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知的障害がある子どもにはテレパシーという特殊能力が備わる世界①

あらすじ


知的障害を持つ子どもたちがテレパシー能力を持つ世界で、重度の自閉症を持つ息子、冬馬を育てる三島春海。不思議なことに、同時にそういう子どもを産んだ母親にも、同じくテレパシー能力がそなわっているのだった。彼女はテレパシー管理士として、新たな職場でその能力を活かし、知的障害を持つ子どもたちの心の声を翻訳する役割を担う。しかし、職場で出会った他の親たちとの交流や、日々の挑戦が彼女を待ち受ける。子どもたちの心の声と向き合いながら、春海はどのように彼らの未来を切り開くのか?温かい人間ドラマが紡がれる物語。

テレパシー


自閉症やダウン症など、何らかの原因で、知的障害を持って生まれる子どもは一定数存在する。

そういう子どもは、口から発する言葉で他人とコミュニケーションをとることがどうしても難しいため、生まれながらにしてテレパシー能力が備わっているのだという。
不思議なことに、同時にそういう子どもを産んだ母親にも、同じくテレパシー能力がそなわっていて、母子は口から発する言葉以外での意思疎通をすることが、この世界では一般的になっている。

とはいえ、一言に「知的障害」と言っても、その程度はさまざま。
程度が軽ければ、成長とともに会話ができるようになっていくものだし、程度が重ければ、一生会話できないという子ももちろんいる。
だからなのか、このテレパシー能力は、子どもの知的障害の程度が重ければ重いほど、精度が高い。
それは受ける側の母親も同じである。

三島春海は、まさにこの、テレパシー能力を持つ子どもの母親だった。
春海の息子には、知的障害を伴う自閉症がある。
しかも、重度である。

春海の息子、冬馬は、東京で初雪が降った1月の、凍てつくような朝に生まれた。
妊娠中からどこも異常が無く、出産時も特にトラブルが無く、早過ぎもせず、遅すぎもせずのタイミングでこの世に生まれた冬馬。
そんな冬馬にまさか障害があるかもしれないと思ったのは、冬馬が1歳を過ぎた頃だった。

(ママ)
冬馬の初めての発語。
春海がハッとして振り返ると、ごろんと寝転んでこちらを見上げた小さな冬馬の口は、開いていなかったのだ。
ちょっとした違和感を感じ、あえてその声を無視して後ろを向き直すと、もう一度聞こえた。

(ママ)
今度ははっきりとわかった。
この「ママ」という言葉は、耳から聞こえてきていない。
冬馬の声は、春海の頭の中に、直接響いてきていたのだった。

テレパシー……。
春海の頭の中に、ほの暗いもやと同時に一つの単語が浮かぶ。
これまで福祉に近しい世界にはいなかった春海だが、この世界で生きていく中で、「テレパシー=知的障害」とつながる程度の知識はあったのだ。

それから現在までのことは、めまぐるしすぎてほぼ記憶に残っていない。
世間では、まだ子どもに正確に診断がつく前の母親が、「子どもが喋っているのだと思ったらテレパシーだった」ということに気づくことで子どもの知的障害に早い段階で気づいてしまい、その結果、産後鬱になるという事例が社会問題となっていた。
他の遺伝子疾患などと違い、自閉症と併発するタイプの知的障害だと医療的な出生後の検査ではわからないため、病院でのフォローも難しい、ということも課題になっているところだった。
しかし春海は、持ち前の行動力の高さから、とにかく動き続けることで、鬱になるほど落ち込むことを回避できていたように思う。

息子のテレパシーに気づいたその日に保健センターに電話をかけ、発達相談を予約した。
そして紹介されるがまま病院に行き、正式に息子に障害の診断が下ると、早期療育に取り組み始めた。
市の発達支援センターはもちろん、手あたり次第、片っ端から療育施設に電話をかけ、できることは何でもしようと躍起になっていた。
そして約7年の月日が経過し、今に至る。

息子の冬馬の知的障害の程度は重度。
この春、特別支援学校の小学部2年生になる。
いまだに発語はない。
ただ、春海はこの春から、新たな生活のスタートを切ることになったのだった。
「就職」である。

