【228日】オフ・ザ・リップ・オフ


October 30 2011, 9:58 PM by gowagowagorio

9月15日(木)

中国製の金庫は、ナンバーキーを一度も触っていないというのに、蓋を閉じた瞬間、二度と開かなくなった。

ちょっと待て。オレはまだ暗証番号を指定した覚えはない。どういうことだ。焦りつつ、通常は本体に記載されていそうな説明書を探すが、のっぺりとした灰色の金庫には、ブランド名と思しき漢字数文字以外は何も書かれていなかった。

・・・まあ良い。そのうちスタッフに伝えて開けてもらおう。

しばらく僕は財布なしとなるが、もとより頼りにしているのはアキコの財布だ。昨晩の電気ポットから連続のミスで少々凹むが、気を取り直して朝食へ出かける。

昨夜夕食を食べたレストランの隣のレストランで、チーズトマトジャッフル(いわゆるホットサンドウィッチ)とコーヒーの簡単な朝食を摂る。

ルボやキースから何か話しかけられるが、既に僕の心は400メートル先のシップレックポイントに飛んで行ってしまっている。

目を凝らすものの、まだポイントには誰もいない。サイズも昨日からまったく上がっていないように見える。

しかし、僕には肩ならしが必要だから、そんなに大きな波がなくてもがっかりすることはないだろう。

「アリオはサーフか?」

「ああ・・・」

曖昧に答えつつ、アキコをちらりと振り返る。

「いいよ、行って来て」

僕の視線の意図を汲んだのか、アキコが許可を出した。

僕はホッと胸を撫で下ろす。何しろナツモとミノリをアキコに押し付けて一人だけ波乗りに行くのは少々気が引ける。

「すぐ帰ってくるよ、すぐ。2時間・・・いや、1時間半。1時間半ぐらいで帰ってくるから」

僕はアキコにと言うより、自分自身に言い聞かせて、席を立った。

とは言え、初めてのポイントだけにまったく勝手が分らない。旅行前に仕入れた情報に依れば、ブレイクポイントまでは、誰かしらがボートで連れて行ってくれると言う事だった。

確かにボートは沢山あるし、船体に「サーフタクシー」と書かれた物まであるのだが、何処にもクルーの姿が見当たらない。

どこでその船を頼めばいいのか見当もつかない。となると、自力でパドルアウトするしかないのだろうか。それにはちょっと腰が引ける距離である。ピークに着いたら疲れて動けない、なんて事にもなりかねない。

ボードを小脇に抱えてビーチに佇み途方に暮れていると、左手前方50メートルぐらいの所から僕に向かって手を振る男の姿があった。ちょうど、先ほどまで朝食を食べていたレストランのあたりだ。

男は手を振りながら僕に歩み寄って来た。ランニングシャツに坊主頭、歳の頃50ぐらいの、山下清のようなバリニーズである。

「サーフィン?ボート、ノル?」

僕が日本人だと分るのだろう、男は妙なイントネーションの日本語で話しかけて来た。なるほど、このように声をかけてくる訳だ。

「イエス、キャナイブック?」

「デキルヨ。ワタシノボート。ワタシノナマエハ、スズキサンネ」

僕が英語で話しかけ、自称スズキさんが日本語を使うという、奇妙な会話が始まった。

「いくら?」

「片道で40」

これはつまり40,000ルピア、約400円と言う事だ。しかし、前情報ではボートは大抵20,000ルピア程度と聞いていたから、僕は料金交渉に入った。

「それは高いなあ、20にならない?他はみんなそうだって聞いたけど」

「ワタシノボート、オオキイネ」

スズキさんが指差す先には、確かに僕一人が乗るには効率が悪いほど大振りの、バリでよく見るアウトリガーが付いたボートが浮かんでいた。しかし大きい事が高い理由にはならないだろう。別に遠出する訳でもない。たかだか400m先まで行って来るだけだから、燃料の使用量だってそんなに変わるまい。

「わかった、じゃあ往復頼むから、それで40。どう?」

スズキさんは逡巡する様子を見せたが、すぐに首を縦に振った。

「OK」

割とすんなりと落としどころが見つかり一安心だ。それより早くラインナップへ連れてってくれとばかりにボートへ歩み寄ろうとする僕を、スズキさんが片手で制する。

「マダマダ。マンチョーマツ。マダ、ナミチッチャイネ」

そう言われて改めて沖に目を凝らす。

時折ブレイクするスープを見ても、確かにせいぜいハラ程度と言ったサイズだ。しかし、もうほぼハイタイドの時間だろう。いくら大潮とは言え、ここから大きくサイズが変化する可能性があるとは思えなかった。

一向に動こうとしないスズキさんに尋ねる。

「満潮は何時?」

「テンサーティ」

時計を見るとまだ9時半だ。しかしキャプテンがボートに乗らないのでは仕方ない。1時間後にここで再会する約束を取り付けて、一旦ヴィラへ戻る。

まだ波乗りをした訳ではないのだが、ヴィラに戻った時に何故か、これはいいぞ、最高だ、と、こみ上げる喜びがあった。何しろ、ヴィラの目の前がポイントなのだ。

部屋で水着になり、ボード以外はタオルすら持たず、飛び出して行けばそこにクオリティの高いリーフブレイクがある。そしてひとたび波乗りが終われば、ボードをヴィラのレストラン前に置いてそのままビンタンタイムに突入できる。現代人に居心地のいい施設と、大自然が程よくマッチした空間、まさにパラダイスである。

