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24/2/20-24/2/25 White Space

2024/2/20

流れてきたこれを読んで思い当たる節があったのですが、たぶんわたしの日記ってこれで、わたしはflowのみで文章を書いている。ひとの日記を読んでいるときと自分の日記を読んでいるときの違和感ってこれだったのかも。生活のリアルさがわたしには欠けている気がしている。
カップヌードルのカレー味に、オリーブオイルにクミンシードをちりちりさせてかんかんに熱したフライパンで焦げ目つくまで焼いたキャベツをわんさかのせて食べた。芸が細かい。今日もよく歩いた。

2024/2/21
図書館に行こうと外に出たら予想以上に風が強く雨が強くで心が折れて書店に逃げ込んだ。星ひとみ氏の占いの本を立ち読んだところわたしは「深夜」という属性らしかった。どんな占いを読んでも「独りが好き」と書かれている。満足して観念して図書館へ行った。
「À Table!〜歴史のレシピを作ってたべる〜」をプライムでみる。中島歩さんがとても好きで、そしてこのドラマは特に大きなハプニングも起きずゆるゆると暮らしが描かれるところもあいまってとても好きで、もったいないのでちょびちょび見ている。このローテンションでいられる関係が素敵。

2024/2/22
雨の降る早朝、駅のホームはまだ暗く、Jon BatisteのWorld Music Radioのアルバムをずっと聴いていた。Goodbye, Billy Bob、それからWhite Spaceの順番、ふいに泣きそうだった。忘れたくないと思った瞬間をまだ覚えていられる。

2024/2/23
2024/2/24
さぼっていたら日記の書き方を忘れた。もう書きたくないような暴力的な衝動まですぐそこにやってきた。始めてしまったのだから書き続けるしかない、誰も止めやしないのに。この先誰とも深い関係になりたくないような気もする、すぐ大きなことばかり言ってしまう。さみしいってなんだろ、ひとと会ったあとはさみしい、でもそれは走り終わったあとにしばらく息が上がっている状態と一緒で落ち着いてきたらそんなことも忘れてしまう。人は人、自分は自分、という考えは自立しているようで実は狭くてまずしい。ひとに執着しないのが自分の美点だと思っていたけれど、ほんとうはそれはとてもさみしいことなんだろう、そんなことわかっていた。そのひとが傷つけられたときわたしが本気で怒りを感じるひとは、いるだろうか?

2024/2/25
数年ぶりに会う先輩の家に、幼馴染と会いに行った。相変わらず棒読みで変わらなくて安心した、と言ってくれる。ひとが多いとがんばってしゃべっている自分がいてそれを離れたところから見ている自分がいる、うわずっている。帰ってきてずっと文章を書いていた。スマホで文字を打つのができなくなって、キーボードで打たないと落ち着かないようだった。昨日から言葉にはならない不安な気持ちや自暴自棄が脳内を占拠していたけれど、ゆっくりお風呂に浸かって、デザイナーズ物件を眺めていたら元気を取り戻したようだった。


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