テレパシー管理士


「おはようございます!今日からこちらでお世話になります、テレパシー管理士の三島です!」

満開の桜が盛りを過ぎ、ちらほら葉桜が見え始めた4月初旬、春海はかつて息子とともに何度も通った、市の発達支援センターで初任のあいさつをしていた。

春海の職業は「テレパシー管理士」。
知的障害があって発語で意思を示すことが難しい子どもの意思をくみ取り、他のスタッフにつなげる、いわばテレパシーの通訳者だ。

10年前の法改正から、療育施設や特別支援学校(知的障害を主障害とする子の学校)では、このテレパシー管理士の一定数の配置が義務づけられていた。
テレパシー管理士は、専門の訓練と講習を受けて資格試験に合格した、知的障害児の親のみがなれる専門職。
誰もが持てるものではない能力が土台となっているため、資格試験にさえ合格すれば、就職はすぐに決まった。

「おはようございます。三島さん、今日からは同僚としてよろしくお願いしますね。」
口角を上げた優しい笑顔ながら、こちらをまっすぐと見据える力強い目力が印象的な女性が、春海に真っ直ぐと対峙して言った。

「我妻さん!こちらこそ一緒にお仕事できて光栄です!教育係になってくださるとのことで…ビシバシご指導よろしくお願いします!」
春海はガバっとお辞儀をした。
我妻さん、彼女はベテランテレパシー管理士で、かつて春海が息子の冬馬とともに療育に通っていた時、ずいぶんお世話になった相手だった。
それが、今度は仕事の先輩、教育係として改めてお世話になることになる。

「やる気がみなぎっていて頼もしいわ!でも、まだお子さんも小さいし、無理せずやっていきましょうね。うちの子はもう施設に入ってるから私はいろいろと融通がきくし、何かあったら遠慮なく言ってね。」
働く母親としてとってもありがたい言葉をかけてくれながら、我妻さんはにっこりと微笑んだ。

我妻さんは気遣いの人だ。
彼女も重度の知的障害がある息子さんがいるからテレパシー能力があるのだが、その力に限らず、相手の心が読めているかのように、相手が今言われたら嬉しいであろう言葉をスッとくれる。
そんな彼女だから、地域の障害児ママの間でも信頼が厚く、地域の障害児ママコミュニティーのリーダー的存在になっている。
春海は憧れの我妻さんと「同僚」として仕事ができることに、早くもテンションが上がった。

「あ、そろそろ時間ね。三島さん、教室に行きましょう。」
我妻さんに促されるまま、春海は内心緊張でドキドキしながら、担当のクラスへ足を運ぶのだった。

すみれ組の親子たち


(やだーー!!)
(おうちがいい!かえろう!)
(このおもちゃはなしたくないのー!!)
さまざまな「テレパシー」が、一気に頭に流れ込んできて、少しこめかみをおさえながら、春海は教室の扉を開けた。

春海が配属されたのは、年齢でいうと3歳~5歳、幼稚園でいうと年少さんか年中さんにあたる学年の子どもたちが集められた、「すみれ組」というクラスだった。
春海が勤める施設では、未就学の子どもをざっくりとした年齢別、発達の遅れの程度別にいくつかのクラスに分けて療育をしているが、すみれ組はこの年齢の子どもたちの中では最も発達がゆっくりな、知的の遅れも重めの子どもたちだった。

療育は親子分離なので、お母さんやお父さんと一緒に通園してきた子どもたちは、教室について一通りの身支度を終えた後、お父さんお母さんとバイバイになる。

初任の春海は、とにかく親御さんたちに顔を覚えてもらおうと、次から次へとやってくる親子にあいさつをしてまわった。
しかし、ただでさえ発達がゆっくりで、初めての場所や親と離れることに抵抗が強い子どもたちである。
それも4月。今年度の初日。
あたりは子どもたちの泣き声や叫び声の嵐、教室から出ていってしまう子になかなか入ろうとしない子と、阿鼻叫喚の様相だった。
とりあえずあいさつをするものの、親御さんたちもそれどころではない。
春海も子どもたちの対応に、それどころではない。
しかも、春海にとっては「耳に聞こえる音」だけではなく、子どもたちの心から発せられる悲痛なテレパシーも怒涛の荒波のように押し寄せていて、テレパシーの波に酔いそうだった。

