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何のために生きるのか

むかし、わたしは死ぬのがとても怖かった。

本当に小さい、3歳とかあるいは幼稚園の頃
わたしは今からは考えられないくらい泣き虫で、何に挑戦するにも「怖い」という気持ちが先走る子だった。

感受性が強かったんだと思う。

テレビで殺人事件のニュースを見ると、よく「外出たくない。幼稚園行きたくない。」と泣いていた。
小さい心と体では受け止められないくらい程の不条理な非情さが本当に怖かった。

ママもパパも死んじゃうの?わたしも???
と考えれば考えるほど、何で私はここにいるのか分からなくなって、ベッドの布団の中で震えていたのを覚えている。

その怖さは長い間わたしの中にあった。
高校生まではたしかに感じていた。

「何のために生きるのか。」

誰もが一回は考える疑問だろうが、私にとってはこの疑問が浮かんだ時が一番怖かった。

今は答えられるだろうか。

私は毎日、自分の人生がより良い方向に、楽しくなるよう頑張っている。そう感じる。

何で生まれてきたのかは分からないけど、「考える」と「動く」が出来て、「時間」が与えられた。
だから、それをするしかないんだと思う。

人は一人一人考え方が違う。
時間を過ごすうちに考え方が変わったりもする。
私のいまの考え方は「何事も楽しい方に考えたい」だ。
だからきっと毎日、自分の人生が楽しくなるように色んな時間を過ごして動いている。

もしかしたら死ぬ瞬間は、すごく痛くて怖いのかもしれない。
でも明確に想像はできない。

とりあえずは与えられた「生きる時間」を自分の「考える」と「動く」で過ごしていくしかなさそうだ。
与えられた「時間」も「考える」も「動く」も違う私たちに、きっと「生きる意味」は定義出来ない。
だって答えは、一人ひとり違うから。
その答えは、一つたりとも無視される筋合いがないものだから。
色々違っても、私たち全員に与えられた「生きる」は平等だから。

だから今の私の答えは、無しだ。

今日の私は、
昨日買ったラメライナーを涙袋に塗っていつもより少しウキウキしている
その気持ちをいま現在の私が把握している。
それだけで良いと思う。


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