる他人がいたらめっちゃウザいと思う。それを、自分にやっていた。
一番近い距離にいる自分からジャッジを下され続けるのってストレスだろうから、直すようにしたい。
まあでもそれは、理性、ともいえるものなんだろうか。傍若無人になろうとは思わないけど、シンデレラの嫌味継母みたいな小言を自分に言わないようにしよう笑
たとえ相手が自分でも、いや自分だからこそやっちゃいけないと思う。

海外のドラマを観てると、よくjudgyという単語が出てくる(私の海外ドラマって、8割フレンズですけどね)。
感じ悪い!みたいな台詞でyou are so judgyとか言ったりする。
ジャッジーなので、まあ「判断する」のjudgeですよね。RPGゲームとかでも、「裁き!ジャッジメント」とかいう魔法攻撃があったりする。

judgy!って言ってるの初めて聞いたとき、なるほどなと思った。
感じ悪さの根源って、「決めつけ」だったりするなあって。
ジャッジしていいと思ってる横暴さとか、決めつけてることに気付かない短絡さとか。SNSで炎上するハラスメント記事とか、日々の生活で起きるいさかいって、これらが根本にあると言っていいと思う。

自分にも他人にもjudgyにならず、そんなあなたもいいね、大丈夫だよ、と言ってあげられる自分でいたいな。


参考文献
みちよ『自分を愛するブック』 ギャラクシーブックス、2021
上原愛加『すべてがあなたのものになる!史上最強の乙女のシナリオ。 (セレンディップハート・セレクション)』学研プラス、2010

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