見出し画像

【記録用】人生迷子になりかけたアラサーの1年

わたし30歳(現: 31歳)にして新しい仕事を始めました。
『で結局アンタは何を目指してるの?』というお声もあるのと、同じ年くらいで迷子になっている人って結構いるんじゃないかと思い、1人じゃないよという気持ちも込めて、私のこの1年間の迷子な人生をまとめてみました。

30歳での転職。そもそもなぜ前職を辞めたのか

瀬戸内海の島に移住したかった

母の実家が瀬戸内海に面する広島県三原市にあることから、よく訪れていた瀬戸内は私の大好きな場所の1つでした。瀬戸内の穏やかな海と島が好きだった私は、サイクリング超初心者ながら1人で広島県尾道市から愛媛県今治市まで、しまなみ海道を自転車で渡り切ったこともあるくらい(自信がなかったので2日間に分けたけど)。

2013年なので9年前 (22歳)
その時の2日目の記録!


新型コロナウィルスの影響もあり、東京に住み続けて東京の会社に通い続けるメリットが感じられなかったり、ベンチャー企業ならではの【朝令暮改】感に少し疲れていたりしていたのも正直あって(でもこれはベンチャー企業のあるべき姿でもあると思う)、移住したい!と言って2020年末に初めて退職の相談を会社にしました。

実際にその時期に面白法人カヤックさんが運営している移住スカウトサービスの【SMOUT】を通じて、広島県呉市の会社さんや香川県小豆島町の会社さんとコンタクトを取り、ZOOMを使って面談もするくらい真剣に場所探しをしていました。


そして自分を見失ったアラサー

ここまでならまだ良かったのだけど、その先1年間私は人生迷子になることに。

迷子フェーズ①移住どころか東京で店舗営業を目指すことに

コロナ渦もあり実際にお仕事を辞めたのは2021年9月。この9ヶ月間で私の退職する理由は『移住するから』→『独立するから』に変わっていました。

大きく変わるきっかけになったのは、同棲している彼も仕事を辞めて、2人でお店やるかという話になったこと。元々住んでいるこの青梅の街が2人とも大好きだったのと、地域での関わりが少しずつ増えてきたこと、東京ながら空き店舗が多く寂しい風景が広がっていたことから、そういったような話になりました。

(1人だったら仕事辞めてすぐ開業目指すって選択にはなっていなかったけど、2人なら、という思考。今思えばこの時のこの思考と行動から、もう自立できていなかったなーと思う。)

私は元々ビールが大好きで、私と同じような世代の女性が1人で入れるような飲み屋さんできたら楽しいだろうなーとか漠然と考えていたのと、彼も彼でコーヒーが好きで自家焙煎やらハンドドリップやらをやっていたので、それも楽しいかも!と具体的な計画を立てることに。実際に不動産屋さんやお店の内装をしてくれるデザイナーさんとも連絡を取っていました。

ただ2人とも飲食店での経験はアルバイトしかないので、いきなり店舗を借りて開始するのはリスクだと考え、青梅にある1日単位で借りられるレンタルカフェころんを活用させてもらい、メニュー考えたり作ったり、クラフトビールも仕入れから販売までやってみたり、もっそいかっこよく言うとテストマーケティング的なことをしていました。

初日に出したスープカレー
クラフトビールも出してたよ

短期間のレンタルなので、ロスは出せないし仕入れ(当日まで家で保存。前日に仕入れに行くのだけど家の冷蔵庫がパンパンで1台増やした)や食材、調理器具の搬入は毎回ものすごく大変だったけど、本当に良い経験になった。本当に楽しかったし、知り合いもたくさん来てくれたし、回数を重ねるごとに"私たちの出店日だから来てくれるお客さん"も増えました。足を運んでくれた皆、お店のロゴを作ってくれた友達、メニューを一緒に考えてくれた友達、コラボしてくれた手相占い師さんに感謝してもしきれないくらい良い経験をさせてもらいました。

手相カフェはいつも満席御礼でした
クラフトビールは要冷蔵が多かったので、家の冷蔵庫やばかった

無知ながらインスタ運用してみたり、レンタルだけど収支の計算やその他細かいことも一生懸命やってみたり。楽しいだけじゃなくて大変なこともたくさん学んで、とにかくやってみて出た結論がそれぞれ一つだけありました。






彼: 『俺のやりたいこと、多分飲食店じゃないな。。』
わたし: 『2人でビジネスやるのは違うかも。。』





迷子フェーズ② 1人でクラフトビアトラックの開業を志す

やってみないと分からないことってたくさんあって。私たちはありがたいことに、近くにレンタルできるカフェがあったので、色々な経験をさせてもらえると同時に、本当にその道で良いのか、見極めることができたのはとてもよかったと心から思う。

