見出し画像

【雑談】ノートってすごく良いね

ここ1週間ノートにログインして、他の人のノートを読んでみたり自分でもノートを書いたりしてみた感想。

ノートってすごく良い場所だ。

あえて断定的で一方的な言い方をするけど、ノートをコツコツやってる人って皆良い人ばっかりだよ。見ててすごく勉強になるし、尊敬できる。

TwitterとかFacebookとか色々やっているけど、ノートはSNSの中でもかなりゆっくりした時間が流れている感がある。ゼロ年代頃のインターネットへの大きな大きな期待はすっかり消えちゃって、今のネット社会にあるのはくだらない罵詈雑言の嵐、情報の氾濫、見せかけだけの議論やクレーム‥。

とにかくネット(僕がここで言うネットは主にTwitterの世界を指してのことですが)は人をうんざりさせるものに変わった。ネットに抱いていた希望や夢はAIとかそっちの方面に持っていかれちゃって、ネットは悪い意味ですごく世俗化した。

ふかわりょうが前にネット社会はハイレゾ社会だ、みたいな事を言っていたけど、本当に彼の言うとおりの窮屈な世界だ。

自分の聞きたくもないノイズばかりが大量に流入してきて、その結果としてノイズを聞くこと、あるいはノイズに傾聴することにうんざりしてしまう。

ネットは開かれたものだったはずなのに、むしろかえって狭苦しい価値観をたくさん作った。自分にとって都合の良い情報や人間だけ(ここでいう人間は生身の人間じゃなくてあくまで情報としての人間で、だからこそ好きなときにアクセスできて好きなときにブロックできる状況が成立しているとおもう)を周りに置く人が増えた。

くどくどとネットへの不満の一部を書いたが、それに比べてノートは良い意味で閉じられた空間だ。そして時間がゆっくり流れている。
せわしないTwitterに比べて安心して一つ一つのコンテンツを眺めていることができる。

思えば僕たちがかつてネットに求めていた世界とはこういう世界なんじゃないだろうか。

評論家の宇野氏が遅いインターネットという話をしていたことをふと思い出す。

ノートは早さを感じにくい。Twitterが状況の溢れる「東京」的ネットなら、ノートは「田舎」的ネットだ。でも田舎すぎるほど田舎ではない、すなわち閑散としすぎているわけではないネット。人と人とが、コミュニティ同士が匿名化されてスルーorアタックされ合う世界ではなく、近所の人と会えば挨拶をする、話すときには生身の人間を相手にする上での礼儀をわきまえる。

平成に突入してどんどん失われていった共同体としての感覚を、ノートは復活させてくれるのかもしれない。令和時代は日本が少しでも良い国になると良いな。経済成長とかそういうのは一旦置いておいて良いから、「田舎」的ネット、あるいは「田舎」的価値観をもっと大切にしよう。(無論村八分みたいな悪習まで大切にしろという話ではない)

それともノートも人が増えればTwitterみたいな世界に変わっていくのかな。そうならないことを祈るばかりの令和3日目の夜であった‥