療育開始後もテレパシーの波と泣き声の連鎖は続き、ひたすらバタバタしながら午後2時の療育終了の時間を迎え、親御さんたちに子どもたちを引き渡し、初日は終わった。

「あの、先生…」

ぐったりぎみの春海に、後ろから声がかけられた。
見ると、おそらくすみれ組の保護者の方だ。

「あっ!はい!おつかれさまです!」
急いで笑顔を顔に貼り付け、春海は答える。

「あっ、あの私、栗山と申します。栗山優の母です。朝はバタバタしていてしっかりあいさつもできずにすみません、実は…息子の靴がないんですけど、ご存じないでしょうか?」
栗山優君。
知的障害を伴う自閉症で、ADHD(注意欠陥多動症)もある元気な男の子だ。
(こうえん!こうえん!)
窓から見える隣の公園を見つめて、今にもそちらに飛び出そうとしている優君。
優君の手をしっかり握りながら、栗山さんは心底困ったようにおずおずと春海に話しかけた。

靴がない…?
春海が急いで靴箱を見に行くと、たしかに優くんのスペースには靴がない。
しかし、お隣のスペース、西森美由ちゃんのスペースには靴があった。
ただ、その西森親子は、つい先ほど春海に「さようならー!」と言って帰っていったのを春海は覚えていたのだ。
西森さんは陽気で声が大きく、朝のあいさつの時からテンション高く春海に声をかけてくれていたので、春海は彼女のことがしっかり印象に残っていた。

「栗山さん!すみません、優君の靴はないんですが、おとなりの子の靴が残ってるんです…。もしかしたら、まちがえて履いて行っちゃったのかもしれません!ちょっと電話してくるので待っていてもらえますか?」

急いで栗山さんにそう告げると、春海は職員室に駆け込んだ。
名簿をめくって、西森さんの連絡先を探す。
電話をかけると、すぐに西森さんは出て、すぐに戻ってくると言ってくれた。

「先生すみませーん!!西森です!!靴、まちがえちゃってました!!」
10分くらいで、すぐに西森さんがやってきた。
憎めない豪快な笑顔で、こちらをむいてペコペコしている。

「西森さん、すぐ来てくださってありがとうございます!これが美由ちゃんの靴ですかね?」
急いで玄関に駆けつけた春海が、靴箱においてけぼりになっていた白い小さなスニーカーを差し出すと、西森さんが「そうです!」と答える。
どうやら同じ色の似た形のスニーカーで、美由ちゃんがまちがえて取ってきてしまったらしい。

「栗山さん!優君の靴、これですよね?」
玄関から聞こえた西森さんの大きな声に、事情を察した栗山さんはすでに玄関に歩いてきていた。
靴を見せると、やっぱり美由ちゃんが履いていったのは優君の靴だった。

「すみません!うちの子がまちがえて履いてっちゃって…。」
「いえいえ、大丈夫です!すぐに来てくださってありがとうございました!」
西森さんと栗山さんがお母さん同士でやりとりしている間、美由ちゃんと優君は正しい自分の靴を履きなおす。

(ごめん…ね?)
優君の顔をのぞきこんでいる美由ちゃん。
美由ちゃんは人懐っこくて、お母さんゆずりの元気な笑顔が印象的な女の子だ。
(……。)
優君からは何も聞こえてこない。
黙々と自分の靴を履いている。
テレパシーといっても、本人が本当に何も考えていない時は、何も聞こえないのだ。

春海はそんな2人の靴を履く手伝いをしながら、自分の息子が彼らと同じくらいの年の頃を思い出して、懐かしくなっていた。

「うち、ここのすぐ近くなんですよ!だからすぐ来れちゃうんです。このセンターももう赤ちゃんの頃から来てるから長くてね。」
「そうなんですか?!実は私、今日が初めてで…いろいろわからないことばかりなので、これからよろしくお願いします。」
「いやいやこちらこそですー!あっ栗山さん?連絡先とか交換します?今度お茶とかしましょうよ!」
「もちろんです!嬉しい!」
春海の頭上で、西森さんと栗山さんの会話がはずんでいた。
障害がある子を育てる母親たちは、孤独だ。
こういう療育の場で、春海も心許せるママ友たちを何人も作ってきた。
彼女たちもそうなってくれるといいなと、頭上の様子もまた懐かしく思いながら、春海は静かに微笑んだ。

