【232日目】ロータイドが牙を剥く


November 9 2011, 6:07 AM by gowagowagorio

9月19日(日)

朝6時半に自然と目が覚める。

だがそこにミノリの鳴き声は響いていない。妙に広い部屋、妙に広いベッド。そうだ、オレは今一人なんだ、と気がつくと同時に、僕は再び眠りに落ちた。

次に目が覚めたのは8時を回ってからだった。もうすっかり陽が登っている。ふと見ると、ドアの隙間からメモ用紙が差し込まれている。眠い目をこすりながらメモを開く。

「グッモーニン、アリオ!皆隣で朝食を食べてるから、来て!」

メモを握りしめたままフラフラと隣のレストランへ顔を出すと、幸い皆はまだオーダーを済ませたばかりの所だった。僕も追いかけてジャッフルを頼む。朝は毎日これだ。食べるレストランは毎日変えているが、何処にでも必ずジャッフルはある。いや、ジャッフルだけではない。どのレストランに行っても、基本的にメニューはほとんど同じである。

恐らくメインランドから供給される材料が決まっているのだろう。朝食であれば、ジャッフルか、インドネシア風のパンケーキ、バナナポリッジ。それにバリコーヒーかネスカフェ(普通のコーヒー)。夕食であれば、サテーやカレー、魚のグリルなど、ほとんど同じメニューがほとんど同じ価格で提供されている。

味はもちろん、レストランによって多少違いはあるものの、「何処其処のコレが一番うまい」と断言できるほどの違いはなく、良く言えば何処を選んでも失敗はないし、悪く言えば何処で食べても同じ事である。それはまるで、デンパサール空港を出た所に並んでいるおびただしい数の両替所を見るのと同じような感覚だ。

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英会話とは不思議な物である。テーブル上、僕抜きで展開されるノーマルスピードの会話に一生懸命聞き耳を立てても、理解できない部分が大半を占める。しかし、ひとたび言葉が自分に向かって飛んで来ると、途端に意味が分かるのだ。

もちろんそれは、僕が相手だということで、易しく、短い言葉を選んで話してくれているからというのもあるのだが。

話題を振って来たのはレジンだった。

「アリオ、この後バイクを借りて島の探検に行くけど、一緒にどう?」

その言葉には、一人残された僕を気遣う思いやりに溢れていた。僕はその思いやりに応えなくては失礼ではなかろうか。しかし。

僕は何故わざわざ一人レンボンガンに残る事を選択したのか。レンボンガンでは波がいい時間帯は限られている。バイクで島を一周すれば、今日の美味しい時間帯は確実に逃す事になる。

僕は、勇気を振り絞った。

「あー、正直に、正直なところ・・・僕はサーフしたいんだ」

恐らく、僕の妙に力んだ言い方が滑稽だったのだろう。テーブルにいた皆は「正直なところ!そうよね!」と大受けである。

正直に言った事で、僕は自分のポジションを確定させた。皆の間にも、オーケー、アリオはこの先逐一誘わなくて大丈夫なんだ、という安堵感が広がったように感じられた。ノーと言える日本ってのは、こういう事を言うんだろうな、と僕は場違いな感想を持った。

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昨日クラマスの波に揉まれた僕の肉体はボロボロだった。到底自力のパドルでピークまで辿り着ける自信がない。

ビーチに立った僕は辺りを見渡した。左前方50メートルほどの所から、僕に向かって手を振る50がらみの男が見えた。僕は自ら男に歩み寄る。

「ボートある?」

「イエス」

男が指差す先には、4日前、僕の迎えをすっぽかしたスズキさんの、サンビーチ号が繋がれていた。男はスズキさんではない。しかし、同じボートを操る別のキャプテンなのだろう。そう認識した僕は瞬間的に自分の取るべき行動を決めた。

「片道で20、オーケー?」

男は問題なく頷いた。

潮はもう満ちていたから、僕はすかさずボートに乗り込み、男はすぐにエンジンをかけた。が、なかなか出発しない。どうしたのかと男を振り返ると、男は何か言い出しづらそうに僕に向かって右手を突き出し、指パッチンのような動きを繰り返す。

・・・来た。今度は、オレの番だ。

「今は持ってないから、後でね」

これで、おあいこだ。

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波はムネカタのファンウェーブだった。そして、一日でこんなに上がるのか、というほど水温が上昇し、快適そのものである。

ピークは混雑していたものの、見た所、全員が35歳オーバーのオールドスクールサーファー達で、ガツガツ波を取り合う事もなく、心行くまでのんびりと波乗りを楽しめた。

インディアナ・ケナンガに戻ると、ちょうどキースが発つ所だった。キースもアキコ同様、明日からの仕事に備えて先に帰らねばならないのだ。

絵に描いたようなアメリカンダディ、キースにはナツモとミノリが随分と世話になった。

「アリオ、帰ったら連絡を取り合おう。アリオが日本に戻る前にディナーにでも行こうじゃないか」

キースは渋い重低音が効いたハリソンフォードのような声で僕と別れの挨拶をすると、インディアナ・ケナンガの目の前のビーチに寄せられた、送迎用の小型ボートに乗り込み、南に下った所にあるスピードボートの係留場所に向けて旅立って行った。その姿はインディ・ジョーンズさながらだ。徐々に小さくなっていくキースにマーレーンとミアがいつまでも手を振っている。