−−

結局、ヴィラで1時間もじっとしていられず、僕は10時過ぎに再びビーチへ出て行った。

スズキさんはそこに居たが、やはり泰然とタバコをくゆらせ動く気配がない。

「スローリー、スローリー」

まあ焦るなよ、と言った所だろう。

僕が途方に暮れてスズキさんの横で立ち尽くしていると、見る間にローカル達2、3人に取り囲まれた。スズキさんが、現地の言葉で素早く男達に声をかける。コイツはオレの客だ、とでも言っているのだろう。

男達はそれでも思い思いに片言の日本語で話しかけて来る。

「キョウ、ナミチイサイネ。チュニガンイク?4フィート。チューブアルヨ」

恐らくこの男も船を持っているのだろう。熱心なセールストークである。

かと思えば、

「エリックアラカワ、イイボード。コレウル?100マンデカウヨ」

とフザケた事を交渉してくる男もいる。

「ダメダメ。これ一枚しかないんだから」

「アナタカエル、ソノトキウル、アナタカルイ」

それはそうだろうが、100万ルピア(約10,000円)で売る訳がない。

ようやく思い腰を上げたスズキさんのオンボロボートでラインナップに近づくと、いつの間にパドルアウトしたのか、気の早いサーファーが既に5人ほど波待ちをしている。恐らく全員オージーだろう。

時間は10時15分頃。まだハイタイドには達していない。見る限り、時折ブレイクしている波はやはり小振りだ。

まあいい。僕にはまだたっぷり時間が残されている。まずは肩ならし。そしてこの美しい海水を存分に楽しむまでだ。

僕はスズキさんのボートから勢いよくジャンプオフした。肌にまとわりつく温かい海水を想い描いて。

「うわっ、ツメテエ!」

しかし、レンボンガンの海は、肌に刺さるような冷たい水で僕を歓迎した。思わず心臓が収縮しそうな冷たさである。

昨年バリに来た時も多少水は冷たかったが、ここの冷たさは尋常ではない。最低でもスプリング、いや、シーガルが要りそうな冷たさだ。

しかし既にスズキさんはボートの舳先を岸へ向けてラインナップを離脱しつつある。

そもそもウェットなど持って来ていないから、戻った所でどうしようもない。これはもうサンサンと降り注ぐ太陽に助けてもらうしかないだろう。

僕は覚悟を決めて、少しアウト側からラインナップに近づく。まずは様子見である。

何本かテイクオフを試み、波の感触を味わう。やはりサイズは小さいが、クリーンなライト。ボトムはゴリゴリのリーフだが、ハイタイドの今は水深に問題はなく、気にせずサーフできる。水は透き通っている。

このポイントの本領からは程遠いのだろうが、空いているし、徐々に身体を慣らすには持って来いだなあ、などと呑気に考えていた時だった。

僕がエントリーしてから20分ほど経った頃だろうか。にわかに四方八方から大小さまざまなボートがラインナップに近づいて来たかと思うと、そこから次々とサーファーが吐き出され、あっという間にピークは30名ほどのサーファーで埋め尽くされた。かと思うと、突然、アウトから頭オーバークラスのセットがブレイクし始めた。

僕はこのとき初めて、スズキさんの「スローリースローリー」の意味を悟った。

皆、知っているのだ。ここでは、完全にハイタイドを迎えてからでないと、波が真価を発揮しないと言う事を。

ほぼ全員オージーであろうサーファー達のレベルは恐ろしく高かった。ピークは一つしかないから、僕はなかなか波を取らせては貰えない。

そんな中でも一際鋭いカービングで波をえぐり、特大なスプレーを飛ばす金髪のクールな男がいる。彼は間違いなくプロだろう、僕はそう思った。あの動きはいつも動画やDVDで見ている、プロの動きと何ら遜色はない。

その男が、ちょうど波を切り裂き終わって、僕の横までパドルバックして来た。僕は思わず聞いていた。

「君はプロサーファー?」

しかし、男は「アイウィッシュ」とだけ答えた。プロの世界はもっと凄いのか、想像を絶するなと痛感した瞬間、突然僕は戦意を喪失した。

気付けば冷たすぎる海水のせいで筋肉は冷えきり、力が入らずパドルすらままならない。僕はすごすごと戦線を離脱する事にした。

しかし、時計を見るとまだスズキさんのお迎えまで15分以上ある。もはや身体は震えを隠せないほどになっていた。もう波を追いかけるどころではない。

僕は合わない歯の根をカチカチ言わせながらひたすらスズキさんの船が来る方向を眺めた。しかし、約束の12時半を過ぎてもボートは現れる気配がない。

13時を回った頃、寒さのあまり遠のきそうな意識の中で、ようやく僕はスズキさんにぼったくられたことを悟った。往復でなど頼んではいけなかったのだ。僕は自分のお人好し加減を恨んだ。この状態で僕は400mの道のりを自力でパドルしなくてはならない。

まったく近づいて来ない岸に向かって鉛のような腕をなんとか回し続けながら、僕は惨めな気持ちを噛み締めていた。

この日のためにトレーニングを欠かさなかったのになあ。まさかオフザリップは決められずに、リップオフだけ決められるとは。

今は、オリンピックで結果が出せずに悔しがる選手の気持ちが痛いほど分るのだった。

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