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カメラと仏教思想

先日たまたま本屋さんで草薙龍瞬さんというお坊さんの本を見つけて読んでいます。

これまであまり仏教思想に触れて来なかったのだけど、やさしく書いてあるので、とてもわかりやすいです。
以前、とても心を動かされたNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)という思想というか、スキルの本を読んで感動したのだけれど、それも仏教思想がけっこうベースにあるのだな、と知りました。

まだサラリとしか読んでいないのだけれど(何度か読み返したい)、自分の中で結構な発見だったのは、私がカメラを持って自然と対峙しているときって、もしかして仏教的な態度だったのかな、ということ。

いま、ここ、自分の感覚に集中する。

カメラを構えているときは、私にとって、まさにそういう時間です。

先日、朝から愛車のリトルカブに乗って、大きな公園に行きました。
そして秋の質感を確かめるようにしながら、カメラとゆっくり対話しながら、だれにも邪魔されずに、納得いくまで写真を撮っていると、
すーっと心が楽になりました。

それはそれはもう、静かで充実した贅沢な時間です。

目の前の水や葉や光は、いっときとして同じ姿ではなく、
風にそよいだり、陰ったり、常に姿を変える。

諸行無常。

ファインダーを覗きながら、その変化と対話して、
すこし切り取らせてもらう。

だけど、切り取ること、写真を撮ろうとすることそのものよりも、
撮ることを理由にしつつ、注意深く観察しているその時間を生きるために、
カメラを構えているのかもしれません。

写真そのものは、もはや目的にしていないのかもしれない。
撮ろうとするそのプロセスを生きているというか。

この日のカメラはLeica M10-P 。お気に入りのElmar9cmやSummicron 50mmをつけて。

でも、いい感じの写真が撮れたら、やっぱり気持ちがいい。
「あ、撮れた」
と思うと、さらにスーーーっと心が軽くなる。

あらゆる邪念が飛んでいくような感じ。
日常のつまらないストレスも、
面倒なあれこれも、すべて飛んでいくような感覚になる。

自分の心と移ろいゆく世界とを、静かにつなげてくれる。
それが私にとってはカメラ。
写真の世界に出会えて、本当によかったな。

いろんなことが抜けていき、自然の清々しさで満たされるから、
やっぱりカメラは一生続けていきたいな、いくだろうなと思いました。

仏教のことも、もう少し知りたくなりました。

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