Birth 3(次女の場合)

20:00を回り、陣痛の間隔は約5分となっていた。

そろそろ病院へ向かいたいところだが、 そこに、長女というハードルが立ちはだかった。

いつもより早めに、優しくベッドに誘い込み、 いつもより多めに本を読んでやる。背中もたくさんポリポリしてやる。 しかし、今日という日に限ってまったく寝ない。 まったく、子どもというのは勘が鋭いものである。

このままではラチがあかないため、無理矢理目をつぶらせて部屋を抜け出す。

荷物をまとめ、玄関をすり抜けようとしたところで ヤツが気付いた!凄い形相で追いかけてくる!

「あああああああーーーっ!!もっぢゃんもいぎだいのにーーーーー!!」

すまん、許せ!

長女の悲痛な叫びを背中に浴びつつ、病院へ。

21:00、病院着。 向かった先は「Deliverly suite」、所謂分娩室だ。

gorioに用意されていたのは、かなり広めの個室。 分娩台となるベッドの他に、 付き添い人が腰掛けられる革張りのソファーがあり、 シャワールームが完備され、壁には液晶テレビまでかかっている。 これはもはやホテルに近い! シンガポールの出産環境、なんて快適なんだ!

しかも今回、gorioは無痛分娩を選んでいる。 つまり、自然分娩だと味わうはずの苦しい瞬間がないのである。 あの、背中が腰の辺りから割れてトランスフォームしそうな勢いの苦しみ方。 あれは見ている方も思わず歯を食いしばってしまう。

苦労を美徳とする気質のせいだろうか、日本では自然分娩を推奨し、 苦しんでこそ真の母親という風潮がまだまだ根強い気がするが、 それもまた一つの道だろう。

シンガポールでは女性の就業率が異様に高く、 出産後、即仕事に復帰(3日とかで!)する者も多いため、 無痛分娩がスタンダードなのだと聞く。 それもまた一つの道だろう。

とにかくgorioは、長女の出産時、陣痛がクライマックスを迎えたとき、 「2度目は絶対無痛!」と硬く誓ったそうである。 夢が叶ってよかったね!

とは言え、無痛分娩を実行するにはするなりの準備がいる。

麻酔である。

おもむろに担当医が運んできたものを見て驚愕。 「・・・それ、コップ?」みたいな注射器がズラリ。 注射が嫌いな人はまずムリだろう。あの太さとあの本数。 それを立て続けに脊髄へぶち込んでいく!

うわあ、俺ムリ、絶対ムリ!

顔をしかめていると、gorioが

「写真撮ってくれた?注射するとこ」

イヒーーーーーーっ?!

しかし麻酔が終わってしまえば、もうパラダイス。 「ヒーヒーフー」ってなんですか?てな具合。 どのぐらいお気楽かというと・・・

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モニターの右側の数値が陣痛の強さを表している。100を超えると、地獄の苦しみなはずなのだが・・・

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妊婦、この余裕。

(モニター上は)どんどん陣痛が強くなる中・・・

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あ・・・寝た。

見守るこちらとしても、妊婦がそんなラクチンな状態なので、 心配するのは胎児のことばかり。 昼間と同様やはり脈拍が上がらず、様子を見に来るナースにまたもや"Baby is sleepy"と言われる始末。

「ダディ、大丈夫。そんなに計器を睨んでなくても、 ちゃんと私たちが外で見てるから。あなたは寝てていいのよ」

ナースに諭される俺。

そこへ、ガチャリとドアが開く。

"hi!"

入って来たのはデニム姿に松葉杖のお姉ちゃん。

……アンタ誰??あ、アン・タン……

よく見ると、それは私服姿のアン・タン女史だった。 なんてカジュアルな。

アン・タン女史は他のナースから状況を聞くと モニターを一瞥し、gorioの状態を見て

「まだしばらくかかるわね。私仮眠を取ってくる。good night!」

的なことを言い残し、去っていった。

そうか、まだしばらくかかるのか。 そんならいいや、俺も寝とこ。

ここが出産の現場とは思えないほど、穏やかな室内。 親子3人で仲良く居眠りである。

ZZZZZZ...…

ふと尿意を催し目を覚ます俺。時計を見ると、時刻は午前3:10頃。

何気なくモニターに目をやると、胎児の心拍数を表す表示が「?」 となっている。

これまでも何回か同じ現象が起こっていたが、 5秒も待てば再び心拍数の表示は復活していた。 今回も同様だろうとモニターを睨む。

……5秒……10秒。

まだ「?」は消えない。

……15秒……20秒。

さすがに焦りを感じ始める。

そのまま30秒、1分が経過しても状況は変わらない。

もしや、胎児の心拍が止まった・・・?

