「真面目」は大事だけれど自分の頭で考えることはもっと大事。
真面目に考えてものごとに取り組むことは
とても大事だと思います。
でも、
「真面目に考える」がゴールになってしまうと
真面目に考えることが到着地点で
「なにを真面目に考える?」を置き去りにしてしまう可能性が
出てきてしまいます。
ここ数か月、ゴール設定やミッション、ビジョンについて
考える日々なのですが
なんか自分って
真面目に取り組むことがゴールになっていて
<その先にあるもの>が見えていないのではないか?
に至りました。
ギャーー
真面目に考えることはゴールではなく
あくまでゴールに至るまでの取り組む姿勢であって
真面目に考えることの先には
必ず、自分がたどり着きたい場所がある。
このあたりのモヤモヤが
本日夕刻、突然晴れたので記念カキコ。
真面目に考えることは大事ですが
何のために真面目に考えているのか?
このあたりのことがすっかり抜け落ちていた自分に
愕然とした夏至直前の夕刻は
少し風が涼しくて
「あーあーあー、もうなんか違うじゃんっ! 自分」と
空を見ながら叫んだよね(心の中で)
他者と同等でありたい。
(平均点取りたい思考)はある意味
とても大事なことですし
今までの世界(土の世界)ではそれが当たり前だった。
でも
これからの世の中では
「自分中心の世界」(自分が考えてものごとを進めていく)が
出来ていないと、生きにくくなると思います。
ちょっと説明しにくい珍しい仕事をしている友人が
「自分が何をするか? で考えて行動すると、
今までなんかアホみたいなもんに
グルグル巻きにされていた状態から解き放たれた感じになって
超絶自由になるぜ」
といっていたことを思い出しました。
いわゆる「認識の変更」といわれるものなのだと思うのですが
孫悟空の頭の輪っかがついている限りは
三蔵法師の呪縛?から解き放たれないのかもしれません。
※輪っかの存在は人間の理性の部分だと思うので、そもそも
三蔵法師(見張り役)がいなくても、自分への戒めとして
自分のおこない一つ一つに責任を持てば怖いモノではないと思います。
びくびくせずに
図太くやわらか頭で生きていけば
自分自身が身軽になるんだと思います。
目指すは「高田純次さん」でしょうか。
※高田純次さんは真面目に仕事として適当をしている方です。
私の話に戻りますが
この数か月、常に力が入った状態で生活していたので
背中も首も頭皮もカチカチ。
この数日、意識して全身の力を抜いて生活するようにしていたら
突然、「真面目に考える先にあるもの」について
焦点があってきた気がします。
力を抜くの大事。
占いのお店にいたとき
かなりの数のお客様と話をしてきたのですが
ある時から(10000名を超えたあたり?)
お客様が座る前に、何の相談かわかるようになったんです。
※大きく分けて恋愛か仕事か人間関係かだから当たり前といえば
そうなんですけどね。
その時のことを思い出すと
お客様に対して、緊張せず
いい感じに体の力が抜けていたから
パッとわかったのかな? と思えます。
真面目に考えてものごとに取り組むことは大事ですが
真面目に考えるはあくまでも補助動作。
真面目に考えることの先には
必ずあなたがたどり着きたいゴールがあるはずです。
真面目に考えることだけに集中すると
真面目に考えることがゴールになるので
自分がたどり着きたいところに到着しなくなってしまいます。
<真面目に><自分の頭で考えて><ゴールにたどり着く>
ことが大事です。
気をつけましょう。
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