【206日目】何度も何度でも
September 8 2011, 10:11 PM by gowagowagorio
8月24日(水)
昨晩から喉が痛い。どうやら風邪をひいたようだ。
ナツモの心配ばかりしていたが、まさか自分の足下に病魔が忍び寄っていようとは。こういうのも「灯台下暗し」と言うのだろうか。
そして、僕からうつったのかどうかは判らないが、ミノリもまた風邪をひいたようだ。ミノリの症状は鼻に出た。ミノリの小さい、ぺったんこの鼻からは、ひっきりなしに青っぱなが溢れている。もしかしたら喉も痛いのかも知れないが、ミノリにそれを伝える術はない。
ミノリは相変わらずシャブリなしでは安眠できない。そこへ鼻づまりが重なるとどういう事になるか?
シャブリをくわえて一度は静かに眠ったミノリ。しかし、鼻で呼吸ができないため、苦しいのだろう、すぐに泣き出し、自ら口のシャブリを毟り取ってしまう。すると呼吸は楽になるが、その数秒後、今度はシャブリの禁断症状が現れる。
むしろ呼吸困難の時よりもシャブリがない時の方が苦し気に泣いているため、僕はその後何が起こるかが分かっていながら、仕方なくシャブリを拾ってくわえさせてやる。後は推して知るべし、振りだしに戻る、だ。永遠に終わらない苦行のループが明け方まで続く。
ミノリにとっては拷問だったに違いないが、僕にとっても、昨夜は夜泣きされる以上に過酷な夜だった。
それにしても、僕、ミノリ、と立て続けに風邪をひいておいて、何でも真似したがるナツモがこのまま無事で済むとはどうも思えない。
ナツモの体調を危惧しているところへ、タイミング良くアキコからメールが入った。ナツモのクラスメイト、カレンの母親から転送されて来たものである。
「こんにちは! カレンが昨日の帰りから熱を出し、さっきインフルエンザだと判明したの(>_<)ナツモちゃんは大丈夫かな?学校で一番接触したと思って・・・」
何と言う事だ。ナツモの健康は今、不安要素だらけの環境の中にある。アキコからは「帰宅したらうがい20回」の指示が出ている。何故20回なのか、その数字の根拠がまったく不明だったが、異論はなかった。
かくして本日僕は、ナツモのコンディショニングのため、あらゆる行動に目を光らせる鬼コーチのような存在となった。
こんな時に限って、ナツモはプールに行きたいと言う。その気持ちは解る。しかし、今プールに行くのははリスクが高すぎる。ただでさえナツモの周りにはウィルスが蔓延しているというのに、プールで身体を冷やしたら、一発で発症しそうな気がする。
あれこれ考えていると、思い過ごしかもしれないが、ナツモの声が心なしか、すでにハスキーなかすれ声になっている気までしてくる。ここは鬼コーチらしく、心を鬼にして禁止しよう。
「今日はやめておけば?」
「なんで?やだー」
「だって声がおかしいもん。風邪ひいてんじゃないかな」
「だいじょうぶだよ?おかしくないじゃん」
ナツモは僕の忠告を意にも介さず、さっさと水着に着替えようとしている。
・・・もとより、言って聞かせるのは無理な相手だ。ならば泳がせてやって、なるべく早くあがるよう交渉しよう、と妥協する僕は鬼コーチ失格であろう。
「じゃあ、30分だけな。風邪を引いてパーティできなくなったら困るから」
「はい、わかりましたー」
ナツモはプールで今日もいい動きを見せ、そろそろ本格的な水泳の指導が必要かも知れないと思わせる。何しろ僕は大したアドバイスも与えず、「やってみ」「スゴイスゴイ!」と言っているだけでこれまでのナツモの進歩はすべて自力と言っても過言ではないのだ。
ナツモは泳いだり、潜ったりする前に、必ず「いっせーのーせっ!」と勢いを付ける。それからバタ足をしたり、水中深く身を沈めたり、時にはでんぐり返ったり、水中を忙しく動き回る。
もう、僕はナツモを支える必要がない。ナツモのそばに突っ立っていれば、必要な時にナツモ自ら僕に掴まって息継ぎをし、間髪入れずに再び「いっせーのせっ!」と水中へ身を投じる。何しろやればやっただけ進歩していくのだ。それを観ているのはとても楽しい。だから、30分だけと言っていた僕自身が時間の経過を忘れていた。
すると、つい今まで「いっせーのせっ!」と叫んでいたナツモが、次の瞬間、「いっせーのーせ」と言うべきタイミングで「さむい!」と叫んだ。
マズい。こうなると僕はお腹のトラブルに見舞われた人物よろしく急がねばならない。
「はやくはやく!だっこしてー!まいてー!はやくたおるでまいてよー!」
「わかったわかった」
オマエは手巻き寿司の具か、と言う台詞を飲み込み、ナツモをタオルで厳重にくるんで部屋へ戻る。とにかく早くカラダを温めなくては。
すぐに入浴させたのは良かったが、ナツモは身体が温まった後も温度の低いお湯で遊んでなかなか上がろうとしない。これでは再び冷えてしまうではないか。僕はナツモに、口うるさく、何度も言い聞かせる。
「早くあがってって言ってるでしょ。言っとくけど、これはもっちゃんのためなんだぞ。別に誕生パーティがなかったら、もっちゃんが寒くなるまで遊んでて風邪引いてもいいよ。でも、もっちゃんあんなにパーティ楽しみにしてたでしょ。風邪引いてパーティできなくならないように、おとうちゃんはうるさく言ってんの」
ナツモは最近、こちらが言葉を尽くしさえすば最終的にちゃんと納得し、従うという場面が増えて来た。それはそれでいい傾向ではあるのだが、いかんせん天邪鬼なものだからいつも可愛く素直に応じるという訳ではない。
ナツモの返答は、その納得度の違いで三段階に分かれている。
「はい、わかりました」
ややおどけながら、やれやれ、というトーンでありながらも、これは割と納得度が高く素直に従う場合である。
「(溜め息混じりに)わかったよ」
やや生意気な雰囲気のこれは、やりたくはないが、言われた事の必要性は自分も感じていて、渋々という時。
「わかってるよ、それは」
これは、必要性自体に疑問を感じているときだ。
今もナツモは「わかってるよー、そんなこと」などと言いながらもスポンジで遊ぶ手を止めない。段階としては最低レベルの納得度という事になる。
「わかってないよ。わかってんだったら今すぐ上がって服着なよ」
粘り強く言い聞かせる僕が寒くなってきた。そうだ、僕だって体調が思わしくないのだった。むしろナツモは全く問題なさそうである。
−−
今日の夕食のメニューに、昨夜の残りのカレーがあった。そのカレーをスプーンでつつきながら、ナツモがつぶやいた。
「かれーってさー、からいよね。なんでだろねー」
これは・・・ナツモがバッティングピッチャーのようなボールを投げ込んできた。これを打たない訳にはいかなかった。
「そうだよ、『かれぇっ』ってなるから、カレーって言うんだよ。・・・おもしろいねー、ダジャレだよ」
僕は一息に言い終えて、ナツモの反応を待つ。これまで何度も一蹴されてきたけれども、僕はめげるつもりはない。何度でも言い続けるだろう。ダジャレは、ボキャブラリーを増やし、頭の回転を鍛える素晴らしい日本語のエクササイズなのだから。
そして。
「いひひひひ!おもしろくないよー。いひひひ!」
言っている事とその反応が真逆のナツモに、確かな手応えを感じるのであった。
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