【208日目】高い所から失礼します


September 26 2011, 12:00 AM by gowagowagorio

8月26日(金)

ぺち、ぺち、ぺち

小さな掌が、幾度となく僕の顔をひっぱたく。時計を確認した訳ではないが、この暗さ加減からいってもまだ4時半といったところだろう。

勘弁してくれ、オマエのせいで毎日寝不足なんだよ。

ミノリは泣いている訳ではないので、こちらとしても起きてあやそうなどという気はさらさらない。ひたすら寝たフリを決め込み、やり過ごすのみである。そのうち諦めてまた寝てくれる事を願って。

ぺち、ぺち、ぺち・・・「あばー、あばー」

耳元にミノリの吐息がかかる。早く起きて遊んでよと訴えているのだろうか。ふと、顔に振り注ぐ平手の嵐が止んだ。

諦めてくれたか、とホッとしたのも束の間、僕が眠りに落ちる寸前に、今度は髪の毛をゴワゴワと触ってきた。

ああ、引っ張られるな・・・そう覚悟を決めたが、ミノリは決して髪を力任せに引っ張るような事はしなかった。代わりにミノリは、何故か僕の耳の中に指を入れてカリカリと掻き出した。まったくミノリの意図が掴めない中、不覚にもそのカリカリが心地よく、僕はそのまま眠りに落ちた。

朝もう一度目覚めると、ミノリは僕の横に転がっていたから、きっと僕の顔で遊び疲れてそのまま眠ってしまったのだろう。つくづく、野生動物のようなヤツである。

−−

「おとうちゃん、どれぐらいたかい?」

夕食時、ナツモが唐突な質問を浴びせて来た。言葉が足りないが、これは間違いなく僕の身長についてだろう。

今日の夕方、肩車をしてタングリンモールまで連れて行ってやったから、自分が居たその高さを、具体的に知りたくなったのかも知れない。

「おとうちゃんは、すごく高いよ」

「どれぐらい?こっちきて。みてあげるから」

何故か上から物を言うナツモの指示に従い、ナツモの座っているストッケの真横に直立不動してやる。

「ね?すっごい高いでしょ?」

ストッケに座ったまま見上げて来るナツモに僕が声をかけると、ナツモは首を横に振った。

「ううん、そんなにたかくなかったよ」

僕は耳を疑った。背が高い、デカい、長い。出会う人すべてが、異口同音に僕の身長の高さについて表現する。人前でスピーチをする際には「えー、高い所から失礼します」というのが、僕の、お約束の持ちネタである。言わば高身長は僕のトレードマークなのだ。

それを、我が娘にいとも簡単に否定された事に僕は強い違和感を覚えた。ナツモだって学校で、「ナツモのダディは背が高いね」と言われた事が一度や二度はあるはずなのだ。

「え?もっちゃん、おとうちゃんは高くないの?」

「うん、ふつうぐらい」

「・・・自分で言うのもなんだけど、おとうちゃんは普通ではないんだよ」

「なんで?」

「だって、もっちゃん、おとうちゃんより高い人、見た事ある?」

「うーんと、ない」

「ね?だからおとうちゃんは高いんだよ」

僕はどうやら背が高いと言われる事に慣れ過ぎてしまって、それを否定されると、何処かで心のバランスが崩れるらしい。ナツモ相手に自分が背が高い事を認めさせようと必死になってしまった。

「ふーん、おとうちゃんよりたかいひと、いるの?」

「いるよ」

僕は関東1部リーグの大学バスケ部出身である。現役時代、チームメイトの間に入れば、僕はほんの、チームの平均身長だった。そこでは2mを越さないと「巨人」とは呼ばれなかったのである。

「おとうちゃんよりたかいひと、だあれ?」

「ここにはいないよ」

「なんで?」

「ジャパンにいるからだよ」

「そう・・・それじゃ、じゃぱんにいきたい。そしたらもっちゃんがみてあげるから。たかいひと」

話が飛躍し過ぎだし、相変わらず高い所からシツレイな物言いをするヤツである。

その後、話題はアキコの所在へと移った。

「マミーはどこにいるの?」

「ん?マミーは今、中国だよ。チャイナ。もっちゃんのクラスにもチャイニーズの子いるでしょ?」

「うん、いるよ」

「その国にいるんだよ。もっちゃんのクラスでチャイニーズの子は、誰?」

僕は特に深い理由もなく、話の流れから来た質問をナツモに飛ばした。

「うーんと、チャイニーズのこは、あんまりおおくない」

ナツモが首を傾げるので、僕は知っている限りのクラスメイトを思い浮かべて名前を挙げようと試みる。

「ジェイド?」

「ううん、ジェイドはえいごのこ」

ちなみに、ナツモが言う英語の子とはヨーロピアンの事をさす場合多い。

「それじゃあ、アップル?」

「そう」

「あとは?シャイアン?」

「そう」

「あとは?もういない?」

「うーんと、いるよ」

「誰だろうな・・・わかんないな・・・うーんと」

思いつく限りのチャイニーズの名前を出してしまった僕は、代わりに非常に単純なジョークを思いついてナツモに言った。

「わかった、・・・ナツモ!」

ぶっ、と飲んでいた味噌汁を勢い良く吹き出したナツモは、

「いひひひひひひひ!ちがうよー!」

と爆笑した。ナツモの笑いのツボは心得ているつもりだったが、これは予想以上の手応えだ。ナツモは、ひいひい言いながら「もっかいいって」と懇願してくる。

「・・・わかった、ナツモ!」

「ひひひひひ!それは、おもしろすぎるー!」

一度受けると、後は応用でどんなパターンもヒットする。

「わかった、エリサ!」

「ひひひ!ちがうよ!」

「わかった、むにー!」

「ひーひー、ちがうよー!・・・それ、たんじょうぱーてぃでもいってね。おともだちのまえで、『ちゃいにーずのこ、だあれ?』ってきいてから、もっちゃんとか、まみーとか、むにーとか、おとうちゃんとか、えりさっていってね。おもしろすぎるから」

これが面白いのはナツモだけなような気もするが、人様に披露したいほどお気に入りのジョークになってくれたようで、有り難い限りだ。

ここで、ナツモが念を押して来た。

「ちゃんと、いうまえに、『ちゃいにーずのこ』って、つけなきゃだめだよ。そうしないと、おもしろくないから」

ほほう、ナツモは本能的に「フリ」の重要性を理解していると見える。これには少々驚いた。

−−

近頃、ナツモは飛躍的にボキャブラリを増やしつつあるのだが、そのために、ナツモが会話で行う言葉の選択が、時折面白い事になる。例えば、今日、パーティのデコレーションを作っていた時の事。

ナツモは、僕がモールを捩って棒状にしたものをしげしげと眺めていた。そして、真剣な面持ちで僕に尋ねて来た。

「おとうちゃん、これはどうやって、ちからづよくまいたの?」

「力強く」の部分だけが、ナツモの稚拙な言葉の中で力強く目立っている。それは一体、どこで仕入れた言葉なのか。いくら僕やアキコから口癖がうつるとは言え、「力強く」の登場回数はかなり少ないはずだ。となると学校の、日本語クラスか。そこで読まれた絵本か、それとも歌った童謡か。いずれにしても、「力強く」は、ナツモの心に鮮明に残った言葉だったのだろう。

僕が一人ほくそ笑んでいると、ナツモはもう一本のモールを僕に手渡しながら力強く言うのだった。

「これも、まいてよー、ちからづよく」

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