【170日目】Something That Makes A Noise


July 27 2011, 7:30 AM by gowagowagorio

7月19日(火)

ナツモは珍しく早起きしたものの、その声が聞いた事がないようなハスキーな音色に変化していた。

やはり風邪をひいたか。

ナツモは土曜日、日曜日と2日間プールに入ったが、土曜日は天気が悪く、ぐっと気温が下がったため、水温も体感としてはかなり低く感じられた。そのせいで、昨日からナツモは青っ洟を垂らし、イヤな咳をしていた。

しかし、今日学校を休ませる訳にはいかなかった。

何故なら、今日は2週間に一回順番が回って来る、ナツモのプレゼンテーションの日なのだ。

それだけではない。今日はCNAのドキュメンタリー番組の取材が、イートンハウスの、それもナツモが所属するタイガークラスに入る事になっているのだ。

アキコは昨夜からすっかり張り切って、ナツモのプレゼンを成功させるべくサポートに回っていた。

プレゼンのテーマは「something that makes a noise」だと言う。

僕などは、割と、こう言う事に関してはナツモの好きにさせればいいと思ったりするのだが、アキコはまるで我が事のように、アイデアフラッシュよろしくトピックスを提案していた。

「もっちゃん、バイオリンの事にしたら?」

「もっちゃん、むにーの事がいいんじゃない?」

そして、ナツモはそれをことごとく取り入れた。

アキコの提案により、それらのトピックスの「企画書」として絵を描くナツモ。用意周到なことこの上ない。アキコのこの目のかけようは、所謂、ステージママへの入り口なのではないだろうか?

こうして、体調以外は万全の状態で登校していったナツモだが、はたしてテレビクルーを前に、いい仕事ができるのだろうか。本番に弱いナツモのことだから、過度な期待はしないほうがいいだろう。

−−

時計が15時を指した時、僕はノビーナスクウェアのカフェでiPadいじりに没頭していた。

僕はiPadとMacの同期をあきらめ、これ単独で使う事にした。ペイントツールを入れて絵などを描き始めてみたが、これこそ正しいiPadの楽しみ方の一つと言えるほど、時間を忘れて没頭できる。

手にする前は「iPadなんて、電話のついてないデカいアイフォンじゃん」と思っていたが、実際はまったく違った。いやはや、何事も、経験せずに決めつけるのは良くないという好例だろう。

ともかく、僕は急がなければいけなかった。

今朝、ナツモが、何故か帰りのスクールバスに乗るのがイヤだとごねたため、僕が学校まで迎えに行く羽目になっているのだ。ノビーナからイートンハウスまでの500mほどの距離を走って行くと、校門の前で交通整理をしている顔なじみのバスドライバーが声をかけて来た。

ナツモがバス通学になってから、僕は彼にしばらく会う機会がなかったのだ。

「ロンタイノーシー!やっぱ、その髪型のほうが俺は好きだ。もう切らないほうがいい」

気さくなチャイニーズのドライバーは、僕の頭に育った熱帯雨林を指して握手を求めて来る。適当に相槌を打って教室に着くと、ちょうど子供たちが吐き出されて来るところだった。

ナツモが僕を認めて駆け寄って来る後ろから、大柄のブロンド女性が現れた。彼女が新任のミス・キムに違いない。

タイガークラスの“スパイスガールズ”、ミス・シェルリンは、先月でイートンハウスを去った。理由は分からないが、もしかしたらモデルにでもなるのじゃないだろうか。

替わりにクラスを引き継いだミス・キムはニュージーランド出身で、見た所我々と同年代に見える。恐ろしく鼻の高いジョディ・フォスターといった顔立ちだ。シェルリンと比べて大人しい先生だと人づてに聞いていたが、それはシェルリンがあまりに先生然としていなかったからであって、キムも充分快活な印象だ。

