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第5話 短編小説 『新入社員の色男 ジゴロ君』

確かに彼は、研修会場にいる新入社員の男の子の中では整った顔立ちをしていた。
今どきの若い男の子らしく少し眉を整えており、ラグビーでもしていたかのような体格の良さを持ち、背も高かった。
高卒・大卒の男女が混じった30名ほどが参加する新入社員研修で、彼は高卒だったが、隣の席の大卒男子よりずっと落ち着いた大人びたムードを持っていた。


「では、本年度の新入社員研修を始めます」

少々尖った声で研修のスタートを切った。私はいろんな企業に呼ばれて指導を行うフリーランスのマナー研修講師だ。
この日は、北陸のとある都市にある食品メーカーでの研修だった。


「研修中は、休み時間ごとに挨拶の号令を入れます。号令の担当、だれか立候補で手を挙げて」
と、続けて会場に声をかけた。新人研修の冒頭では、私はこのようにやや強い態度でこの問いかけをする。研修中の個別トレーニングの方針が見えるからだ。

「はいっ!」
「はいっ!」

入社したてで張り切っている営業部配属の大卒男子の新人たちは、私を真っ直ぐに見て手を挙げた。
と思えば、学生時代の授業態度の癖なのか、講師からすっと目をそらす子たちもいた。
高卒女子の一団は、皆で顔を見合わせ目線だけで「どうする? どうする?」と交信して戸惑う様子を見せていた。
また、全身に緊張を走らせてテキストを凝視したままうつむき加減でフリーズし、当てられないよう気配を消そうとする新人もいた。

積極的な姿勢を示すタイプならば同時に周りとの協調性も持てるかを確認し、目につくようなら指摘しよう、フリーズタイプはグループワークで役割を与えて主体性を引き出してみよう、などと彼らの様子を見ながら頭の中でインデックスを貼った。

そう。

はりきるか、戸惑うか、フリーズするか。
反応はだいたいこの3種に分かれる。

しかし、彼だけは違っていた。

彼は手を挙げるでもなく、戸惑うわけでもなく、私の問いかけに応える気がないくせに、まっすぐと私と目を合わせ、18歳らしからぬ余裕あるゆっくりとした視線を向けていた。

私は小さな違和感を覚えた。



午前中のプログラムは順調に進んでいった。
他の受講生のトレーニングや研修の進行に気を取られていた私は、彼に感じた何かについてすっかり忘れていた。

ランチタイムが終わり、講師による身だしなみチェックタイムになった。
隣の席どうして互いに髪の乱れや服のしわ、爪などを確認しあい、講師の席まで来て、ひとりひとりチェックを受けにくるのだ。

相互チェックを終え、長すぎる爪を備品の爪切りで切りそろえたり、髪を洗面室に直しに行ったりしてから、私の前に受講生が並び始めた。
みんな、かなり緊張した顔で講師である私の全身チェックを受ける。

新人研修できっちりと指摘を受ければ印象深く心に残って習慣化されやすい。社会人にふさわしい清潔感を保つ意識を養うため、私は念入りに細かく厳しくチェックを行う。
よって、私から見られている受講生は、どうしても緊張してがちがちになってしまう。

私からOKをもらうと、皆ほっとした顔をして嬉しそうに「ありがとうございました!」とお辞儀をし、仲間が待っている席へ小走りで帰っていった。


彼の番になった。

私は他の受講生と同じように、ひとつひとつ彼の身なりを確認した。
しかし、ここで私は再び、妙な違和感を覚えた。

私が彼を見ている側のはずなのに、なぜか逆に彼から見られている気がするのだ。

彼は私に見られていることへの抵抗がない。
それどころか、落ち着いて、講師である私をしっとりと「見据えて」いるのだ。

「もしかして、この子……」

彼に感じていたぼんやりとした違和感が、ある結論にたどり着く予感を抱えながら、私は髪、ネクタイ、靴の汚れなど、身だしなみチェックシートに沿って彼の全身を確認した。

そして、最後の爪のチェックで、違和感の正体がはっきりした。

新入社員は誰もみな、講師に爪を見せるとき、手を引き気味におずおずと差し出すか、不安を振り払うかのように思い切って手をばんと広げて差し出す。

しかし、彼の手の出し方はナチュラルで、その上、厚かましかった。
手を差し出しながら、私と彼の間に生じている空間の、安心と警戒の境目という絶妙な無意識領域にすっと身体を滑り込ませ、こちらにそれと悟らせないような親近感を持たせてきたのだ。

私は確信した。

「この子、ジゴロ体質だな」

ジゴロとは、正確には女性に頼って生活をする男娼の呼称であるが、私の言う「ジゴロ体質」とは、無意識に相手に気を持たせるような態度をとるタイプの男性のことだ。

「間違いない」
と私はひとり頭の中でつぶやいた。



直感は、当たりだった。

午後の講義中、彼の動きをそれとなく観察していると、面白いように「ジゴロ体質男子」の生態観察ができた。

基本的に彼は単独行動をとっていた。
通常、新入社員は男女問わず、新しい世界に飛び出た心細さとはしゃぐ気持ちで群れたがる。しかし、彼は他の新人男子らと群れることなく、休み時間もたいてい廊下の窓から外を見ていたり、席に腰掛けたまま資料をながめたりして、ひとりで過ごしていた。

時々、他の男子から話しかけられたりすると、そつのない態度で相手を務める。そして、相手が話したいだけ話して彼から去ったあとは、またひとりで過ごすことを選んでいた。

研修中のグループワークでも発言は少なく、穏やかに寡黙だった。
ワーク中に話を振られると、必要最小限の意見を言うが、率先して発言をすることもなく、淡々と与えられた自分の役割をこなしていた。