今日はキースが、そして明日はメリーアンが旅立つ事になっている。旅の始まりに11人いたメンバーが日に日に少なくなって行くのは、それ自体が旅の終わりのカウントダウンのようで、寂しさを際立たせる。

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夕方、僕は再びピークを目指してパドルアウトしていた。

潮は、引き始めている。しかし、アウトにはまだ大勢のサーファーがいる。僕はこのポイントに慣れた事で、少し気持ちが大きくなっていた。ローカルのサーファーが上がるタイミングで上がれば、問題ないだろう。僕はそう考えた。

それに、潮が引いた事で波はよりソリッドになり、アタマサイズのかなり良い波がブレイクしている。これはサーフィンしない手はない。そのために一人残ったのだから。潮は引いていたが、ピークの水深も特に問題はなさそうだった。

しかし、僕は調子に乗るべきではなかったのだ。

あまりに波が良いので夢中でテイクオフを繰り返していた僕がふと水平線に目を向けると、太陽がもうすぐそこへ沈みきる所だった。他のサーファーはまだ粘ってはいるものの、もうそろそろ戻らないと真っ暗になってしまう。

僕は名残惜しみつつ、最後の一本と決めた波を乗り終えた後、腹這いになってスープに押されながらインサイドへ向かった。ビーチに戻るには長い距離をパドルしなければならないので、少しでもインサイドまでの距離を縮めておきたいところだ。

波は、僕の身体を予定よりもかなりレフトの方向へ運んで行った。僕の眼前に海面から顔を出したリーフが迫る。僕はブレーキをかけて乗っていたスープから降りると、右に向かってパドルを始めようとした。目の前のリーフを迂回しなければならないからだ。

しかし、次の瞬間、水を掻こうとした僕の手は、ギザギザの岩肌を思い切り叩いた。僕はイヤな予感がしてボードを降りた。

思った通り、足が着く。

いや、着くというより、水深は僕のスネ程度までしかなかった。これではパドルなどできるはずがない。僕はボードのボトムを擦らなかった事に胸を撫で下ろし、歩いて右側の水深が深い位置を目指そうとした。

・・・と、一歩目を踏み出した僕の剥き出しの足裏に、予想以上の激痛が走る。リーフがあまりにも鋭すぎるのだ。僕はリーフブーツが何故必要なのかを、今更ながら痛感した。

しかし、歩かねばどうにもならない。もう、歩くしかないのだ。

僕は脇に抱えていたボードを水面に浮かべ、それを支えた両手に体重をかける事で、足への負担を減らしながら、そして足の踏み場を確かめながらソロソロと歩き始めた。

しかし、非常にもブレイクした波のスープはそんな僕の事を気遣ってはくれない。スープが僕の足をすくうたび、バランスを保とうと力を入れた足裏に激痛が走る。

僕は天然のハードなリフレクソロジーを強制的に受けさせられながら、時速500m程度の速度で黙々と進む。一向に水深が深い場所は近づいて来ない。そうしている間にも、陽は完全に水平線の向こうへ姿を消し、闇が忍び寄って来る。

まずい。このままでは足元すら確かめられなくなる。にわかに背中に冷や汗が流れるのを感じた。

僕はボードを支える手により多くの体重を乗せると、ウニを踏まない事だけを祈って、スピードを上げた。僕の足裏は血が流れているかも知れなかったが、今はそれどころではなかった。

たった50m横に進むのに15分ほどかかっただろうか。ようやく水深が僕の腰ほどある地点に到達した。

しめた、これでパドルができる。しかし、勢い良くパドルを始めた直後、ボードのボトムに衝撃が走る。リーフのポイントは過ぎたから、岩ではない。それは、天草の養殖棚を囲う木の柵だった。養殖棚はヴィラの前まで続いている。

往路は難なく養殖棚の上をパドルできていたが、この後は水が無くなるまで潮が引くからパドルは無理と言う事になる。

薄暗がりの中、僕はパドルを諦めボードを降りると、養殖棚の隙間にある作業用の小径を探しながら再び歩き始めた。

岸を目指して30分。ようやく岸に辿り着いた時には辺りは真っ暗になっていた。足の裏を確かめると、ヤスリで削られたように皮がボロボロにめくれている。助かった。僕は心底ホッとしていた。

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夕食は、6日目にして初めて、自分たちが宿泊しているインディアナ・ケナンガのレストランで摂る事にした。

ここにはフレンチのシェフが常駐しており、他のレストランとは一線を画した本格的コースメニューが揃っている。しかし、お値段もそれなり、他の3倍から5倍はするため、これまでここでは食べていなかったのだ。今夜はメリーアンが最後の夜と言う事で、最後の晩餐と洒落込もうと言う訳だ。

マグロのカルパッチョ、本日のスープ、鴨のロースト、etc。シェフ自ら説明する料理の数々はお値段納得のクオリティで、同じ料理に飽き飽きしていた僕らの舌と胃袋を楽しませてくれた。いつも人の頼んだ料理の感想を必ず聞くほど食いしん坊なメリーアンも大満足である。

そんなレストランであるにも拘らず、ルボはメインディッシュに「バーガーを食べたい」と言って聞かない。確かにここのバーガーは最高に旨いが、それはランチメニューである。

「オレはいつもランチタイムがダイビングと重なっててまだバーガーを食べてないんだよ」

ルボは頑として譲らず、シェフに「OMG!」と言わしめるのだった。

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