「ミス・キムでしょ?ナツモの父親です。よろしく」

軽く挨拶を交わし、今日のナツモの様子を聞く。

「ナツモのプレゼンはどうだった?」

「すっごく自信を持って話してたわ。絵を使って、皆に彼女の経験を共有してくれたの。素晴らしかった」

ほほう、キムが言っているのは多少大袈裟なのだろうが、ちゃんと話はできたようだ。その姿をテレビカメラが捉えてくれたのか。さぞやアキコは喜ぶに違いない。

「今日はテレビの撮影があるって聞いたんだけど」

「ええ、でも、クルーはほんの10分しか教室にいなかったわ」

「え?そうなの?じゃあ、ナツモのプレゼンとテレビは関係ない?」

「関係ないわ」

「・・・」

拍子抜けである。まあ、そんなものだろう。ナツモが主役になるのはまだ早いという訳だ。

「もっちゃん、今日プレゼンよかったらしいじゃん」

「・・・」

家に向かう路線バスの中でナツモ本人にもプレゼンの様子を聞くと、本人は一応頷くものの、「別に」とでも言いたげな、物憂げな表情で窓の外を眺めている。オマエは周りが幼稚すぎてタイクツしている天才少女か。

家に帰ると、ナツモが突然「はやくじゃぱんにいきたいねー!」と言い出した。確かに、アキコは友人の結婚式に出席するため、今月末に帰国する予定がある。ナツモにも一緒に日本に行きたいかどうかを尋ねていたのだろう。

「なんで日本に行きたいの?」

「すずしいから」

どうやらナツモにとって、日本は冬のイメージが強いようだ。

「でも、今日本に行ったら、シンガポールと同じぐらい暑いんだぞ」

僕が紛れもない事実を伝えると、ナツモは、意外な事を言われたような、驚きの表情を浮かべている。しかし、それだけでは彼女の心は折れなかった。

「いついこっかー。きょういこっかー、マミーかえってきたら」

片道7時間のフライトを、気軽に「行こう」と言えるとは頼もしい限りだ。

「おべんとう、たーくさんもってく?あ、でもおとうちゃんはじゃぱんにきっちんがあるから、つくれるよね。おべんとうはいっこだけにしよっか」

いつの間にか行く事が前提になっていて、大分テンションが上がっているらしく、ナツモは一人で喋り続けている。

「・・・たぶん、今日は行けないと思うよ」

「なんでー?いきたーい」

ナツモはどうやら気候以外の部分でも、本当に日本が好きなのかも知れない。そう言えば、言葉に関しても日本語の方が好きだと、以前告白していた。移住前に心配していた日本人としてのアイデンティティは、しっかりと形成されているようである。

−−

ミノリに離乳食を与える。

先日のスプーントレーニングでの惨状以来、ミノリにスプーンは渡すものの、そこに食べ物は入れていない。まずはスプーンの感触に慣れ、なんのための道具かを理解するところから始めなければなるまい。

ミノリにスプーンを持たせ、その後、もう一つのスプーンで食べ物を僕がすくって食べさせてやる。ミノリは手の中のスプーンを興味深そうにこねくり回し、やがて、落とす。

無理も無い。まだ手先の神経が上手く働かないのだろう。僕はそれを拾って再び握らせてやる。

しばらくすると、落とす。拾って渡してやる。

今度はすかさず、落とす。・・・オマエ、わざとやってる?

まさかと思いながらスプーンを拾って渡してやると、渡したそばから、そして僕を見て笑いながら、スプーンを握っていた手を開いた。部活の嫌な先輩みたいなヤツである。

眠さで愚図るナツモに対し、今日は一度もキレなかった自分自身に成長を感じる。僕が「もうオバケの時間だから」とナツモに伝えた時、「イヤだ、遊びたい」とごねられても、好きなようにさせた。

僕は知っていた。ナツモはもう眠さの限界だ。どうせ、先は長くない。その見通しが正しかったことを証明する出来事があった。

ナツモは突然、独楽がやりたい、と言って自分の部屋を探し始めた。しかし、散らかり放題の部屋である。案の定、なかなか見つからない。「おとうちゃんもさがしてよー」と言うので、仕方なく僕も一緒に捜索をしている最中に、ナツモがつい本音を漏らしたのだ。

「はやくねたいねー」

やはり。限界なのだ。それなら、すぐ寝ればいいのに、と思うのは大人の考えだ。ナツモにとっては遊ぶ事がノルマなのだろう。寝たいけど、自分でやると決めた遊びを終えるまでは、寝る訳にはいかないのである。

その後ナツモは「ねるまえのごほん、いっさつだけね」と僕に訴えて来た。これも、「どうしても一冊は読んで欲しい」という我が儘というより、「眠いから、本当は三冊読まなきゃ行けない所を、一冊で許してね」というニュアンスだ。ある意味、根性があるということだろう。子供の生活とは、大変なものである。

今日もナツモはポリポリを所望したが、ほんの二掻きしたところで眠りに落ちたのは言うまでもない。

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