【214日目】キチンとチキン


October 5 2011, 10:32 PM by gowagowagorio

9月1日(木)

インフルエンザのナツモはもちろん学校を休むが、アキコは仕事、僕はベルリッツだ。そんな状態のナツモを置いていくのは多少心が痛んだが、すぐに帰る事を誓って家を出た。

授業中も、ベッドに寂しく寝ているナツモの姿が頭をよぎって集中できない。そんな状態だったから、終業のチャイムがなると同時に、公約通り、脇目も振らずに家路を急ぐ。

朝は比較的元気だったナツモだが、また今頃高熱を出してうなされているかもしれない。インフルエンザの高熱、あれは本当に苦しいからな、待ってろよ、今帰るぞ。

−−

ドアを開けた僕の目に飛び込んで来たのは、意外なほどスッキリした顔でつまらなそうにテレビを観ているナツモだった。

「・・・あれ?」

拍子抜けした僕が間抜けな声を発すると、ナツモがチラリと僕を振り返った。

「てびりみてんの」

うん、それは見れば分かる。が。

「もっちゃん、大丈夫なの?」

「ん?」

ナツモがどう見ても病人に見えないため、僕はエリサに確認した。

「熱はどう?」

エリサが聞かれると思った、という顔で首を横に振る。

「全然。36.5℃しかない」

「・・・」

これはどういうことだろう?僕のイメージでは、インフルエンザは一週間は苦しむ病気なのだ。いくら治癒のスピードには個人差があるとは言っても、ナツモは最初の発熱から48時間も経っていない。

素早く薬を服用したのがよかったのか、それともウィルスが脆弱だったのか。僕は今一度、病院から持って帰ってきた使用済みの簡易検査器具を眺める。そこには間違いなく、くっきりとA型インフルエンザ陽性を示す線が現れている。もしかしたらこれは誰かが後から書き足した線なのではないか?

そういえば薬代はえらい高かった。確か237ドル(約14000円。こちらでは保険が利かない)だ。その高額の薬代を稼ぐために、病院のスタッフが線を書いたのかも知れない。

・・・などと下らない妄想までしてしまう。

素早いリカバリーは歓迎すべきことなのに、なんとなく腑に落ちないという、不思議な感覚が僕を包んだ。

−−

ともかく、今日は長い一日となった。何しろナツモは元気なのである。遊びたい盛りに、じっとしていろと言う方が無理な話だ。本人は元気でも、まだウィルスを飛ばす期間であることには変わりない。そのため、気の使い方は依然として病人用だ。都度、ミノリを遠ざけ、自分たちもマスクをし、いちいちナツモの体調にお伺いを立てる。

ナツモもその病人特権だけはしっかり活かし、昼食にはハニーチキンを食べたいなどと宣う。なお悪いことに、ナツモは自らハニーチキンを所望したというのに、病人であることを言い訳に、ハニーチキンの皮と一番柔らかく美味しい肉を一口ずつ齧っただけで「もうおなかいっぱい」などと言う。オマエは魚の胸ビレあたりの柔らかい肉を一口だけ食べていたという殿様か。

「チキン、キチンと全部食べなさい。ちゃんと食べないならもう今後ハニーチキンは作らないからな」

自分でハニーチキンなど作ったこともないけれど、僕はナツモを叱責した。

「だって、ここがすきなんだもん」

「だってじゃない」

「でも、ここがおいしいの」

「そんな事は知ってるよ。でも、でもじゃない」

この口答え体質はなんとかならないものか。我が家は軍隊ではないけれど、ここは素直にハイと答えろよ、と思ってしまう。

ナツモは一体どうすれば、(チキンに限らず)ご飯をキチンと食べることにコミットできるのだろう?難しい課題である。

そして、その夕方。

ナツモはまたしても夕食にもハニーチキンを所望してきた。これは一体どういう了見なのだろう?僕は一瞬憤ったが、ぐっと堪えた。

まあいい。昼に食い散らかしたチキンが沢山ある。今はお腹が空いているだろうから、ナツモに責任を持ってそれをキレイに食べてもらうとしよう。

ところが、ナツモはいつまで経っても全くハニーチキンに手をつける様子がない。

「あれ?なんでハニーチキン食べないの?」

「ん?だっておひるにたべたからいらないよ」

「・・・」

イケシャアシャアとはこの事だ。

じゃあなんでハニーチキン食べたいって言ったんだよ、という言葉を飲み込んで、僕はハニーチキンを片付けにかかる。(実際は僕が沢山食べる事ができて嬉しかったのも事実だけれども)

ナツモはと言えば、チキンだけでなく、他のほとんどのオカズも、ダイエット中を宣言する年頃の娘のように、まともに食べなかった。

「はい、ごちそーさまでした」

勝手に食事を終わらせるナツモを、僕は冷ややかな目で見た。これは病気のせいで食欲がないのでは決してない。単なる目に余るワガママだ。

僕は静かに憤り、テーブルを離れようとするナツモの背中に声をかけた。元気とは言え、まだナツモは薬を飲んでおく必要がある。

「よし、じゃあすぐに薬ね。もっちゃんは、ちゃんとごはんを食べなかったから、昨日みたいに薬の後のアイスはなしだからな」

僕はナツモがこの後起こすであろう癇癪に備えていた。どうせ、「な、ん、で!」などと絡んでくるのだ。

なんでと言われても困る。しっかり食事をしなかったのはナツモなのだ。当然の報いである。自分の愚かさを薬の苦味としてたっぷりと味わうがいい。

・・・ところが。

「うん、わかったー」

極めて明るく素直に返事をしたナツモは、何食わぬ顔で薬をゴクンと飲み込むと、唖然とする僕を尻目に

「てびりみていい?」

と、リビングのソファに飛び乗った。

・・・もう、完治ということでいいだろうか。

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