考えたくない事態が脳裏を掠める。

でも、さっきは、外でもモニターしてるって言ってたしな。 部屋に来ないってことは問題ないからだろう。

でも……

そんな様子に目を覚ましたgorioが気付く。

「どうしたの?」

「胎児の心拍が表示されないんだ。一応、状況を聞こうか」

「そうだね、看護師さん呼ぼうか」

ナースコールを押す……が、反応がない。 もう一度ナースコールを押す。 30秒ほど待って、部屋の外へ出てみる俺。 ナースセンターには確かにPCのモニター画面があるが、 そこはもぬけの殻である。

ふと廊下の奥の給湯室を見ると、灯りが漏れている。

給湯室まで歩いていき中を覗くと、そこでは 宿直のナース二人がドーナツを食べながら珈琲を啜りつつ談笑中。

「大丈夫ちゃうやん!ぜんぜんモニター見てないやん!」

と突っ込みたいのを堪えつつ(英語で突っ込むスキルがないだけだが)

「モニターがおかしいみたいなんだけど」

と伝える。

つかの間の楽しいおしゃべりを邪魔されたナースは、 「たかがモニターごときでうるさいなあ」といった表情で腰を浮かせ、 部屋へと向かう。後に続く俺。

部屋に入り、gorioの元へナースが歩み寄るのを見届けると 安心したからなのか、そういえばオシッコがしたかったのだ ということを思い出し、そのまま個室へ入る。 出来る男の俺は座りションなので、便器に腰を落ち着かせ、用を足す。

その時である。トイレの外がにわかに騒がしくなったのは。

ナースが何事か叫んでいる。その声は緊迫感を孕んでいる。

まさか、本当に胎児にマズい事態が?

トイレの前をナースが慌てた様子で通り過ぎる音がドア越しに聞こえる。 廊下へと顔を出したナースが、もう一人のナースへ叫んでいる……

"Hey! hey! baby's coming out right now!"

え?え?何?

午前3:20。

俺がカチャカチャとベルトを締めながらトイレを出るのと 「ふえええええええっ」という産声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。

目に飛び込んでくる、ナースに持ち上げられた紫色の物体。 まだ真っ白なヘソの緒がgorioの中まで続いている状態だ。

え?え?産まれたの?

後ほどのgorio曰く、 「なんか出てきた感じはあったんだけどねー」って。

いきみすらしなかったの?一回も?すげえ……

モニターの表示が「?」になるのは当たり前だ。 もうそこには胎児がいなかったのだから。 眠るように静かな胎児は、出てくるときもひっそりと。 それこそ最初は誰にも気付かれず生まれてきた。

俺オシッコしてたし。無痛分娩、おそるべし!

そのとき、部屋のドアが開いた。

立っていたのは、ジーンズ姿のアン・タン女史。 明らかに寝起きだ。ナースに起こされ、駆けつけたのだろう。 経験豊富なアン・タン女史の予想をはるかに上回るスピード出産。

肝心なときに立ち会えなかった女史は、寝ぼけた声で

"Oh...I'm sorry..."

とつぶやいた。

そして胎児から新生児となった次女は、 その場で身体を拭かれ、なぜかバスタオルでぐるぐる巻きに。

おくるみなんていう生易しいものではない。 小学生ぐらいなら、いじめと言われるような簀巻きの状態。

胎盤をひねり出しているgorioに向かって声をかける。

「ねーねーgorio、あれ見て」

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gorio(・・・みのむしみたい)

俺  (・・・みのむしだ)

「見てんじゃねーよ」

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ハイ、すんません!あまりにオモロイかっこだったんで!

そのとき、おもむろにgorioが呟いた。

「ねえ、この子の名前なんだけど。“みのり”って、どうかな?

 (みのむしみたいだし)」

「みのりか・・・いいね!秋の実りだし。

 (それにみのむしみたいだし)」

こうして次女・実莉が、

家族の一員として加わったのである。

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実莉が大きくなって、この日記を見る時、最後のくだりが改ざんされていることは、言うまでもない。

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