しかし、男女ペアで行う数分間の対話ワークが始まると、彼はなめらかな相槌や笑顔でとても気持ちの良い聞き手になり、女の子の話をもり立てた。

対話のワークはパートナーを変えて何度か繰り返されるのだが、どんな女の子がパートナーになっても、彼は興味深そうに耳を傾けた。

「周りの誰とも口を効かない。表情が暗いし固い。緊張が強いのか、かなりおとなしいタイプ」
と、私が手元にメモをした高卒の女の子が、彼の前では安心した表情で自分の言葉をポロポロとこぼし始めたりする。
また、自分がすっかり饒舌になっていることに気が付かず、4歳も年下の彼の前で声を上ずらせて夢中で話している大卒の女の子もいた。

そして、ペアワークタイムの終了が告げられると、彼は毎回とても丁寧に、例の絶妙な無意識領域に「どうもありがとう」の言葉を置いた。まるで淹れたての熱い珈琲が入ったカップを目の前にコトリと置くように。

女の子たちはその言葉を受け取ると、うっとりと満たされた表情で彼の前を立ち去っていった。

「自分の言葉が彼に包まれ、彼女たちはとても幸せな気分だろう」
と私は思った。


研修も終盤が近くなるころ、目に見えて彼はモテ始めた。

休み時間は、おしゃべりな活発な明るい女の子も、地味なおとなしい女の子も、ちょっと大人っぽい大卒の女の子も、わらわらと彼の席の周りに集った。
女の子達に囲まれ、その輪の真ん中にゆったりと彼は腰かけていた。

彼はどの女の子にも分け隔てなく接した。彼女らは少しときめくような表情でそんな彼に話しかけていたり、そうでなければ集まった女の子同士で他愛のないおしゃべりをしていたりして、居心地よさそうに彼の空間の中でくつろいでいた。

タイプや年齢の違う女の子同士も互いに警戒心なくおしゃべりを楽しんでいる様子を見て、彼の類まれな場づくりの才覚を感じた。

「天然のジゴロ体質なのね。しかも酋長タイプだわ」

彼は、女性を口説き落として悦に入るプレイボーイ系ではなく、みなを平等に愛する部族の酋長系の色男だった。

一方、他の男子はそのときどうしていたかというと、室内にそんなプチ・ハーレムができていることなど全く気が付かず、相変わらず男子同士でふざけっこをしていたり、慣れないネクタイを結び直し合ってうまく行かず、「先生、これどう結ぶのでしたっけ?」と講師席で頬杖をついてプチ・ハーレムを観察していた私に話しかけに来ていたりするばかりだった。


一日の研修が終わった。
私は研修報告書に彼のことを書こうか少々迷った。しかし、みだしなみ、ビジネスコミュニケーションなどどれをとっても、研修で育成する社会人スキルにおいては彼は何も問題はない。
しばらく迷ったが、結局私は彼について特筆することなく、講師所感書を書き終え、次の研修のため北陸を後にした。



あれから4年。

彼はもうその職場にはいないと風のうわさで聞いた。
退職の理由はわからない。
単に仕事が合わなかっただけなのかもしれない。次のキャリアステップを求めた前向きな転職の可能性もある。

しかし、私はなんとなく、あの性質のせいではないかと思った。

彼は若かった。
少なくとも、新人研修の時点では、自分のジゴロ体質にまだ完全に自覚的ではなかった。自らの無意識に埋没している計算高さを見落とし、管理し損ねていた。

だからこそ、新人研修の場で、講師や他の男子の目があるにも関わらず、自分の才能をひけらかすような状態を作っていた。彼は自分の特質に対してまだまだ無防備なのだ。

あの時は私以外に気づかれないで済んだが、日常の職場となればどうだろう。

周りには新卒の若い男の子だけでなく、彼の無意識を見抜けるほど人間の機微を熟知している大人の男も、老いの入り口に立ち若者への妬ましさを抑えきれない男もいるだろう。優しくて魅力的な彼を自分のものだけにしたがる強気な女の子も出てくるかもしれない。

「彼が持っているあの資質は取り扱いが難しいのだ…」
私は少々穿った視点で俗っぽい心配をしてしまう。


新人研修で彼と出会ってから、私はずっと願っていた。
いつか彼が自分の才能に完全に自覚的になることを。

仕事の経験、人生の経験を積み、自分のジゴロ性を完璧に扱えるほど精神的な成熟を遂げた男性に成長することを。

そうすれば、きっと彼は女性部下の扱いに長けた、よい男性リーダーになるだろうと思った。

女性部下の扱いがうまい上司は、男性部下も上手に扱う。
優しいだけではなく、どこか抗いがたい堂々とした頼もしさを備えた存在感で、落ち着きをもってよく部下の話を聴き、最低限必要なことだけアドバイスを与える。また、相手のよいところを見つけて引き出すことがうまく、それを率直に相手に伝えモチベーションを上げることができる。そして、誰にでも公平。

きっと、部下達がおおらかな気持ちで仕事に邁進できるフィールドを与える、とてもよい上司になる。彼の酋長的な博愛のジゴロ体質には、その可能性があるのだ。

「自分の色気に溺れることなく、いや、時に溺れ傷つく経験も経て、いつかあの稀な才能が社会のリソースとなる日がきますように」


春、新入社員らしい若者が街にあふれる頃になると、時々私はあの新入社員「色男ジゴロくん」の行く末に思いを馳せる。

-fin-


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