笹川さん


すみれ組の子どもたちが帰り、教室の後片付けと掃除をし、ミーティングなどを終えると、すぐに春海の退勤時間がやってきた。
春海には、知的障害がある冬馬の他に、もう一人子どもがいる。
この春から保育園の年中さんになった、娘の亜紀だ。
仕事が終わるとそのまま急いで自転車を走らせ、亜紀が待つ保育園に向かう。

「ママーーー!!」
はじけんばかりの笑顔で、亜紀が春海を出迎えてくれた。
「亜紀!今日も楽しかった?」

亜紀とそんな話をしながら、帰り支度を手伝っていると、教室の中で、日中職場でも一緒だった、一人の男の子を見つけた。
(笹川陽太君…!!やっぱり、そうだよね?)
すみれ組にいた笹川陽太君。
春海は今日初めて彼が発達支援センターに通っていることを知ったのだが、彼は娘の亜紀の保育園のクラスメイトだったのだ。
発達支援センターでは、陽太君はヘルパーさんと一緒に登園、降園していたのでお母さんとは会っていない。
おそらく、14時に療育が終わってそのままヘルパーさんと一緒に保育園に来ているのだろう。

そんなことを思っていると、ちょうど後ろから、その陽太君のお母さんが現れた。

「こんにちはー!」
「こんにちはー。」
挨拶を交わすと、春海は笹川さんに言ってみた。

「あの!陽太くんってあそこの発達支援センター行ってますよね?実は私、今日からそこで働き始めたんですよー!陽太くん見つけて嬉しくなっちゃって!これからそっちでもよろしくおねがいしますねー!」

思ったことをわーっと勢いよく話すと、急に春海は笹川さんの周りの空気がグッと冷え込んだことに気づく。
「ちょっと…。」

廊下の隅に目線で呼ばれ、近づいてみると、笹川さんは声をひそめながら言った。
「あそこで会ったこと、保育園では言わないでもらえます?」
「えっ…。」
予想外の言葉に硬直してしまった春海を置いて、笹川さんはさっと陽太君の手を掴み、足早に荷物をリュックをつめ、先生に挨拶をして風のように立ち去ってしまった。

亜紀の今日の様子を話す先生の話も気もそぞろにしか聞けず、ぼうぜんとしたまま、春海は亜紀の手をひいて保育園を後にするのであった。

「やってしまった…。」

苦い思い


(なんて嫌な偶然なの…。)
笹川さんは、保育園から自転車をこいで家に向かいながら、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
自転車のスピードはどんどん早くなる。
(きもちいいー!)
後ろの子ども用椅子から、陽太の声が聞こえた。
いや、正確には聞こえていない。
頭に声が流れ込んできただけだ。

思わずため息がこぼれる。

陽太は少しだけなら発語はあるが、発語と言っても単語のみ。
しかも、ほぼ会話としては成り立たなかった。
そんな陽太の口からではなく頭から流れ込んでくるテレパシーが、笹川さんは本当に嫌いだった。

(「テレパシーがあるから子どもの気持ちがわかる」?冗談じゃないわ…。こんなの、自分の子が障害児だって思い知らされるだけじゃない。)

陽太が生まれてしばらくして、心の声、テレパシーが聞こえ始めた時、笹川さんは大きな絶望感にかられた。
障害児なんて、育てられる気がしなかった。
しかし、療育にも通い、徐々に発語が出てきた陽太に、「この子はいつかはちゃんと『口で』会話するようになるはず」そんな思いを抱きながら、その思いを支えに、これまで頑張ってきたのだ。

医学の進歩はめまぐるしい。
きっと、いつかはこの子も普通の子に追いつくはずだ、きっとそうだ、この子は普通の子…。
笹川さんは、心の中でそう唱え続けた。

保育園でも発達支援センターでも勧められ、つい先日、病院で発達検査を受け、正式に障害の診断をもらったばかりだったが、そんなものを受け入れられるはずもなかった。
療育なんてさっさとやめて、保育園一本にしたかった。
それなのに…。

(あの人…三島さん…自分の子は普通だからって、あんなに明るく、大きな声で、保育園で療育のこと話したりして…。)
春海が保育園の保護者に陽太が療育に通っていることを伝えないか、障害のことを伝えないか、笹川さんはただただそればかりが心配だった。

【続きリンク】

知的障害がある子どもにはテレパシーという特殊能力が備わる世界②

知的障害がある子どもにはテレパシーという特殊能力が備わる世界③


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