*寄り道* うちのばーちゃん

うちのばーちゃん。

うちの向かいに住んでいた母方のばーちゃん。そんなばーちゃんが亡くなりました。脳出血でした。
需要はないと思うのですが、私の備忘録として書かせてください。

うちのばーちゃん。

両足でスタスタ歩き、自分のことも何不自由なくやっていたばーちゃん。
多少の物忘れやドジはあったけど、ボケもせず、徘徊や逆走(免許持ってないし運転しないけど)もせず、最後まで私のこともわかってくれていたのはちょっと自慢。
仕事などで外出が多い母の代わりにうちの洗濯物をするのが日課であり・楽しみであり・やりがいであり、庭の紫陽花や白粉花などのお花の世話に精を出していました。(先日初めて知ったんですが、ばーちゃんは華道の先生の資格?を持っていたみたいです。実際に教えていたこともあったのかな?そしてその娘である母もお花が大好き、絵の先生です。私も英語の講師だったので代々そういう血なのかな。お花は受け継がれなかったね、ごめん)
腎臓が悪く、高血圧でもあったばーちゃんですが、医者・病院が大嫌いで(関係者の方々ごめんなさい、怖いだけだと思います笑)母が「行こうか?」「行ったほうがいいね」と言っても頑なに「いーや!」と拒否し続けていました。(母もその頑固さはわかってるので「わかった」としつつ、「でも〜なるかもしれないからね」「〜しときなよ」と言って聞かせていたみたいです)
3年ほど前かな。うちの階段を2、3段踏み外してしまって(なぜ踏み外したかって?弟のように駆け下りてみたかったらしいです。おバカ!!笑)脛を骨折してしまった時も、その場では誰にも何も言わず、腫れと痛みに耐えられず「実はね、」と母親に切り出したみたいで……流石に母も病院を勧めたんですがそれでも嫌がったらしく、母の「ジンジンするのが治るまでお風呂はだめ、足を真っ直ぐにして、湿布を延々と貼り続けな」という言いつけをひたすら守り、勝手に治しちゃったみたい。今はもうどっちの足を折ったのかわからないくらいです。(尚、母親も昨年辺りに足の小指を折っていたみたいですがやっぱり自力で治しちゃったみたいです。もうやだこの親子!)
そんなばーちゃんなので、最後が病院だったのは悔しかったかもしれません。ごめんね、でもしょうがないね。

ばーちゃんは戦争を潜り抜けた、THE★昭和の人。
「親と教師には口答えするな」、「機械は怖い」、「洋物は毒」、「科学は悪」……そんなこと言いつつ、テレビ大好き(45型くらいの大きな三菱の液晶テレビが常に付いていた)、母の作るフライドポテトがお気に入り、フェイタスにいつもお世話になっていたばーちゃん。
「足が大きいのはバカ(バカの大足)」と、私が母に新しい上履きをお願いすると反対したり、「女の子がそんなに勉強してどうするの」と、私が校内順位が下がったとしょんぼりしていると言ってきたり。(母はその辺り聡明なので「それ、間抜けの小足、私の足はちょうどいいって続くのよ」と新しい上履を買ってくれたし「今は男女問わず学が身を助ける時代だよ」と私の英会話や勉強を応援してくれていました。ありがたい。国産バイリンガルは母のおかげ)

東京生まれのお嬢様育ちだったのが自慢だったばーちゃん。戦争で疎開したせいで茨城の田舎人間になっちゃったね。そのあとの自慢は、町工場を開いた父親(私のひいじいちゃん)の手伝いのため、自転車の荷台に鉄材乗せてサングラスかけて走り回っていたこと。そのおかげもあってか、心臓と足腰の強さは最後まで健在だったね。

ばーちゃんは、「こだわりのかたまり」。
紅茶は日東紅茶のダージリン(最近はco-opのだったみたい)、「紅茶はふちが薄いコップがいいんだー↑」、とお客様用のティーカップとソーサーをわざわざ出して淹れてくれて、砂糖も「遠慮しないで入れな」って角砂糖出してくれて。私の甘党の原因の一つだと思う。
その他の飲み物は三ツ矢サイダーとネクター(最近は桃カルピスにシフトチェンジ)とカインズホームの玄米茶、酢はミツカン、洗剤はトップ(粉のやつ)、椿油がご愛用……などなど、いろんなものにこだわりがあったばーちゃん。孫の私もいろいろこだわり派になっちゃったよ。
お金や物に不自由した時代があったせいか、「ストック大好き」。在庫が「5」を切ると不安になってすぐ買い溜めちゃうみたい。こだわりのおかげもあって、未開封のミツカン酢が6本、桃カルピスが12本、玄米茶は20袋、他多数。ばーちゃん、これどうするの!笑(ま、母が使わないものは私が賞味期限見ながら定期的に持ち帰ります)お金を貯めるのも好きだったね。時々お小遣いをくれたのも、なかなかもったいなくて使えなかったけど嬉しかったよ。

