【139日目】ハイビスカスはダンステリア?いや、ビジネスエリア
July 12 2011, 10:00 PM by gowagowagorio
6月18日(土)
ミノリは最近、「ワン泣き」が多い。(ケータイで言う所の「ワン切り」が由来の造語である)
一瞬、「ひーーん」と泣くものの、夜泣きか?と駆けつけた時には再び熟睡しているのだ。徐々に睡眠が安定し始めたのかもしれない。些細な事だが、だとしたら、心底嬉しい。気分としては、大学のバスケ部で、苦しかった下級生時代が終わり、いよいよ上級生としての日々が始まる前の心境にかなり近い。
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ナツモは朝食に、ヌテラをまんべんなく塗った食パンを食べている。塗るのはもちろん、アキコか僕だ。塗り終えてそのパンをナツモに渡すと、数秒後、ナツモは再びパンを僕に差し出し、「あけてー」と言う。この「あける」は、ドアや窓を開けるという意味に近い。パンを受け取った僕は、パンの下側一辺の耳だけを齧り取る。そしてナツモにそれを返すと、「耳が開けられた」所から、ナツモは中の柔らかい部分を食べ始める。他の部分の耳は残さずちゃんと食べるので、耳がキライで食べられない、という訳ではないらしい。不思議なヤツである。
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今日はアキコがグランドハイアットでタヒチアンダンスショーに出演すると言う。ステージはお昼から断続的に数回あるらしい。
アキコは朝からダンスの準備に勤しみ、僕とナツモはいつも通りキックボクシングの練習へ向かう。キックボクシングの後、一旦帰宅して荷物とミノリを入れ替えてからグランドハイアットへ出向く。
アキコにとっては渡星してから初の晴れ舞台である。どんな華やかなステージになるのだろう。ダンスのステージとなる部屋は「ハイビスカス」だと言う。名前からして、なんだかそれっぽいではないか。増々期待に胸が膨らむ。エレベータで4階に降り立つと、すぐ右手にハイビスカスの入り口が見えた。
ところが、どうも様子がおかしい。
そこには、トロピカルなムードなど一切感じられない、質素な受付カウンターが出ている。そこで受付をしている人は皆、名刺を差し出している。これは、ダンスショーではなく、どう見てもビジネスショーだ。
名刺など持っていない僕はコソコソと受付をスルーしようと試みた。しかし、ベビーカーとうるさい小僧を連れた190cmオーバーのもじゃもじゃ頭ではそれは到底不可能だった。
「お名前をいただけますか?それとも、何処かのブースにお知り合いが?」
受付のすました女性に呼び止められる。僕は咄嗟に何と答えていいか分からず、どもりながら「実は妻がパフォーマーで・・・」とだけ伝えると、どうやらそれで通じたらしく、何とかそのまま通してくれた。
会場へ踏み込むと、そこはやはり小規模なビジネストレードショーの会場となっていた。しかし、日本のそれとは大分趣きが異なり、各ブース手作り感が満載で、どちらかというと高校の文化祭のようなノリである。
どのブースも客を呼ぶためにビンゴゲームを用意したり現金つかみ取り(!)を用意したりしつつ、各社張り切って呼び込みを行っている。
どうやらアキコが出演するステージは、そのようなアトラクションの一部と見て間違いない。はたして、とある食品販売会社のブースで、プレゼンテーションとプレゼンテーションの間のつなぎとして、タヒチアンダンスのインストラクターとアキコ、そしてもう一人の生徒が三人でステージをこなしていた。
客は少なく、音響も恐ろしくシャビィである。アキコのデビュー戦は、かなりほろ苦いステージだったことは言うまでもない。
全ステージを終えたアキコと共に帰宅する際、伊勢丹に立ち寄ってナツモの水筒を買う。先日ナツモは、まだ買って間もないプリンセスの水筒を落として破壊してしまったのだ。
今回もその水筒を買ったのと同じ売り場だったため、ナツモはどうせまたプリンセスを選ぶのだろうな、と思っていたが、意外なことにそうではなかった。プリンセスへの執着心はかなりメロウダウンしたと見える。
それにしてもナツモは優柔不断すぎる。アキコがお薦めするボトルはどれもナツモにとって一長一短らしく、なかなか首を縦に振らない。かといって、自分で選ぼうにも目移りが激し過ぎて、3つも4つも手にぶら下げたまま、まったく決めらる事ができない。
客観的に見て、買い物におけるこの優柔不断さは間違いなく僕に似ていると思う。痺れを切らしたアキコが言い捨てる。
「もう、今日は買わない。もう時間ないから、早く帰らないと」
今日はアキコの両親が帰国前最後の晩餐と言うことで、19時からチャイムスの高級中華レイガーデンへ北京ダックを食べに行く事になっている。今は既に18時だ。ナツモは、さっさと売り場を去っていくアキコの背中を見て泣きそうになっている。
「今すぐ決めな。そしたら買ってくれるから」
「んーと・・・」
ナツモは棚をぐるりと見渡すと、これまでまったく候補に上がっていなかった、猫のイラストが入った紫色の水筒を、がばっと掴んだ。
「これ」
「え?これ?だめだよ、こんな箱に入ってるヤツは高いんだから・・・」
ところが、値札を確認した僕の目に飛び込んで来た数字は、3ドル90セント。他のボトルが軒並み10ドルオーバーなことを考えると拍子抜けするほど安い。
「なんだ、これすっごい安いじゃん。よし、マミーに聞きに行くぞ」
二人で人混みを掻き分けながらアキコの背中を追う。
「ママー、これがいい」
「え?これ?」
アキコも、いきなり候補以外の水筒を見せられたため、僕と同じリアクションを見せた。それを拒否されそうだと受け止めたのだろう、ナツモが必死に食い下がる。
「でもこれ、すっごいやすいよ」
僕の台詞を真似ただけとは言え、3歳児が親を説得するために使う材料としては少々違和感があった。
無事に水筒を手に入れてほくほくしているナツモは、自ら箱を抱えて「これトムだよ」と言っている。
ん?トムって、トムとジェリーの?この、大きなリボンをあしらったラブリーな白い猫はどう見ても女の子だ。箱を見るとディズニーと書いてある。僕はその白い猫のキャラクターの名前を知らない。ディズニーであることさえ知らなかった。
正式名称が何であれ、その猫がトムでない事を知った時のナツモの心情を考えると不憫で、僕にはその事実を告げる事ができなかった。帰り道に通りかかった洋服屋で、アキコの父へのプレゼントとして緑色のポロシャツを購入する。所要時間、5分。ナツモの水筒購入、所要時間30分。
セ・ラ・ヴィ。
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