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無題のドキュメント

 妻が出張に出ていて寂しい1人の夜、ふと昔のことを思い出したので、とりとめもなく文章を書いている。私の人生に影響を与えた、とても大きな存在であるお二人のことを思いながら。

 高校3年になった春、それまで17年にわたって勤めていた顧問の先生が異動になった。吹奏楽指導者として、地元では最も有名で、力があられる先生だった。部活の様子を見学するために、毎週末のように県内各地の中高生や顧問の先生が訪れていたこともあった。自身も音楽大学の管楽器科出身で、時々気まぐれに(「もう3分しか持たん!」と言いながら)吹いて聴かせてくれた音は本物だった。休みの日の部活に半日遅れで現れたり、空き時間には準備室で寝ていたり、突如準備室に呼ばれたと思ったらただただ肩を揉まされたり、突然「楽器を持ってきなさい」と音楽室に呼ばれて行ってみたら「幻想、4楽章」とオケスタを散々吹かされたりと、思い出は限りない。だけど、私の音楽観、演奏観の根幹を支えるものは間違いなくこの5年間に培われたものだと自覚している。合奏体が発する音に生命が吹き込まれていくような感覚や、通し合奏だけで生み出されていくおおらかな流れ、その先生が振っているというだけで、実際に出ている音が3割増しによく聴こえるかのように錯覚されるような(私感)指揮法など、鮮やかな音楽体験として影響を受けていった。

 高校3年の春に赴任された新しい顧問の先生は、前任の先生と比べると細やかで美しく、精密さと情熱とを両立する形のアプローチで音楽を作られた。バンドがこれまでに蓄積してきた技術や熱を継承し、更に新たなものを目指して発展させていくことを強く考えてらっしゃることを、子どもながらに強く感じていた。また、前任の先生を失礼ながら「音楽家」と表現させていただくとしたら、新たな顧問の先生は「教育者」と表現できるほど、学校という教育現場の一組織としての吹奏楽部の在り方、ということを念頭に置いた部活運営をされている。そうした思いが伝わり、現在まで全方面からの信頼を得ていらっしゃるのだと思う。追い付きたいと思うのもおこがましいほど、私にとって高く偉大な目標の先生である。

 タイプの違うお二人の先生に育てていただき、27歳となった私は、これからどこに向かうのか、どのような思いで音楽と、仕事と、人生と向き合っていかねばならないのか。とりとめもなく考えては、とりあえず週の終わりの金曜日を無事に乗り切ることへと思考を移していく。

 今日は妻が帰ってくる日だ。

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