几帳面でもあったばーちゃん、ものの配置は必ず真っ直ぐ。「こだわり」が発揮されたお気に入りスペースやよく使うところはきっちり手入れしていました。自分の理想や気に入った通り、完璧に仕上げるのが大好きだったばーちゃん。反面、こだわらないところは埃OF埃。肺や気管支などに何も無かったことが不思議なくらい。賞味期限も「OUT of こだわり」だったらしく、2019年の3月が賞味期限の調味料が冷蔵庫に入っていました……ごめんねばーちゃん、流石に捨てちゃったよ。

そして「プライドのかたまり」でもあったばーちゃん。
医者や病院の世話になりたくないだけでなく、デイケアやその他福祉施設もとても嫌がっていましたし、実際お世話になることなく生活していました。こだわりを発揮して自由に1人でいたいばーちゃん、他人にお世話されるのが嫌いだったみたい。
母の知り合いが働いている美容室に行った時、その美容師さんに「娘さん(母)に“行くよ“って言ってこられたんですか?」と(多分悪気は一切ないはず)聞かれたのがすごく嫌だったみたい(私は1人で大丈夫、なんでもできるって自負してたんだろうな)で、「二度と行かねえ!」と言っていたみたいです。多分電車とかバスとか使う人だったら(車社会なので母の運転する車かタクシーにしか乗りませんでした)席譲られて機嫌悪くなるタイプかも。皆さんすみません。
元々歯の治療歴が多く(なのに医者嫌いってなんなんだろう、謎…)昨年秋には痛みに耐えきれず、母に黙ってこっそりタクシー使って歯医者に行ったみたいなんですが、抜歯のために血圧測られたらしく(当然OUT)その「測られた」という事実にかなりショックを受けたみたいです。(愚痴られた母も「しょうがないでしょ」としか言えなかったようで笑)

置物やぬいぐるみも好きだったばーちゃん。私が小さい頃に使っていたぬいぐるみも(母はそういうのあまり好きじゃないのですぐ捨てようとする)「可愛い、もったいない、気に入った、私が飾る!」と言って「お気に入りスペース」に飾っていました。懐かしいのがいっぱいあったよ、もらってくれてありがとう。いくつかまた私がもらっていいかな、ばーちゃん。

戦争もあってか、勉強系には全く疎かったばーちゃん。それでも電卓叩いてお金の計算(母にお買い物依頼するときとか)できていたし、字も上手でした。頭使うことが好きじゃないんですが、オセロは私とずっと一緒によくやってました。別段強いわけではないんですが、思えば初孫である私と一緒に遊べるのが楽しかったんだと思います。私が幼稚園の時に作った折り紙とかまだ取っといてあるんじゃないかなどこかに…。おかげで結構強くなったよ、ばーちゃん!高校卒業後、私が家を出てから機会は減りましたが、パッチンパッチンお互いひっくり返してました。「斜め」を見落としがちなばーちゃん、2年前のお正月にタブレットのアプリでやったときは「勝手にひっくり返るのはいいねえ」と楽しそうでした。ただタブレットは目が疲れる、と長くはできませんでしたが。またやろうね、ばーちゃん!あとあれね、あのオセロ盤は私がもらうね。

たまに顔を出すと、「あ、いい顔してる」とか「なーんかやつれたねえ、ちゃんと食べてんのけ?」とか言ってくれるばーちゃん。あながち外れてはなくて、「やつれた」とか「ダメな顔してる」とか言われたときは大体仕事がハードすぎてたり付き合ってる相手とうまく行ってなかったりしてたし、「いい顔してる」って言われたときは転職したてとか友達と遊んだ翌日だったりしてた。信心深いというか、迷信とか霊的なものとかちょっと信じちゃうタイプだったのでなんとなくそういうの感じてたのかな。私はあんまり信じるタイプじゃないけど、ばーちゃん、今の私は多分「いい顔してる」よ。仕事も同僚に恵まれたから休みとってばーちゃんのところ戻ってこられたし、演劇や音声もできてるし、友人やその他音声系でも素敵な人たちに会えたんだよ。だからさ、また「あー、いい顔してんね」って言って。安心してね。

昨日までは身体もあって、隣の部屋にいて。また起きてきて「あーれ、帰ってきたのけ、そーけぇ」って言ってくれそうなばーちゃん。
倒れてからの約2週間、うまく喋れなかったし目も開けられなくなってたけど、ずっと意識はあって、動かせた左足で反応してくれました。
またオセロしようね。私のわがままだけど、もうちょっと頑張って生きてほしい。また会おうね。
全部に「うん」って言ってくれました。

母は「辛い思いさせてごめんね、もういいよ」って言ってたんですが、私のわがままを聞いてくれたのか、最後までずっと自力呼吸を頑張っていたようです。
わがまま聞いてくれてありがとう、ばーちゃん。

亡くなる瞬間には立ち会えませんでしたが、その3日前には急遽面会の許可が下り、夜中に病院を目指して高速飛ばして行きました。行けてよかった。会えてよかった。伝えられてよかった。


きっと霊的なもの信じるばーちゃんだから化けて出るのかしら。
出るなら母のところと私のところと、いい感じで往復してね笑

おかえり、ばーちゃん。
ありがとう、ばーちゃん。
またこれからも、よろしくね!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?