【201日目】小さな巨匠
August 30 2011, 8:47 PM by gowagowagorio
8月19日(金)
ナツモが「もうごはんたべたい」と言い出したのは16時をまわった頃だった。相変わらず唐突なヤツである。
「は?早過ぎるでしょ。我慢しな」
「がまんしれない!」
「なんでまた今日はそんなにお腹が空いてるの。お昼食べたんでしょ?」
「たべてないよ」
「なんで?」
「こうやってたから」
ナツモはその状況を実演してみせた。・・・が、どうも合点がいかない。ナツモは床にうずくまり、マメのように丸まってしまったのである。
「・・・何それ?」
「カレンとずーっとこうやって、みえないようにしてたら、らんちがいなくなっちゃったの」
「・・・」
カレンと二人でやったそのポーズに一体どう言う意図があるのかは全く理解できないが、それでランチを食べ損ねたと言うなら、それは自業自得以外の何ものでもないだろう。
「そりゃ、お昼食べなかったらお腹すくよ。でも、ゴハンは決まった時間に食べなきゃだめ。あと2時間我慢しな」
「がまんしたら、ふうせんがおおきくなるから?」
「そうそう」
ほほう、駄々は捏ねても、それはちゃんと覚えているんだな。
ナツモは我が儘の合間に、先日アキコがナツモに語った「我慢の風船」の話を挟んで来た。ナツモは僕らが話した事は色々と覚えていて、その言葉に対する理解度も高いのだが、結局、理解する事と実践する事は別問題なのだ。ナツモはその後2時間近く、ずっと「もうたべたーい」を発し続けるのだった。
17時45分まではなんとか我慢させ、二人でおにぎりを作る。
K家にプーケットで貰った日本土産のふりかけをゴハンにまぶし、それをナツモにも握らせる。ナツモが握るおにぎりは、一口サイズというより、米粒の数が数えられる、ハナクソみたいな大きさのものである。それに海苔を贅沢に巻いて行くので、おにぎりというよりは米粒の海苔包みといった風情である。
おにぎりは出来上がったものの、他のおかずがまだ用意されていない。エリサが先ほどミノリを連れてプレイグラウンドへ降りて行ったからだ。
僕は5階の窓からプレイグラウンドを見下ろす。そこには楽しげにミノリを乗せたベビーカーを揺らすエリサの姿があった。
傍らでは別の家庭のナニが、エリサと談笑しながら同じくベビーカーを揺らしている。
ミノリがある程度大きくなったため、毎日ミノリを外出させるよう依頼してからと言うもの、エリサは活き活きとしているように見える。
誤解を恐れずに言えば、エリサのようなナニにとって、自分が働く家の子供は、ある種「アイテム」のような一面があるのではないだろうか。
それは、プレイグラウンド等で同じ立場の友人達と堂々とたむろするためのアイテムである。
「子供を遊ばせる」という名目もなくたむろしていると、ただ単にサボっているように見えてしまう。
エリサにとって、ミノリを階下へ連れて行けるようになったのは最近の事だ。それ以来、エリサは積極的に、毎日ミノリを連れ出してくれる。
もちろん我々としても助かるのだが、エリサにとっては、ようやく得た、休日以外の息抜きとなっているのだろう。
−−
ナツモは、今日一日ずっと機嫌良く遊んでいたはずなのだが、どこで地雷を踏んだのだろうか、最後の最後でつまずいた。
原因は間違いなく僕なのだが、そこまでクリティカルにナツモの機嫌を損ねる出来事だったのか、未だに理解に苦しんでいる。
これを説明するのは簡単ではない。
<道具>
1から10までの数がかかれた、木製の正方形のパネル。
そのパネルが入っていた円筒状の布製バッグ。
年代不明の古いマクドナルドのハッピーセットのノベルティ(ハンバーガー型をしたびっくり箱)。
ナツモは、布製のバッグの中央にハンバーガーを置き、周りを木製パネルで埋め尽くす事に執心していた。
そして、上手く行ったのが余程嬉しかったのだろう、それを僕に見せに来た。ナツモの中でそれは、最高に美しい作品だったのだ。もちろん僕にはその価値を理解することはできない。
しかし、ナツモは運悪く、その作品をひっくり返してしまった。
大丈夫、一回できたのだから、もう一回作ればいい。
最初はナツモもそう思っていたに違いない。実際ナツモは、「だいじょうぶ、もっかいしれる(できる)から」
と、すかさず床に散らばった木製パネルを拾い集めて、元の造形を再現しようとしていた。
ところが、先ほどの「作品」は奇跡的なバランスで偶然生まれたものだったのだろう、ナツモは二度とそれを元に戻す事ができなかった。
この辺りから雲行きが怪しくなる。
「ねえおとうちゃん、やってよ!」
この時点でナツモは既にヒステリックな声を発している。僕は記憶を頼りに木製パネルをハンバーガーの周りに挿して行く。
しかし、「ちがう!そんなんじゃない!!」とナツモが癇癪を起こして、何故か、(僕にとっては)それしきのことで、大粒の涙を流し始めた。
僕は困惑しながらも、もう一度、注意深く木製パネルをハンバーガーの周りに配置した。そして出来上がった物は、なかなかいいセンを行っているように見える。
「どうでしょうか、センセイ?」
陶芸家の師匠に自分の作品を見せる弟子のような気分で、二回目のチャレンジをナツモの前にそっと置く。恭しく(見えた)中身をあらためるナツモ。次の瞬間。
「ちがう!」
ナツモは力任せにパネルを次々と引き抜くと、ぽいぽいとそこらじゅうへ放り投げ始めた。師匠は気難しいのである。
以前の僕なら、ここまでの仕打ちをされたら心穏やかではなかったと思う。しかし、今は、ナツモの癇癪と、その理由となっているものの間に理解不能な大きな壁があるため、まったく腹が立たない。むしろ、ムキになるナツモの姿が滑稽で、笑ってしまうほどである。
苦悩するアーティストのようなナツモを、アキコが何とかなだめすかして寝かせる。その間、僕はミノリにミルクを与え、寝かせようとする。
ミノリはミルクを飲み終わると、もうオマエは用済みだと言わんばかりに僕の腕を抜け出すと、一目散にナツモとアキコのいるベッドルームへとハイハイして行った。
ナツモのためを思って玩具を作り、ミノリのためを思ってミルクを飲ませても、彼女たちがそれをありがたいと思う事など、今は決してない。
もちろん、そんな事は分かり切っているし、期待もしていないつもりだが、それでもやはり、報われないなあ、という一抹の寂しさを感じるものである。
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