2人でやっていたのは楽しかったけど、意見の相違とかケンカすることとかもあったのと、彼のやりたいことは飲食ではなかったことから、それぞれでやりたいことを探すことになりました。

この時はもう移住ということは考えていなくて(まあそれもキッカケはあったのだけど..)"青梅でできること"を軸に私は考えていました。そしてなぜか『独立しなきゃ!』という変な使命感?というか後に引けない何か..?があって、正社員で働くという考えは一切なく、とにかく何か始めなきゃ。と思っていた。

そこで思い立ったのがクラフトビールのビアトラックでした。

青梅や奥多摩、お隣の埼玉県飯能市にはたくさんのBBQ場、キャンプ場、マス釣り場などがあるけど、そこでクラフトビールはもちろん生ビールを提供しているところがほぼなくて。クラフトビール市場は右肩上がりだし、コロナ渦で『都内の田舎』である青梅・奥多摩は人も増えていたし、何よりクラフトビールに特化したキッチンカーが都内にはほとんどないことからその方向で考え始めました。(もっと細かく考えた上での結論だけど割愛)

立川にある東京都が運営する創業ステーション、そして青梅市の創業支援センターに通い、創業計画書を作り上げたり市場調査したりしてました。ダメ出しをくらっては書き直し、さらに私は自己資金に対して結構多額の創業支援融資を借りる予定だったので、収支計画の根拠が薄い!出店場所も今から目星をつけておいて!となんとも厳しい言われ、まだトラックすらもできていないのに出店場所の営業したりと。(笑)

(余談: でもまだトラックできていないのに、結構たくさんのBBQ場やキャンプ場から出店OKもらってたんだよ。クラフトビアトラックを逆に集客に使ってほしいなと思いながら声をかけていたけど、こんなまだフワッフワな状態でもOKしてくれたのはすごい嬉しかった)

クラフトビール自体も取り扱いをしたことがないので、学ばせてもらうためにも奥多摩が誇るクラフトビール醸造所VERTEREさんに突撃し、超短期間だけど働かせてもらったりと、ビアトラックを実現するためにとにかく動きまくってました。

お世話になった大好きなVERTERE

そして創業計画書もできあがり、創業支援センターも残すところあと1回!それが終わったらいよいよ融資の申請をするぞー!!ってところで。。





彼: 『地方移住したい』




迷子フェーズ③ ほぼアルバイターのアラサー

彼は彼なりに、たくさんのことに挑戦していた時期でした。元々地域で活動をするということを願っていた彼は、そりゃもうすごい勢いで地域に入り込んで頑張っていたし、別々ではあるけれど創業支援センターにも通っていた。その結果、東京ではなく地方でやりたいことを見つけました。

そして、移住するなら私も着いていく決断もしました。

「行きたい場所がある」というよりかは「挑戦したい仕事がある」という感じだったので、内定が出るまで移住先が決まらない状況でした。

私のビアトラック創業計画は東京に住むこと前提だったので、それは保留にして(営業も制作も東京前提だった&地方のクラフトビール需要が読めなかった)、めちゃくちゃありがたいことに続けさせてもらっていた前職の仕事を業務委託で請け負いつつ、ただのファンだったので、週末はVERTEREさんで働かせてもらってました。

移住先決まったらそこでやりたいことや仕事を探そう。そう考えていたけど、彼のやりたい仕事はできたばかりの職業なので、そもそも募集している自治体がものすごく少なかった。なのでなかなか移住先が決まらず、しばらく私は上記のような業務委託+アルバイトの生活をしていました。

そんな状況が続くのも嫌で、早く移住先決めろー!じゃないと私も次のステップに進めないんだー!ばかー!(再就職するのか、地方でビアトラックやるのか、もしくは空き店舗借りてなにかやるのかすらも決められない、という意)と、よく八つ当たりしてました。今思えばすみません。


そのとき事件は起こった。




彼: 『膝痛くて歩けない』




迷子フェーズ④ 入院→移住先が決まらんのでフルリモの仕事を探すことに

5月の初旬、朝起きると右膝がパンパンに腫れ、痛くて歩けないという彼。病名は化膿性膝関節炎、近くの整形外科→福生の総合病院→武蔵村山の病院に移り緊急手術、そして1ヶ月間の入院をしました。

この事件があり、【あなたの仕事(移住先)が決まらない=私の仕事が探せない】という言いがかりをつけることができなくなった私。だって、入院しちゃったから泣いても喚いてもこの先しばらくは移住先は決まらないんだもん。

