【247日目】バッハの旋律を朝に聴いたせいです、髪切ったのは


March 2 2012, 7:09 PM by gowagowagorio

10月4日(火)

リビングの出窓に手を付いたミノリがリズミカルに膝を曲げ伸ばししている。

ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ

ややガニ股で、お尻を突き出して、一心不乱に身体を上下させるのだ。その動きは、出窓に置かれたステレオから流れるサカナクションの「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」のリズムと完璧にシンクロしている。

ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ、ヘコ・・・

「ばっはーのしぇんりつを、よるにきいたせいですこんなこころーおお」

そして、イントロ明けからしっかりとナツモがボーカルをかぶせて来る。汗で頭をびしょびしょに濡らしながら身体を上下に揺らし続けるミノリと、見た事もないような集中力で全ての歌詞を覚えようとするナツモを眺めながら、サカナクションというバンドの偉大さを改めて実感する。

この曲は2ヶ月ほど前に僕がiTunesストアでダウンロードしたものだ。育児休業が始まったばかりの頃、ナツモにサカナクションを聴かせると今のミノリと同じように一心不乱に踊っていたから、僕はこの新曲もナツモに聴かせた。

案の定、ナツモは曲が終わると「もういっかいして」と何度もリピート再生を所望した。そのとき、突然ミノリが今のように曲に合わせて身体を揺らし始めた。

それを見たアキコが「ムニーはこの曲が好きみたいだよ」と言っても、そのときの僕は、たまたまミノリが身体を揺らしていたに過ぎないと思っていた。

しかしそれは偶然ではなかったのだ。

その後もナツモは、僕が置きっぱなしにしたiPhoneで器用にその曲を呼び出し、再生した。そして、曲がかかると必ず、ミノリは正確に同じ動きで踊るのである。

ナツモといい、ミノリといい、(そして僕といい、)なぜこうもサカナクションの曲に引込まれるのだろうか。

ナツモがハマっているものがもう一つある。「プリキュア」である。いや、正確には「ハマっている」のではなく「ハマるために学習している」という状態だろう。

ナツモは日本で両祖母から一枚ずつ、プリキュアのDVDをプレゼントされた。シンガポールに戻って以来、ナツモはその2枚を交互に、何度も何度も繰り返し視聴している。

僕もプリキュアの存在はもちろん知っていたし、それにハマる友人の娘の熱狂ぶりなども垣間みてきた。しかし、それは日本国内だけの現象で、プリキュアのオンエアがないシンガポールで生活している以上、ナツモがその影響を受けることはない思っていた。

しかし、ナツモは日本で自ら「ぷりきゅあのでぃーぶいでぃーがほしい」と所望したそうだ。

その話を聞いた時は、ナツモは何処でプリキュアを覚えたのだろうと不思議だったが、何の事はない。クラスの友人、カレンの影響だそうである。カレンは比較的最近、日本からやって来た。カレンがプリキュアというカルチャーをイートンハウスのクラスに輸入した訳だ。

ナツモが観ているのは「プリキュアオールスターズ」。良くできたもので、これにはプリキュア全6シリーズのキャラクターがすべて登場してくる。やや強引な設定ではあるものの、アーティストのベスト盤を聴くように、プリキュア初心者でも短時間でキャラクターを予習できる。

画面を食い入るように観ているナツモが今、本当にプリキュアが好きかどうかは分からない。僕が観ていても、キャラが多いためにストーリーは複雑だし、展開がめまぐるし過ぎると感じる。

それでもナツモが集中力を切らさないのは、ナツモの中で「これは好きになるべき」という使命感が働いているからだろう。それは、僕が小学校1年生の頃、「俺たちひょうきん族」を観ていたのと同じ感覚に違いない。

それにしても、プリキュアのキラキラした光と派手なSEを駆使した演出は、さぞかしパチンコと相性が良いだろう。その派手な演出で、集中し過ぎたナツモが癲癇を起こさないよう気をつけねばなるまい。

−−

もう夜9時をまわろうという時、アキコがミノリの髪を切りたいと言い出した。確かに、後ろ髪はまったく伸びていないくせに、生まれた時から多かった前髪だけが伸び放題で目にかかるようになり、それが目に入るのかミノリは時折目を赤くしている。まあ、前髪を切るだけなら一太刀入れて終了、所要時間も長くて5分だろう。

ところが、アキコが散髪道具を準備していると、何でも真似したがるナツモがしゃしゃり出てきた。

「もっちゃんもきるー」

タイユアヘア(髪の毛を結ぶの意)したいと言って、これまで我慢して髪を伸ばしていたにも拘らず、である。まったく発想が短絡的なのだ。しかも今はもうとっくに就寝時間だ。

「もっちゃん、髪伸ばすんじゃないの?」

「きりたい!」

「もう寝る時間だから、明日にしたら?」

「イヤだ」

こうなると埒が開かないのはアキコも僕も身にしみている。だからアキコはまずナツモから片付ける事にしたらしい。

実はナツモの髪を一番伸ばしたがっている張本人の僕は、急に不安になった。

「前髪だけね、もう遅いし」

この際時間が遅いのはあまり関係ない。アキコが勢いでナツモの髪をショートにするのではないかと危惧したのだ。

前回もそうだった。前髪だけ切ろうかという話だったから、バスルームでその様子を眺めていた僕は、アキコがナツモの前髪を切りそろえた時点でその場を離れた。その隙に、ナツモは見事なショートカットへと変貌したのだ。

苦い過去を思い出した僕は、バスルームの入り口で散髪の様子を最後まで監視する事にした。案の定、アキコは今日もナツモの前髪を整えた後、ハサミを手にしたままナツモの周りをグルグルと歩き始めた。その視線は熱心にナツモの頭に注がれている。

「あー、もういいって!終わり終わり!」

思わず声を荒げる。それでもアキコは未練がましくハサミを離さなかったが、幸い、ナツモが眉を八の字にして「ねむいー」とゴネ始めたため、ナツモのロングヘアへの道は文字通り断たれずに済んだ。

−−

さて、今日でミノリは満11ヶ月を迎えた。それはすなわち、僕の育児休業もいよいよカウントダウンのタイマーがセットされたことを意味している。

後一ヶ月か。

困った事に依然として全く仕事に復帰したいという気持ちが湧き上がってこない。どうしたことか。

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