【176日目】髪の毛の存在意義


July 30 2011, 2:11 AM by gowagowagorio

7月25日(月)

ようやく、待ちに待った月曜日だ。

平日がこんなに待ち遠しい事など、過去を振り返ってもちょっと記憶にない。コンドのロビーに滑り込んで来る黄色いスクールバスが、最高に輝いている。

「グッモーニン!」

女性職員に向かって殊更にこやかに挨拶し、ナツモを受け渡すと、肩の荷がすうっと降りるのを感じた。

バスの中には十数名の生徒たちが乗っているのだが、ここで、その中の3名が、僕の方を振り返りながら何事かを囁き合い、そしてげらげらと笑い転げている。そう言えば、最近頻繁にバスの中の子供たちに笑われている。いったい彼らは僕のどの辺に笑いのツボを見出しているのだろう?

子供の笑いのツボというのは恐ろしく単純だったかと思えば、時として理解不能だったりして、非常に読みにくい。僕の身長か?それとも、もじゃもじゃの頭か?それとも、自分たちの働くお父さんからはかけ離れた見窄らしいファッションか?いくつも思い当たるフシがあるだけに気になる所だ。

そして子供達というのは恐ろしく残酷な生き物だから、あの笑い方からして、きっと僕の事をバカにしているに違いないのだ。これは今度、ナツモに聞いておいてもらうことしよう。

さて、ナツモが比較的いい子で過ごしている時に限って、何故かミノリが問題児と化す。もちろん、まだ9ヶ月弱の若輩者だから、分別などあるはずもなく、本能のままに行動することは分かっている。それでも目に余る事があるのだ。

夕食時、今日ミノリは虫の居所が悪かったのか、最初から愚図っていた。いつもなら食べ始めれば大人しくなるのだが、今日はまったく集中できず、身体を捩らせて後ろを向く。その回数があまりにも多いため、言っても無駄だと分かりきっているのだが、思わず「むにー!ちゃんと前向けよ!」と大きな声を出してしまう。

それで前を向いてくれれば苦労はしない。ミノリはさらに、自分の側で様子を見守るナツモの頭が目に入ると、無造作にその髪の毛を引っ掴み、思い切り引っ張る。まるで暴れるサルのような動きだ。

けっこう痛そうに見えるし、いつもやられているので近づかなければいいと思うのだが、Mのナツモは、自ら頭を差し出す。僕はその度に食事を中断してミノリの指をナツモの髪から外さねばならない。

「おい、むにー、髪の毛はそんな引っ張るもんじゃないぞ」

これまた無駄だと思いつつミノリを諭すと、髪を引っ張られていた張本人のナツモがすかさず相の手を入れた。

「かみのけは、あらうもんだよね!」

・・・間違いではないが、論点はズレている。しかし、おかげで苛立っていた心がやや脱力した。

とは言え、その後もミノリはまともに食事を摂らない。僕はナツモがそばに居る事が原因かと思い、ナツモにテレビを観ているように指示を出した。棚ぼたで手に入れたテレビの視聴権をすかさず行使するナツモ。

しかし、それはミノリにとっては逆効果だった。背後から聞こえる楽しげなアニメの音に、ミノリは余計、後ろを気にするようになってしまったのだ。

苛立ちが最高潮を迎えた時、僕は思わずミノリの肩を押さえつけていた。

「ゔゔゔゔっ」と低く唸りながら、意外なほど強い力で、ミノリはそれに抗ってきた。その目は完全に怒っている。ミノリの肩を押さえている手に力が籠る。ミノリは癇癪を起こして泣き始める。

ミノリは目の前に差し出された粥が乗っているスプーンを払いのけようと手をブンブン振り回す。パンチが空を切るのでますます怒りがエスカレートする。僕自身も決して冷静とは言えない状態だったが、頭の片隅では、ミノリも随分人間らしく喜怒哀楽を表現するようになったのだな、と、こんなことで妙な感慨を覚えていた。ちょっと前まで、押さえられたら為すがままだったと言うのに。これもまた成長の証だろう。

それはつまり、これからますますやっかいになっていくと言うことだ。今の時点で既にこんなに手強いのだ。恐ろしくもあり、楽しみでもある。

自分たちも食事を済ませた後、ミノリとのバトルでささくれ立った気分を変えようと、ビーズが欲しいと言っていたナツモをタングリンモールへ連れて行く。

「はやくいきたいねー」

「よし、じゃあ早く歩こう」

「やはくあるけない・・・」

僕はすぐに察して、ナツモを抱き上げ、肩に乗せる。片方の娘との関係が上手く行っていない時、なぜかもう一方には必要以上に甘くしたくなるというのは、二人以上の子供を持つ親にとって、共通の感覚なのだろうか?少なくとも、今この瞬間、僕はナツモに対してすごく甘い。ミノリに辛く当たった分をナツモで埋め合わせようとしているのだろうか。自分でも上手く説明が付かない感情である。

ともかく、おかげでナツモはさらに上機嫌だ。普段は、手を繋いで歩いているため僕の耳まで届いて来ないナツモの声が、上から降って来るとカンペキに聞き取れる。すると、会話が弾む。だから、肩車は僕も好きだ。

しかし、肝心のビーズが、タングリンモールには売っていなかった。

「仕方ない、明日違う所に探しに行こう」

「イヤだ!」

途端に機嫌が崩れそうになるナツモ。

「きょう、ほしい!」

「だって、もう帰っておフロ入って寝る準備しないと」

「もっちゃん、さっきの、おひるごはんがよかった!よるごはんのまえにいきたかったのに!」

昼食後であれば、たっぷりと買い物の時間が取れたのに、と言うような意味合いの事を、ナツモは主張しているらしい。

「さっきの、おひるごはんにしてよー!」

「ムチャいうなよ」

ナツモの斬新かつ柔軟な発想に翻弄されつつ、僕は、せっかく良い子だったナツモの機嫌をここで損ねたくないと思った。

「帰りも運んでやるから」

すると、僕の後ろをフラフラと未練がましく歩いていたナツモは、ぴたっと立ち止まり、すかさず手を広げて僕を仰ぎ見て来た。コイツは本当に抱っこされるのが好きなんだな、と実感する。

僕とてナツモを抱っこするのはキライではない。何しろずっとハグしているようなものである。いつでもやってやりたいが、あまりクセになると何処へ行っても歩かなくなる事を恐れてやらないだけなのだ。

夕暮れの坂道に、僕とナツモが重なった影が伸びる。僕は、ただ黙々と歩く。ナツモがぎゅっと首にしがみついて来る。何とも言えない幸福感が胸に満たされる。

ナツモに話しかけようかとも思ったが、天の邪鬼なナツモの事だ。何か言うと、この瞬間が不意に崩れそうな気がして、僕は喋るのを止めた。

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