この時に私は気づいたんです。

元々瀬戸内海に住みたくて退職を決意したのに、いつの間にかそれが『起業したいから退職する』に置き換わっていて。そういった手前、あとに引けなくなっている自分もいてどうにか実現しなきゃ、という変な使命感に苛まれて、そしてそれができない理由を相手のせいにしていたんだと。

本当に起業がしたかったら、成功するかは置いといて出来ていたと思う。でもそれはやらず、夢は諦めざるを得ませんでしたってことにして、責任をなすり付けていた私は、本当にやりたかったのかどうなのか、自分ごとながら未だにわからないけど、いずれにしても別居という選択肢をとって、一人で起業することを選べなかった自分は、そこまでなんだと思いました。

その精神年齢中学2年生を卒業しようと思い、病気が完治したあとに、彼がどこにいくと選択してもいいように、そして私自身の心の安定(=きちんとした仕事をすること)を図るために、再度自分を見つめ直し、自分の意思で完全フルリモートで正社員で働ける仕事を探すことに決めたのでした。

結果 

素晴らしい会社さんを見つけ、働くことになりました。

応援してくれた皆さんには申し訳ないし、私が経営者になる前提で最後送り出してくれた前職の方々にはまじで恥ずかしすぎて顔向けができないのだけど(まじで人生一恥ずかしい)私は現時点ではカフェ独立もビアトラック開業もしません。

ころんに来てくれた人も、応援してくれた人も、本当にありがとうございます。この1年やったことは無駄じゃないと私は思ってるけど、多分意見は二極化するだろうと思っていて、『結局自分の軸どこなの?』『何がしたかったの?』とお思いの方も多いと思います..。でも私も迷子で、その時その時でとにかく全力でやっていたんです。

そして移住先はどーなった?の話なんですけど、瀬戸内海に移住することに決まりそうです。彼仕事見つかったの?よかったね!とお思いでしょうが(そう思ってくれた人ありがとう!)、入院をきっかけに彼もなんだか色々変わったらしく、まあ説明すると長くなるからこれも割愛するけど、『先に私が場所を決めてしまう』ことにしました。

もちろんその土地で、もともとやりたいと言っていた地域に関連するお仕事をやってもらいたいと願っています。(※具体的に引越しの日程は決まってません。)

ということで、結果自分が行きたかった瀬戸内海に行くことになり、仕事も無事に見つかりました。ということで着地しました。

おまけ(ちょっと新しい会社のこと)

せっかくなので新しい会社のことをちょこっと。

今回正社員として働くのであれば、どんな仕事もどんとこい!ってわけではなく、がむしゃらにやりたいことだけをやってきたフェーズから一歩ステップアップして、長く働ける会社で働きたい。と思いました。

【転職の条件】
① 完全フルリモートで働ける(絶対条件。移住する可能性が高いから)
② ライフワークバランスを大切にできる
③ 学生時代に専門で学んできたことを(福祉・介護)活かせる仕事内容
④ 今まで経験してきたこと(事業開発・法人営業)をまるまるっと活かせる仕事内容

 特に私の20代って、興味のあることをとにかくやりまくって目の前のことに全力で取り組んできたなと。けど、どれだけ自分の挑戦を優先して、いろんな経験をしたとしても、点と点は前(未来)に向かって繋げていくことはできなくて。できるのって、後ろを振り返って、後から繋いでいくことしかできないんだと。スティーブ・ジョブズさんの言葉の本意をこの1年間で学んだので、学生時代の福祉のことが活かせる仕事をしたいと思い探しました。

結果、本当に心から素敵だなと思う会社さんに出会うことができました。業界でいうとIT業界だけど、私の福祉の経験と、BtoB営業や事業開発の経験が活かせるお仕事です。分社化しているので10名以下の小さな会社だけど、親会社のノウハウやエッセンスがこれでもかというほどギュッと詰まってて、本当に素晴らしい会社だなと思っています。まだ試用期間中だから本採用になるまでぬか喜びできませんが….本採用にならなかったら大笑いしてやってください。

(余談: ちなみに近日中に採用オープンするのではと予想している。そして職種は多分Webマーケティング。興味ある人こっそり)

この会社さんは、今後長く働けば副業やパラレルワークもできる仕組みも整っているので、正社員で働きながら移住先でまたのんびりとレンタルカフェ(実はある!)でもできたらいいなあと思っています。まだちょっと先の話だけど。

そう思えるってことは、カフェもビアトラックも全力でやってた&やろうとはしてたし、楽しくやっていたんだろう。

以上、30歳激動の物語でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?