【121日目】こおにのいぬまに


June 29 2011, 9:29 AM by gowagowagorio

5月31日(火)

「なにしよっかなー」

これは、ナツモの台詞ではない。僕の台詞だ。僕はいつもより、ちょっとウキウキしながら午後を迎えた。何故なら、今日はナツモの帰りが遅いのだ。

半年ごとに切れるビザの手続き、その写真撮影のため、アキコとナツモは今日の夕方、リバーウォークへ行く。そのため、アキコがプリスクールで直接ナツモをピックアップすることになっている。それはつまり、僕が3時半にコンドのエントランスで待機する必要はない事を意味している。

たったそれだけのことで、ちょっとウキウキしてしまう。もちろん、ナツモは大切な、かけがえのない娘だ。それは間違いない。しかし、こう、来る日も来る日も同じ事の繰り返しというのは、ハッキリ言って、時に退屈に感じるものである。

スポーツで毎日ハードなトレーニングをこなしている人でも、本人の体調やメンタルの状態によって、それが無性に苦痛に感じる時もあるのと同じことだ。

普段は、ベルリッツに行って、日記を書いて、昼ご飯を食べて、トレーニングしてと、時間単位のスケジュールで忙しなく動き、気付けばナツモの出迎えとなる。(それは、エリサあってのスケジュールである事を忘れてはならないが)

しかし、今日は夕方6時頃まで自由の身だ。

いや、正確にはミノリと一緒なのだが、ヤツは午後は寝ていることが多い。基本的には自由の身だ。子鬼の居ぬ間に命の洗濯をしよう。とりあえず、昼寝でもするか。昼寝が終わったらプールに行こう。そしていつも以上にたっぷりとトレーニングに励んでしまおう。

まあ、僕の命の洗濯なんて、その程度のものである。

−−

昼寝までは計画通りだった。

しかし、僕がプールに行こうとすると、雨が降り出した。それも、半端じゃない土砂降りである。こんな中プールに行ったらボードに穴が空きそうだ。まあいい、こんなスコールはすぐに止むだろう。

待機している間、最近遅れ気味の日記をアップしたりして過ごす。一段落付いたところで外を見ると案の定雨は止んでいる。

よし、それじゃあ、と言うことで着替えてプールに向かおうとすると、育児に励まない僕を叱咤するかのように、再び激しい雨が降り出した。時計を見るともう5時過ぎである。雨のせいか、外はもう薄暗い。

すっかりモチベーションを削がれた僕はプールをあきらめ、雨の叱咤に従ってミノリのそばへ腰を落ち着けた。

「おい、むにー、あそぼうぜー」

遊ぶといっても、何をする訳でもない。四つん這いになっているミノリに対峙するように僕も四つん這いになり、おでことおでこをくっつけたり、まあ、そういう類いのことである。そんなことでもミノリはけっこう楽しそうに笑ったりするのだ。やはり、放っておかれるのは赤ん坊の精神衛生上よくないのだろう。例え常に抱っこをしていなくても、脳の成長に良さそうな凝った遊びを施さなくても、そばに誰かがいる、ただそれだけのことがとても大切な気がする。いつもよく泣いているイメージがあるミノリだが、今日はずっと大人しくしている。

6時前、アキコとナツモが帰宅する。

ミノリは、まだドアが開く前から聞こえるナツモの騒々しい声を耳にすると、嬉しそうに破顔した。まだ喋りもしないし、歩く事すらしないミノリだが、なんだか妹らしくなってきたような気がする。

ナツモは先週でプリスクールの1タームを終えたため、何やら自分のポートフォリオを持って帰って来た。これまで描いた絵や授業中の写真、先生からの手紙などがすべてファイルされている貴重な一冊だ。

そのページを何気なくめくって眺めると、ナツモの家では見せない一面が垣間見えてくる。それは僕を安心させるのに充分の内容だった。本人に直接聞いてもなかなか答えてはくれないが、ナツモは学校を存分に楽しんでいるようである。見た事がない絵もたくさんある。こんなに描けるものなのかと、少し驚いたりもする。

−−

夕食時、ここ最近ちゃんと食べないナツモは、今日も味噌汁をすすり、ゴハンを一口二口食べたきり皿の上のハンバーグを持て余している。前は「いえーい、はんばーぐはんばーぐ」と騒ぐほどハンバーグが大好きだったのに、どういう心境の変化なのか。

「ナツモの成長」という観点では食事を食べない事に関してあまり心配していない。何しろ父親は偏食でここまで育ったのだから。しかし、だからといって食べないことを放っておく訳にもいくまい。

まず、もうそろそろ最低限の食事マナーを手に入れないと、損をするのはナツモである。そして、僕は特に宗教を持っている訳ではないが、「命をいただいている」という考え方には賛成だ。

自分の血となり肉となるために食べ物になった植物や動物に敬意を払って最後までしっかり食べる。それが、僕が親として子供に伝えたい食事の価値観だ。だから、僕は怒る。(少し前に、もう食事を無理強いしないと誓った気もするが、まあ、要は気分次第と言うことだ)

スプーンをくわえたり、箸で皿を叩いたりして遊んでいるナツモをアキコが努めて優しい声で諭す。

「ほら、怒られながら食べたら美味しくないでしょ?だからちゃんと食べて」

そこへ僕がカットインする。

「こんなの別にまだ怒ってなんかないからな」

「・・・なんで?」

「我慢してるからだよ。怒るの。ちゃんとするなら今のうちだぞ」

僕が静かに凄むと、普段のナツモらしからぬ狼狽方で、

しっかり完食を果たした。それを見ると、なんとなく自分に「威厳」と言うものが備わっている事が確認できたようで、悪い気はしない。

−−

寝る前、ナツモとミノリがベッドで戯れ合っている。アキコに支えられ、ナツモがミノリを肩車する。微笑ましい光景だと思って眺めていたのも束の間、次の瞬間、ミノリが右手でナツモの髪の毛をひっつかみ、左手でバシバシとナツモの後頭部にパウンドを浴びせる。

「・・・ちょっと、かみのけ、やめて〜」

ミノリの激しいラッシュにより、上を向けずに弱々しく懇願するナツモ。興奮したミノリは頬をぷくっと膨らませ、「ぶー、ぶー」と唸りながら、トドメとばかりに、ヨダレ爆弾をナツモに投下した。完全にミノリの一本勝ちだ。

ナツモからミノリを引きはがす。ナツモはさぞかし機嫌を損ねていることだろう。何しろ、普段手下のように扱っているミノリにコテンパンにやられたのだ。姉としてのプライドが許さず、下手をすれば報復に出かねないだろう。

ハラハラしながら見つめていた僕の予想を裏切り、顔を上げたナツモはへらへらと笑っていた。

「えへへへ」

ミノリの狼藉など、意にも介していない様子だ。これもまた姉妹愛なのか。ナツモは心底ミノリのことが好きなのだろう。

もしくは、やはり真性のマゾである。 

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