【55日目】Zoo Pleazoo!


April 4 2011, 9:59 PM by gowagowagorio

3月26日(土)

「ずーぷりーず、ずーぷりーず、ずーぷりーず!」

タクシーの中に壊れて針が飛んだレコードのように延々と繰り返されるナツモの声が響き渡る。ドライバーが苦笑しながらシフトをドライブへ入れ、タクシーは一路、シンガポールズーへと向かい始める。

今日はアキコの会社が「ファミリーデイ」というイベントをシンガポールズーの集会所を借りて行うという。福利厚生が素晴らしく充実した会社である。動物園へ行くと聞いて、朝からテンションが最高潮のナツモ。

「マミーのお友達に会ったら何て言うの?」

「ぐっもーにーん!」

今はこんなテンションだが、どうせアキコの同僚たちの前ではしおらしくなるに決まっているので、しばらくはこのまま、好きなように騒がせておいてやろう。そして、ミノリにとって初めての動物園。真意の程は定かではないが、生まれてから6ヶ月経つまでの間に動物園に行き、動物たちの毛や皮脂の混じった空気を吸うと、喘息などになりにくいと聞く。まったく詳細を調べてはいないのだが、その程度の稚拙な聞きかじり知識を信じて、いい機会になったな、と思っておくことにする。

会場に着くと、すでにアキコの同僚、その家族たちが大勢集まっている。

「ハイ、モッチャン!ハワユー?」

「・・・」

タクシーの中でのテンションは何処へ忘れて来たのか、案の定、いくらフレンドリーに話しかけられてもフリーズしたままのナツモ。もはや注意をしてどうにかなるレベルではない。きっと時が解決してくれるだろう。もちろん、根気よく言い聞かせはするつもりだけれど。

「ファミリーデイ」は、いつも仕事をサポートしてくれる家族に感謝しようというコンセプトで毎年趣向を変えて行われるイベントらしい。アキコはその幹事である。イベントでは社員から家族へのビデオレターやビンゴゲームなどが行われ、各家族にプレゼントが配られる。そのプレゼントこそ、昨日僕が買いに走らされたロイズの生チョコだったのだ。

イベントは12時に解散となり、その後は自由行動となるのだが、この炎天下である。本当は動物園を見て回りたかったのに、この生チョコを融かしたくないが故に帰宅を余儀なくされたファミリーもいたに違いない。素晴らしいイベントだったが、なかなかシニカルなプレゼントを選択したものである。

さて、人見知りすることから解放されたナツモは、朝のテンションを完全に取り戻し、精力的に動物を見て回る。その姿を見て、ようやくナツモも、動物園を「正しく」楽しめる適正年齢に達したと実感する。ミノリはもちろん、運ばれているだけである。むしろ、見知らぬ多くの人々から笑顔で見つめられ、手を振られ、声をかけられるという点では動物たちと同じ立場にいると言っていい。なるほど、見回してみると、パグ犬に似ている事は前から認識していたが、ミノリは色んな動物に似ている気がする。

リクガメの太短い脚はミノリの脚にそっくりだし、正面から見る丸々太ったマナティの顔はミノリそのものだ。人間は生まれた時が一番野生に近いのかも知れない。成長するにつれ、色んな物を捨てて徐々に人間になっていくのだろう。

動物園の一番奥に、ウォーターパークがある。結局、そこが最終目的地となった。ナツモがすっかりこの場所にハマって、一人で2時間以上遊び倒したのである。水を怖がっていた頃が懐かしい。

動物を心ゆくまで鑑賞し、水遊びを満喫し、土産に自分で選んだカエルのTシャツを買ってもらったナツモはホクホクした顔で帰りのタクシーへ乗り込み、

「わんとぅいーひう(One Tree Hill)、ぷりーず!」

と声を張り上げる。ドライバーは苦笑しながらシフトレバーを握る。行きも帰りも同様のテンションを保つとは、かなり珍しい出来事である。ホクホクしていたナツモは車中でずっと喋り続けている。

「みのり、たのしかった?ん?・・・たのしくない!って、いってるよー。もっちゃんは、たのしーい」

そいつは良かったな。親の満足度は、即ち子供の満足度である。充実した一日だった。車内が急に静かになったと思ったら、案の定、寝息を立て始めるナツモ。帰宅しベッドに転がしておけば朝まで寝るだろう。

ところが、そうはいかなかった。
アキコが、昨日ナツモのツボにはまったグーグル翻訳の音声機能を聞きたいというので、実演してみせた。

「Natsumo, you’re the prettiest princess!」

10秒後、二人の背後に気配を感じた。振り返るとそこに、ナツモが立っていた。「呼んだ?」とでも言いたげな表情を浮かべて。

今夜は、アースデイだ。電気を早々に消してロウソクに火を灯す。少しばかり、輪番停電の気分を味わう。するとナツモは、本を読む事すらせがまず、「おとうちゃん、そふぁーでいっしょにねよう」と言う。なんでも、リビングで寝れば、起きてすぐに朝食を食べられるというのが彼女の言い分だ。そして何故かナツモは明日が月曜日だと思っている。その証拠に、学校に行く時のカバンをしょって寝るというのだ。早く学校へ行きたくてたまらないらしい。

「おとうちゃん、ここにねて」

まず僕をソファに横たわらせ、何をするのかと思えば自分の枕を僕の胸に敷き、「よいしょ、よいしょ」とお腹によじのぼってくる。なんと無邪気なことか。

「さ、おめめつぶろう」

僕のお腹では暑くて寝苦しいに決まっている。でも、ここで一緒に、こうやって寝たいと言い張り、汗だくになりながら、なんとか眠ろうと頑張っている。こんなとき、ああ、育児休業を取って良かったなという感情が心の奥の方からぽつりぽつりと湧き上がり、やがて全身に充満して行くのをはっきりと感じるのだ。 

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