見出し画像

人生が変わった年ー2021年

年が明けて早くも1週間が経とうとしてるというのに、昨年の振り返りも今年の目標も立てられていない。赤子を育てていると、毎日がびゅんっと一瞬で過ぎ去っていく。

昨年は、2年近い不妊治療を経て待望の第1子を出産した。
予定日より3週間も早く、低体重でか弱くも一生懸命な産声をあげた息子。先天性の感音難聴で両耳ともに100db以上の重度難聴と判明した。

不妊治療をしていたこと、妊娠中から体重の増加が鈍かったことから、何かあるかもしれないとなんとなく思っていたけど、まさか耳が聞こえないなんて。想像もしていなかった。

「耳の検査で引っかかった、大きな病院を紹介します。」と言われたのは出産後の退院時。

お腹の中にいた時から私の声が聞こえていなかったってこと?一緒に歌も歌えないってこと?将来言葉を話すこともできないってこと?どうやって育てるの?

負の疑問は尽きず、毎日ネットで「聴覚スクリーニング リファー」「難聴 治る」などなど調べる日々。

難聴が確定したのは3ヶ月くらいの時。それまでに何回か検査をして、結果が思わしくなかったことと、ネットで調べて難聴は治らない、と心の準備をしていたことから、絶望といった感じではなかった。でも、療育を受けられるようになるまでに順番待ちで5ヶ月もかかったから不安で仕方なかった。

初めて地域の障がい者支援センターに行ってからは、担当の方が丁寧に疑問に答えてくれ、テキパキ手続きも進めてくれたから、6ヶ月には補聴器装用開始。それから今まで毎日5時間装用を目標に格闘してきた。

最初は1日片耳5分しかつけられなかったのが、やっと最近両耳5時間近くつけられるようになってきた。成長と共に自分で外すのが上手になってきたから苦労は尽きないけど、毎日の装用時間を記録した手帳を眺めると成長に笑みがこぼれる。

ぼーちゃんが1歳になるころ、つまり補聴器開始から半年の時点で検査をして、聴こえに良い変化が見られないようであれば人工内耳の手術をする予定だ。

1月から3月、毎日補聴器をできるだけ長い時間つけ、私はとにかくできるだけたくさん話しかける。
結果が出れば、補聴器で音や言葉を聞く練習を続け、毎週療育に通う。

結果が出なければ、人工内耳の手術を決断し、5月ごろに手術を受けさせる。その後は人工内耳で音や言葉を聞く練習を続ける。

どちらにしても、10月から12月くらいまでは私が仕事復帰せず、ぼーちゃんの音を探す旅に同行する。
年明けか、ぼーちゃん2歳になった翌日から保育園に通う。

これが2022年の目標と大雑把なスケジュールのイメージかな。
きっと今年も、人工内耳手術すべきか?保育園はどこにやるのか?本当に仕事復帰すべきなのか?などたくさん悩むんだろう。

最近読んだ本に、「自分の考えていること、特に悩みは全部ノートに書いた方がいい。案外悩んでいることの数自体は限られていて、頭の中で同じ悩みをぐるぐる考え続けているから解決できそうもなく、鬱々とする。」というようなことを書いてあった。

悩みは限られてるけど、1つ1つが重たい場合はどうしたら良いの?笑

1つ1つ一生懸命考えて、その時々で自分たちにとってベストな判断をすること以外ないのだろう。

普通のサラリーマン(わりと仕事人間寄り)だった私が、2年近くも仕事を休んで子どもの障がいに向き合うなんて。出産で人生が変わったと心底思う。

でも、ぼーちゃんの笑顔はとっても可愛くて、出産したことに後悔なんて微塵も感じない。そして、ぼーちゃんが立派に一人で生きていけるよう全力でサポートすることがここ数年の私の使命なんだと思えている。

ぼーちゃんのことだけでなく、自分の時間も大切に。ヨガと英語の勉強、読書を隙間時間に続けることを自分のための目標としておこう。

今年も前向きに一歩一歩進んでいきたい。がおーっ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?